日考塾〜憲法とは即ち歴史である

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君民共治とは何か

 結論から言えば、君民共治とは、天皇と民によって日本が治められることになります。

 

 これは神話の代から今日までほとんど変わることがない原則といえます。君民共治を表すエピソードが日本書紀においてあります、仁徳天皇の“民のかまど”の話になります。

 

聖帝と言われた天皇
 古事記や日本書紀に出てくる第16代天皇として仁徳天皇がいます。仁徳天皇の治世においては、灌漑や治水などの公共事業を行っており、仁徳天皇陵として、前方後円墳が有名です。聖帝と言われる所以として、「民のかまど」の話があります。

 

 仁徳天皇が即位して4年目、高台にのぼって民の様子を見ていたところ、家々から炊事の煙が立ち上っていないことに気づきました。なぜ、煙が立ち上っていないかを家臣に聞いたところ、民が貧しい生活をしており、税金を払えない状況でご飯も食べられない状態であることを伝えました。

 

 そこで仁徳天皇は、民が苦しいのであれば、3年間無税として、その後もさらに3年間無税にしました。気候も順調で国民は豊かになり、高台に立つと炊事の煙があちこちに上がっているのが見え、民の生活は見違えるように豊かになりました。それを見て仁徳天皇は喜ばれ「自分は、すでに富んだ」と言われました。しかし仁徳天皇の着物や履物は破れ、宮殿も荒れ果てていましたがそのままにしていました。それを耳にされた皇后は「宮殿が崩れ、雨漏りもしているのに、どうして富んだと言われるのですか」と言いました。

 

 すると仁徳天皇は「昔の聖王は民の一人でも飢え寒がる者があるときは自分を顧みて自分を責めた。今、民が貧しいということは自分も貧しいのだ。民が富んでいるということは自分も富んでいる」ということを答えました。やがて民が仁徳天皇に感謝し、朽ち果てている宮殿作りに励んだり、税を受け取ってもらいに行きました。宮殿はすぐに完成し、それ以来仁徳天皇を「聖帝(ひじりのみかど)」と称えるようになりました。

 

 日本の歴史、伝統、文化として、民を「大御宝(おおみたから)」と呼んでいます。これは古事記を始め、その後の歴史に、ヨーロッパや中国のような君主と搾取される民の構図ではなく、民は「大御宝」とする姿勢で政治を行っていました。そして多くの時代において政事(まつりごと)を行う人達は、藤原氏の摂関時代や幕府時代、今日の内閣などになります。では天皇は何を一番の重要事項として行っているのかといえば、祭事(まつりごと)を行うことであり、政事(まつりごと)は、天皇の名において実際に行う人を任命することになります。

 

 「民のかまど」の内容が君民共治の原則であり、天皇と民によって日本が治められている所以といえます。

 

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