日考塾〜憲法とは即ち歴史である

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柴野栗山が詠んだ歌について

 柴野栗山(しばの りつざん)と読みます。江戸時代の寛政の三博士の一人と言われる人物がいました。この人は寛政4年に神武天皇の御陵にお参りし、荒れ果てた姿を見て以下の歌を詠みました。

 

『遺陵(いりょう)、わづかに路人に問いて求む、半死の弧松(こしょう)、半畝(はんぽ)の丘、聖神ありて帝統を開きたまはずんば、誰か品庶(ひんしょ)をして夷流(いりょう)を脱せしめん〜
〜百代の本枝(ほんし)、かず億ならず、誰か能(よ)くこのところに一たび頭(こうべ)をめぐらす』

 

 意味としては、神武天皇の御陵は、探すのが容易でなく道行く人に尋ねて、辿り着くことが出来た。そこには、小さな丘の上に、枯れかかった松が一本立っているのみであり、そもそも神武天皇が日本民族を統一し、日本を建国してくださらなければ、いつまでも日本民族はバラバラに分散したままだったであろう〜我々は神武天皇の子孫であり、神武天皇より今に至るまでおよそ百代の間に、その直系と傍系と増加して、子孫の数は数億人になる、神武天皇を顧みないことに悲しいことを感じる

 

 とくに「百代の本枝、かず億ならず」の部分は、私達には、父と母がいて、祖父母がいる。祖父母にも曽祖父母がいてさらに続いています。過去に遡れば遡るほど、私達は周りの友達なども遡れば、その系統に繋がっていきます。さらに遡っていけば、一つの系統にもなっていく、これが日本民族であり、原則になります。これは他の国にはない特殊なことといえます。

 

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