日考塾〜憲法とは即ち歴史である

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主権とは何か

 よく使われる主権という言葉になりますが、ラテン語のsuperanus(シュペラーヌス、より高い)という語に由来しています。

 

 フランスのジャン・ボダンという政治学者が述べた言葉になりますが、ヨーロッパ中世社会は、今の時代とは異なる社会であり、端的に言えば、国王や領主がいて領民がいる中で、国王や領主である大公や公爵などにおいては政治的な権力として世俗の権力があります。しかしヨーロッパのほとんどの国ではキリスト教が主流になり、国王や大公でもキリスト教カトリック信者となっています。その中でキリスト教カトリックの指導者としてローマ教皇が優位に立っていました。

 

 ローマ教皇が絶頂の時であれば、神聖ローマ帝国皇帝でさえキリスト教に破門される可能性がありました。それは1077年のカノッサの屈辱というものであり、ローマ教皇グレゴリウス7世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と聖職叙任権をめぐり対立しました。聖職叙任権とは、管区内の教会の司教などの任命権になります。ハインリヒ4世はローマ教皇を無視して任命したことから、叙任権闘争が起こります。結果、ローマ教皇グレゴリウス7世が勝利することになり、ハインリヒ4世は3日間カノッサ城門にてキリスト教破門解除を願い、教皇から赦されたという内容になります。

 

 ちなみキリスト教の破門とは、キリスト社会においての人権が剥奪されるという意味合いであり、場合によっては異端審問(ラテン語:inquisitio インクイシティオ)にかけられることになります。これがキリスト教カトリックが絶頂の時でしたが、時代が上るにつれ、教皇が国王の上にいるのでは、政治を自由に行うことが出来ないため、行うことが出来るようにするために作り出されたものが王権になります。王権とは、神から直接付与されたものであり、ローマ教皇や人民などに拘束されたり制限されたりするものではないもので、これを王権神授説といいます。王権を持つものが、その国の領土そして臣民が統治されます。つまりローマ教皇優位から王権を持つ君主が最高で独立のものになりました。王権を持つ者が最高(ラテン語:supremas シュプレーマス)の地位に就いたという歴史的事実を反映し、主の権利として主権という言葉が生み出されました。

 

 今では日本国憲法に主権という言葉を使っており、世界の共通語になっていますが、中世ヨーロッパの背景が日本の国柄にあっているものかを考えた方がいいです。帝国憲法においては主権という言葉と統治権という言葉を分けていました。主権という言葉が、日本の国柄に合わないからになります。現に伊藤博文の憲法義解はもとより、東大憲法学の美濃部達吉や京大憲法学の佐々木惣一は、天皇に主権があるという言葉は使っていません

 

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