日考塾〜憲法とは即ち歴史である

このエントリーをはてなブックマークに追加

「神は死んだ」という言葉をどのように捉えるか

 国家と政府の違いは別のページで述べていますが、近代哲学の中にニーチェという哲学者が、興味深い表現をしています。それは「神は死んだ」という表現になります。

 

 まずキリスト教の聖書において出てくる言葉として「神の国」という表現が出てきます。この神の国とはどういうものなのか。それは、神の国とは、死後にあるわけではなく、またすぐ近くにあるものでもなく、遠くにあるものでもない、言わばこれは信仰心によって形作られるいわば集団表象としての現象的な存在といえます。新約聖書ルカによる福音書17章20節、21節において興味深い記述があります。

 

 『神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、神の国は、見られるかたちで来るものではない。また「見よ、ここにある」「あそこにある」などとも言えない。神の国は実にあなたがたのただ中にあるのだ』

 

 これはまさに神の国が実際にあるとか存在するとかではなく観念的であり、実体の伴わないものと考えることが出来ます。つまり個々人の信仰だけでは、その現象が現れるわけではなく、より多くの人の信仰でなければならないもので、これは難しい言葉で言えば人間の集団表象として神の国という共通認識を多くの人が持つことによって、現れる実体なき現象ということになります。ニーチェ曰く「神は死んだ」と言わしめた、近代におけるヨーロッパの様相を見れば、個々人の共通の宗教であったキリスト教を信仰する人は多くいますが、ただ中世の頃と比べ多元化し、さらにイスラム教であったり、無神論であったりなど、人々の宗教観が多元的となり共通認識が薄れた結果、神の統合としての機能が失われたことを意味することになります。それまでは神といえば、共通の認識があり、多くの人が教会に行きお祈りしたり、懺悔したりしていましたが、多元化してしまった近代においては、「神は死んだ」ということになるのでしょう。

 

 これを国家として置き換えてみれば、近代国家の定義によらず民族意識として歴史、伝統、文化、慣習や言語といった共通認識を持つことで、例え今は国家がなかったとしても、それ自体が国家と言えるようにもなると思います。逆にその認識がなくなることこそ、ニーチェによって言わしめた「神は死んだ」という言葉になってくると思います。

 

この記事はお役に立ちましたでしょうか。
この記事が誰かの役に立ちそうだと感じて頂けましたら、下のボタンから共有をお願い致します。


日考塾 所信 日考塾概要 お問い合わせ 参考文献