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伊藤博文の憲法義解〜第三十一条〜

 第三十一条になります。

 

第三十一条 本章に掲けたる条規は戦時又は国家事変の場合に於て天皇大権の施行を妨くることなし
(本章に掲げた条文は、戦時又は国家事変の場合において、天皇大権の行使を妨げるものではない)

 

口語訳
 本章掲ぐるところの条規は憲法において臣民の権利を保明する者なり。けだし立憲の主義は独り臣民のみ法律に服従するに非ず、又臣民の上に勢力を有する国権の運用をして法律の検束を受けしむるに在り。唯然り。故に臣民倚(より)てもってその権利財産の安全を享有して専横不法の疑懼(ぎく、疑って不安に思うこと)を免るることを得べし。これを本章の大義とす。ただし、憲法はなお非常の変局の為に非常の例外を掲ぐることを怠らず。けだし国家の最大目的はその存立を保持するに在り。練熟(れんじゅく、熟練)なる船長は覆没を避け航客の生命を救う為に必要なるときはその積荷を海中に投棄せざるべからず。良将は全軍の敗を避くる為にやむを得ざるの時機に当りてその一部曲を棄てざることを得ず。国権は危難の時機に際し国家及国民を救済してその存立を保全する為に唯一の必要方法ありと認むるときは、断じて法律及臣民権利の一部を犠牲にしてもってそのの最大目的を達せざるべからず。これ乃(すなわ)ち元首の権利なるのみならず、またその最大義務たり。国家にして若(もし)この非常権なかりせば国権は非常の時機に際(いた)りてその職を尽すに由なからむとす。
 各国の憲法に或(あるい)はこの義を明示し、或は明示せざるとに拘らず、その実際において存立を保全する国権の権力を認許せざるはあらず。何となれば、各国総て皆戦時の為に必要なる処分を施行するは誣(し、事実を曲げて言う)うべからざるの事実なればなり。ただし、常変の際、間に髪を容るること能はず。夫の時機の必要に非ずして妄(みだり)に非常権に推托(すいたく)しもって臣民の権利を蹂躪するが如きは、各国憲法の決して許さざるところなり。けだし正条に非常権を掲げ及その要件を示す者は非常の時機の為に憲法上の空缺を遺すことを肯むぜざるなり。或(あ)る国においてこれを不言に附する者は臨機の処分をもって憲法区域の外に置き、議院の判決に任せもってその違法の責を解かむとするなり。而して近世の国法学を論ずる者甲の方法の尤完全なるを賛称す。

 

現代語訳
 本章に掲げたところの条規は、憲法において臣民の権利を明らかにして保障するものである。思うに、立憲主義は、臣民のみが法律に服するわけではなく、また、臣民の上に影響力を有する国家権力の運用を法律の制約を受けさせることにある。ただそれゆえに臣民はその権利、財産の安全が守られ、専横不法の疑い恐れを免れることができる。これを本章の大義とする。ただし、憲法は、なお非常の変局のために非常の例外を掲げることを怠らない。思うに、国家の最大の目的は、その存立を保持することにある。熟練な船長は転覆や沈没を避け、乗客の生命を救うために必要なときは、その積荷を海中に投棄しないわけにはいかない。良将は全軍の敗北を避けるために、やむを得ない時期にあたって、その一部局を見捨てざるを得ない。国家権力は危難の時期に際して、国家及び国民を救済して、その存立を保全するために唯一必要な方法があると認めるときは、断じて法律及び臣民の権利の一部を犠牲にして、その最大の目的を達しなければならない。これは、すなわち元首の権利であるだけでなく、最大の義務である。国家にもし、この非常大権がないならば国家権力は非常時に際して、その職責を尽くす手段がないことになる。
各国の憲法には、このことを明示し、あるいは明示しないにかかわらず、その実際において存立を保全するための国家権力の発動を認めていないものはない。なぜならば、各国すべてが、戦時のために必要な処分を行うというのは、欺きようのない事実だからである。ただし、常時と非常時の際、間髪を入れることはできない。非常時の必要がないときに、みだりに非常大権を持ち出して、臣民の権利を蹂躙することは、各国の憲法は決して許さないことである。思うに、憲法の正条に非常大権を掲げ、その要件を示すのは、非常の時期について憲法上の空白を残さないためである。ある国においてこれを言及しないのは、臨機応変の処分を憲法の範囲外に置き、議院の判断に任せ、その違法の責任を解こうとすることである。そして、近世の国法学を論ずる者は、前者の方法をもっとも完全であるとして称賛する。

 

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