日考塾〜憲法とは即ち歴史である

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公武法制応勅十八箇条

 倭朝、天神地神十二代、天照大神宮国政明白、而神代より伝玉ふ処三種神器、天子四海万民撫育之為め也、神国の例とする処は天魂なり、皇帝は地魂也、天塊地魂は日月也、日月行道之心は、天子叡心を守玉ふ根本なり、故に宮中は九天之意にして、九重の内裏、十二門方十殿は天にならひ、皇居し玉ふか故に、皇帝は十善万乗也、然れは仁孝聡明、至剛研学、如顕可為標準事を日毎に天拝し玉ふへき也、学問手習御勤行不可有御懈怠、万民無愁色、四海太平成時は、明徳あらはれ玉ふ也、三種之神器御守、第一之事、

 

 淳和奨学両院別当職、関東将軍江被任候上は、三親王、摂家を始、公家並諸侯と雖とも、悉致支配候、国役一切可為知、政道奏聞に及はす侯、四海鎮致しかたき時h、其罪将軍に有へし、第二之事、

 

 叡山は、王城之鬼門を守らんか為、桓武天皇山門神輿振之例有之事は、王法政道人気に応する処也、龍体之御守正しからぬ時は、天魂憤り怒て、疫神帝都江入、洛陽之民愁煩す、雖然今政務関東江預り奉る故に、山王を以可致将軍氏神、若山門相従はさるに於ては、可為其罪、第三之事、

 

 往昔帝王、勢州熊野神社仏閣に行幸あり、畢竟万民之煩を正し玉ふ処也、王臣政道を改て、武官政道を預り奉る、若不知時h、将軍之誤りたるへき也、故当今皇帝、法皇、仙洞宮中之外、行幸之儀奉止、第四之事、

 

 僧正官之事、天理に不応して、甲州武田信玄入道、越州長尾謙信入道江、免許し玉ふ、此官は僧行正しく相守る処の官なり、肉食妻帯を破侯武田、長尾等は合戦を出し、多く人を殺害し、破官意候処也、僧たりと云とも、猥りに免許すへきにあらす、大納言に准して山より重し、天台宗門七大僧正、禅宗門五大僧正、浄土宗門三大僧正に限るへし、其外僧官相改事、諸宗門本山へ可申侯、猥には僧正免許有間敷、況(いわん)や僧官可禁、第六之事、

 

 諸宗宮方、御門跡、高官を重る事時に応せす、所謂は仏体なり、仏道は釈氏の弟子なり、大聖世尊釈迦迦如来は釈氏より出て、衆生済度の為に、頭陀の行、乞食の事を定め、三衣一鉢の三界無庵は鳥の両翼なり、殊に後世極楽浄土の道教にして、現世の役をいたし官禄の論、仏意に叶ふへきに非す、高官之事、寺院相慎へし、宮門跡に限らす、僧衆可心得、第七之事、

 

 国中之諸侯、禄の高下を論せす、十六以上相乗る時は、順養子を以て可令其家相続、十六以下幼少にして、相果候時は、世続可有之所謂なし、家断可申候、是天理之応する所也、雖将軍相続、可為同事候、養子相続十六歳に及、幼少にして致家督候処、其弟有之時は、心当養子書上可然候、然時は相続家為致可申、第八之事、

 

 国々諸侯、雖勅命、宮中参内仕間敷候、西国諸大名往来の砌洛陽往来令停止候、密々往来候事、於露顕は、何程大禄之家成共、可致絶家、若洛外見物致度者、其趣相届可申、其砌可及二沙汰候、差免候共、三条橋之中を限り申候、第九之事、

 

 諸大名官職、其家之先規家格を以、両院別当可及沙汰候、官位昇進致度、直に天奏迄令奏聞、願候当人、並奏聞之天奏、其外取持候輩迄、急度可行罪科也、其心得可為肝要、第十之事、

 

 公家より武家に縁組之事、関東江相達、将軍家より及沙汰、其上にて取組可申、若其儀無之取結はれ候に於ては、其罪可申付候、縁組之上も猥に宮中之趣其沙汰仕候儀、相聞申に於ては、可為に重罪事、従公家縁邊の武家に金銀無心等申入候事、相慎可申候、所謂は禄重く金銀自在に、取扱やうに心得候得共、万石は万石の国役相掛り、天下之御用相勤候、公家は小禄成といへとも、国役を相勤、民を撫育する役なし、然れは宮中を相勤て、家の扶持相立候のみ也、奢なくして相勤侯時は、小禄といへとも安し、況や家相続末代無滞、武家国役誤る時は、家に相掛り可申故、遠慮致へし、第十一之事、

 

 尾張大納言義直、紀伊大納言頼宣、両人将軍と三家に可相定、是将軍万一傍若無人の振舞を致、国中之民可及愁時は、右両家より相代り可申、然れは天下政道に相掛り申候、依之国役相除、官職従三位を賜り、尾州六十二歳大納言を賜り、紀州六十六歳大納言を賜るへく候、国中諸侯将軍に準し、可致尊敬、第十二之事、

 

 尾紀両家、国役相除申候得は、勢州天照大神宮、日本国開闢之総社なり、二十一年目の遷宮は、国家安全、天下泰平、五穀成就を守の例なり、故に右遷宮の槍は、両家より領山の木を伐出し、遷宮無滞様、主年毎に相勤可申、尤尾州紀州、相互に相代り々々可勤、常々山木心掛、第十三之事、

 

 水戸宰相頼房、副将軍可賜免許候、其所謂は、将軍国政邪成時は、老中諸役人令に評定、水戸家より差図を以て、尾州紀州両家を見立、将軍相続可奏聞候、万一両家不応其任時は、いつれ諸侯の内、天下治鎮可致品量、奏聞候は、水戸家に可限、第十四之事、

 

 覇王の政務相勤申候は、源二位頼朝公より日本支配、武家相勤申所也、武家の預り奉るものは、公家国政ゆるくして、国鎮すること叶かたし、今上皇帝無拡、往昔政道可致旨家康蒙勅命也、然れは小禄にして国政難相成、民の撫育致しかたく、国役勤かたし、公家より武家を軽する事心得違也、所謂普天之下無不在王土、国民撫育は、今上皇帝天勅を蒙り玉ふ故に、万官万士に命し、国の安全すへくと也、公卿にも勤行玉ふに、人気不応して武官に命し玉ふ也、国中静に高下の差別は国の乱也、勤行を重する、第十五之事、

 

 源二位頼朝治世之時、大江大謄大夫廣元、鎌倉下向に及ひ、武家の憲法を定む、何聖徳太子十七箇条の憲法を根本と可致、然といへとも、法は天地の理なり、明白なるは世人用ひ可申、天地和合に不応理は、衆人不用之なり、新法能糺し、民心応せは可用、古法も時に不応は暫く止むへし、日本老中、若年寄、寺社奉行の三役、可為評定、第十六之事、

 

 日本国中制札之事、寺社奉行名前を以て、国中万民を教へし、国中人数相集候事、寺社奉行判物を以、可呼出、寺社奉行判物無之時は、勅命厳命成とも、人差出不申、古例を以、社人寺院之決断致すへし、第十七之事、

 

 日本国致支配東叡山住職は、今上皇帝御血脈を以て、関東御下向可有之事、将軍在城の鬼門守る故、御骨肉之君、仏法御修行御住職有之時は、天下泰平、国家安全之基とする也、第十八之事、

 

右十八ヶ条之趣、対君為定目相立候者、所奉恐也、雖然蒙勅命、今般武家政道、国家太平可致理之定目十八ヶ条、可被懸紫宸殿候、是則奉応勅命也、仍如件、
  元和元乙卯年八月     家 康 在判


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