日考塾〜憲法とは即ち歴史である

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古代ローマの帝政はどのように始まったのか

 民主政治における支配の原則において、「8分の1プラス1理論」といういわば権力を収めるための原理について別のページで述べています。
そんな民衆にあからさまに権力を収めようと感じさせず、構造を利用し巧みに権力を収めた人物がいます。
 古代ローマにおける初代皇帝ともいわれるアウグストゥス帝になります。
中世や近世のように皇帝として戴冠する形で皇帝になったわけではなく、
ローマ共和政にあった既存の役職や上記のような理論で自分の支配を確立していきました。

 

 いわば暴力などに拠らない“合法的手段”によって権力をとったといえます。

 

 紀元前44年にカエサルが独裁官という臨時の役職に任期終身の独裁官として元老院に認めさせたところから、
王を追放して自らの手で共和政国家を築いてきたローマ人にとってアレルギーがありました。
そのためカエサルの政敵やカエサルの下で戦った将兵達の裏切りによって暗殺されてしまいました。
あからさまに権力を取ろうとしたカエサルに反感を抱き、彼が王になろうとしていたと多くの人達に思わせてしまったために起きたことでした。

 

 カエサル暗殺後その後継者に指名されたのは姪の息子であるオクタウィアヌス(アウグストゥス帝)でしたが、当時の“政界”から見たら、誰?というのが率直な感想になります。
そしてその中でカエサルの後継者として自認するアントニウスがいました。

 

 その後内戦の勝利はオクタウィアヌス側となり、アントニウス討伐のために臨時に得ていた権力を紀元前27年に元老院に返し、
ここで共和政が再建されたと唱えます。
そこでオクタウィアヌスにアウグストゥス(尊厳者)という尊称を元老院決議によって得ることになります。
そこが一般的に帝政の始まりとなります。

 

 カエサル暗殺後から帝政に入るまでの流れを大まかに説明してみましたが、
ではカエサルのような手法ではなく、ましてや暴力的に皇帝として認めさせたのでもない。
さらには共和政が再建されたと唱えたこの紀元前27年が、どうして帝政の始まりなのか。

 

 つまりここにこそ共和政の穴となる部分があったと言えるわけです。

 

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