日考塾〜憲法とは即ち歴史である

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ローマ共和政の社会について

 まず古代ローマは紀元前753年にロムルスによって建国されました。
そして7代の王がいましたが、最後の王タルクィニウス・スペルブスの暴虐無人な行動から、
紀元前509年にルキウス・ユニウス・ブルートゥスを中心にローマの民衆が追放しました。
ちなみにスペルブス(superbus)とは、ラテン語で傲慢という意味になります。

 

 紀元前509年から紀元前27年までがローマ共和政の期間となります。
 ローマの王政期やその後の共和政期を含め、政治の特徴として元老院が肝になっています。
 ロムルス王の時期に、ローマ人の家庭の中の家父長の集まりが元老院であり、あくまで王の諮問機関という位置づけでした。
当時ローマ人の数が少ないことはありますが、ローマ社会の有力者の集まりでもあります。
 ちなみに家父長とは、例えば祖父母がいる家であれば、祖父、仮に祖父が亡くなった場合、その息子である長男がその家の家父長になります。
大体家父長は年寄りですので、そこから“元老”の集まりとして元老院になります。

 

 共和政になりますと、1人の王(rex)から2人の執政官(consul)に、そして終身任期から1年任期へと変わります。
しかしローマの社会や政治の基盤は元老院になります。またその時期からローマの有力者、貴族になりますが、新参者が入れなくなります。
 まずこの有力貴族をパトリキーそしてそれ以外の者を平民、プレビスといいます。
 共和政初期から中期にかけて対立をしていましたが、ローマの要職に平民(plebis)がつくことがきる法律を作ったことで、その対立に終止符が打たれることになります。
 その間対外的には、戦争が数多く繰り広げられており、現在のイタリア半島の北イタリアとシチリア島を除く地域を支配圏に治めるぐらいで落ち着いてきます。

 

 有力貴族(patricii)には、先程の家の中の家父長あるいはその息子なども元老院などに入ってくることにもなりますが、
そこに仕えている奴隷や奴隷から市民権を持つようになる解放奴隷あるいは法的保護をもたない在留外人など、その家を中心に連なってくる人達が多くなっています。
 そしてその関係をパトローヌス・クリエンテス関係と言います。
 保護者(patronus)と庇護者(clientes)という意味になりますが、
これを今風の関係でいえば落語家や歌舞伎などの師匠と弟子の関係や、政治家とその政治家を応援する後援者の関係、
さらには政党の中の派閥の親分とその中に属する人に近いところにあります。
 古代に人権という言葉はありませんが、奴隷によって成り立つのが古代ローマであり、奴隷にも色々ありました。
 共和政後期や帝政期になりますと、コロッセオで戦っている剣闘士も奴隷ですが、悪帝で名高いネロ帝の家庭教師をしていた哲学者セネカも奴隷でした。
 奴隷の中でも家庭教師や医師などは収入が高く、剣闘士は負ければ死がつきまとうことになりますが、人気もありました。

収入に関してローマ市民権をもったローマ人よりも高いこともありますので、奴隷イコール虐げられた人達という19世紀の西欧諸国による植民地支配と同じ見方は、誤りになります。

 さて話を戻しますと、そのパトローヌス・クリエンテス関係がローマ社会に網目上に多くあり、元老院の中でもその関係が多くあります

 

 まずはこれが古代ローマ社会であることを細かい内容のため、覚えなくてもいいですが、認識していただければと思います。

 

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