日考塾〜憲法とは即ち歴史である

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憲法とは何か

憲法とは何か記事一覧

憲法とは何か

 結論から言えば、憲法とは、国家経営の基本法になります。 まず日本にはどんな憲法があったのか、日本国憲法は現在の日本の憲法になっています。大日本帝国憲法は明治期に作られた憲法になります。続いて五箇条の御誓文は、幕末が好きな人であれば聞いたことがあると思います。また中学や高校の歴史でも出ていました。明...

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憲法典とは何か

 憲法には、憲法を構成するものが必ずあります。つまり憲法の条文だけで政治を行うことが出来ませんので、関連する法律などの法整備が必要になります。これを憲法的法規といいます。 また憲法に記載するものではなく法律として明記するものでもない、慣習や法規範で運用する憲法的習律があります。これらを考えずして憲法...

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道徳規範は憲法には書き込まない

 道徳規範とは、人としてしてはならないことになりますが、これを仮に憲法の条文として明記した場合、恣意的な運用をされることになりますので、明記をするべきではありません。 現在では日本人的な道徳がありますが、明治期においては、教育勅語として道徳規範を示していました。道徳規範になりますので、日本人みんなで...

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もう一つの憲法である憲政の常道

 まず憲政とは、「憲法をもってする政治」、「憲法に遵拠して行うところの政治」であり、憲法に遵拠するとはどういう意味かと言えば、憲法典を制定し、これに基づいて組織を形成する。しかしそれだけでなく、また単に条文に従っていればいいわけでもなく、その精神に従った運用をしなければなりません。そこで生まれたもの...

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日本には憲政の常道がある

 「日本には憲政の常道がある」とは、GHQによる占領下においてマッカーサーが芦田内閣が崩壊するときに、後の首相にもなった三木武夫が言った言葉です。占領下でやりたい放題やっていたGHQから、吉田茂に首相の座を渡したくないことから次の首相として、三木武夫を首相に据えようとしました。しかし上記の言葉でその...

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憲政の常道の条文化

 これは日本国憲法第67条になります。この条文は帝国憲法で運用されていました憲政の常道が条文化されています。日本国憲法第六十七条 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。2 衆議院と参議院とが異なつた指名の議決をした場合に、法...

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近代憲法の祖はイギリス憲法から

 イギリスの議院内閣制などのあり方について、君主制の国はもちろん共和制の国も影響を与えており、いわば“グローバルスタンダード”になります。 イギリスは議会主権の国と言われます。主権が議会にあるとはどういうことかといえば、国王・貴族院・庶民院の三つの機関からなる「議会における国王」が、法的意味における...

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イギリス議会開会式を見る

 現在のイギリス議会の開会式において、歴史を忘れないという所から慣例があります。それは1642年にチャールズ1世が予告なしに庶民院議員5名を逮捕するために、庶民院に使者を使わせた時の出来事を再現しています。これは、国王といえども、下院である庶民院には許可なく立ち入ることは出来ないことを示しています。...

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イギリスにおける法の支配について

 「法の支配」とは、言うまでもなくイギリス憲法の基本原理であり、多くの国々に影響を及ぼしています。意味としては、王といえども法に従うべきであり、恣意的な支配は許されないことになります。 背景としては、王は法の外にあるような専制支配が中世において確立していました。それを法的にいえば、ローマ法学者のウル...

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統治すれども支配せず

 イギリスにおいて君臨すれども統治せずという言葉があります。しかし日本で言えば、統治すれども支配せずというのが正しい表現になると考えます。 君臨すれども統治せずはイギリスから来ている言葉であり、イギリスで王政復古したのち君主が政治を行う君主親政ではなく、憲法を一番上に置いた立憲君主制を確立することに...

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貫史憲法とは何か

 貫史憲法とは、歴史を貫いて生きている憲法になります。憲法には成文憲法、今の日本国憲法や帝国憲法が該当しますが、その他にも憲法典に当てはまるものがあります。また成文化されていない不文憲法も歴史を一貫している点から該当します。世界で言えば、イギリス憲法が当てはまりますが、日本はイギリス以上に歴史の長い...

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天壌無窮の神勅とは何か

 これは古事記あるいは日本書紀にある、皇室の皇祖神である天照大神が、皇孫であるニニギノミコトに向けて言った言葉になりますが、これを神話で歴史的実証的な話ではないというように言われると思いますが、それは違います。この神勅だけではありませんが、古事記や日本書紀が出来た時に、なんらかの確信的なものがあり、...

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宝鏡奉斎と斎庭稲穂の神勅とは何か

 まず宝鏡奉斎の神勅は、古事記に出てくる天の岩屋に出てきた、八咫鏡(やたのかがみ)を天照大神だと思って祀るという内容になります。八咫鏡の他に、同じく天の岩屋の時に出てきた八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)そして八岐大蛇を退治した時に出てきた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)になります。これは天皇が即位...

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十七条憲法について

 日本書紀に全文が記載されていますが、聖徳太子が作ったといわれる十七条からなる法になります。憲法という名がついていますが、当然現在のような近代憲法ではありません。しかし、日本という国柄を表す内容であるため、仮にイギリスであれば、憲法典を構成する重要な法文になります。成立したのは、604年(推古天皇1...

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和の精神を考える

 十七条憲法の第一条と第十七条については、まさに日本の国柄を表した内容と言えます。第一条 一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。読み下し 一に曰わく、和を以って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗とせよ。人み...

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古事記から見る和の精神

 古事記上巻つまり日本の神話から和の精神を見ていきたいと思います。まず始めに天の岩屋戸、天照大神に関する神話になります。この神話では、天照大神は弟神の須佐之男命の暴虐に耐えていましたが、神殿を犯すに及び、「見畏みて、天の岩屋戸を開きてさし籠りましき」とあります。高天原が暗くなり、葦原の中つ国も暗くな...

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国に二君なし

 十七条憲法第十二条に、国に二君なしということが定められています。これは、蘇我氏の専横があったことから、原点に立ち返ったときにこの条文だ作られたかと思います。蘇我氏の専横とはまさに「ウシハク」であり、日本は元来「シラス」国であり、その統治者とは天皇になります。第十二条 十二曰。国司国造。勿斂百姓。国...

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律令法について

 時代背景として、中大兄皇子と中臣鎌足による乙巳の変が起こり、皇極天皇の前で、蘇我入鹿を暗殺しました。その後、大化の改新という政治改革が行われ、蘇我氏を始めとした豪族による政治ではなく天皇に移りました。また法制度も唐の法制度である律令法を継受し、採り入れることになりました。大まかな変遷は以下のように...

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公式令(くしきりょう)について

 大宝律令や養老律令において、公式令という公文書の様式を定めた令があり、二十一の様式があります。これは、太政官から天皇への上奏や行政官庁内の様式、そして天皇の意思発現の様式である、詔書と勅旨があります。詔書と勅旨は、ともに天皇の勅命を下達する文書になります。令義解には「詔書勅旨同じく是れ綸言なり、但...

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格式について

 律と令については別のページで述べていますので、格(きゃく)と式(しき)について述べていきます。律令とは、根本となる法典であり改正はありませんでした。そのため「格」を出して改正や追加をしていました。また「式」は施行細則が定められています。律令の補充法としての位置づけが格式でした。 格式の最初は弘仁(...

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律令制について

 律令制については、唐の律令制を模倣となりますが、単に模倣しているわけではありません。規模にしても役職にしても日本的なものとなっています。それは、大宝律令にもあります。二官・八省・一台・五衛府となっています。二官は、神祇官・太政官八省は、中務省・式部省・治部省・民部省・兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省...

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武家法の成立

 鎌倉幕府が成立してから建武中興に至るまでの123年間、法は三系統に分類されます。 第一は律令法系になり、朝廷直轄の土地や人民に対して適用され、第二は式目法系、幕府支配の土地や人民に対して適用され、第三は荘園法系で、寺社領、本所領に対して適用されるものになります。各々、つまり公・武・寺社、三法系が鼎...

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御成敗式目について

 御成敗式目は、1232年に制定され、源頼朝以来の慣例を基本とし実用的な事を特色としています。主に守護地頭や御家人等に関する内容、財産や相続手続、訴訟に関する内容等で、式目の中に「右任右大将家御時之例」とあるのは、頼朝以来の慣例法による意味になります。御成敗式目について、所領に関する規定が多く、それ...

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江戸の武家法について

 徳川家康は、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後、征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開くことになります。そこで大名の取り締まりに関する法令として、武家諸法度を1615年(慶長20年)7月に第2代将軍徳川秀忠が発布します。その後5回改正が行われていきます。 江戸時代で特筆すべき法令といえば禁中並公...

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主上御謀反について

 王政復古の大号令は、一言でいえば、既存の制度をすべて白紙にするというものと、王政復古の大号令とはでお話しています。実は、既存の制度をすべて白紙にする事例は、歴史の中で何回かあります。つまり天皇によるカウンタークーデターになります。有名なものとして、672年の壬申の乱、1156年保元の乱、1221年...

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氏族性時代の統治権について

 明治における天皇は、統治権の総攬者として、統治に関する権力の源泉となっています。そして日本国憲法においても内閣総理大臣の任命や最高裁判所長官の任命など、今なおその役割を担っています。ここでは、帝国憲法が出来る前の時代ではどうだったのかを見ていきたいと思います。 始めは、氏族性時代という時代、これは...

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大化の改新後の統治権について

 大化の改新は、蘇我氏による専横から中大兄皇子、後の天智天皇と、中臣鎌足、後の藤原鎌足らによって、乙巳の変というクーデターを起こし、それ以前の氏族性時代の政治体制から、改新の詔が出され、唐の律令法を継受する形で、新たな体制へと変わりました。その際の天皇の統治権は、以下のようになります。氏族性時代にあ...

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