日考塾〜憲法とは即ち歴史である

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統治すれども支配せず

 イギリスにおいて君臨すれども統治せずという言葉があります。しかし日本で言えば、統治すれども支配せずというのが正しい表現になると考えます。

 

 君臨すれども統治せずはイギリスから来ている言葉であり、イギリスで王政復古したのち君主が政治を行う君主親政ではなく、憲法を一番上に置いた立憲君主制を確立することになり、そのときの君主としては国家を代表する権威の存在であり権力の源泉になります。権威ある存在として君主が存在するためには、帝国憲法においては大命降下、現行憲法においては任命など、君主の権威を権力者として選ばれた人に行政の代表として権威付けする意味合いになります。しかし君主における役割とは平時においては現状の役割、戦時や緊急時において政府機能がマヒしたときにおいて、その秩序を回復するのが天皇になります。つまり現行憲法に明記されようがされまいが、天皇は歴史的に日本を統治つまりシラス国です。これは今でも変わってはいません。

 

 例えば、2.26事件(軍隊のクーデターもどきの暴動で首相が暗殺されたとの誤報で大混乱)が起きた場合、さらに終戦の御聖断の時のように、国が滅びるかどうかわからないという瀬戸際で政府(含・陸海軍)が誰も何も決定出来ないときに最終的な決定を行うことになります。いわばこれは憲法停止状態であり、あってはならない非常時の中の非常時になり、この場合には天皇が秩序回復のための存在になるわけです。そのため政府機能がマヒしなければ、実際の政治は時の政権に委ねられることになります。関東大震災の時には、首相が病死し、内閣が成立していない時期で、時の山本権兵衛首相が組閣し、緊急勅令を連発し終息させましたので、憲法停止状態には至っていません。

 

 帝国憲法第1条は天皇が日本の統治者であること、さらに第3条と第4条により立憲政体であることが読み取れます。この統治者とは、主権者ではないことに注意が必要です。現在の憲法学は、これを同一視していますが、伊藤博文を始め、東大憲法学の美濃部達吉や京大憲法学の佐々木惣一などは主権という言葉を用いてはいません。また第3条についてですが、天皇は現代の神であり神聖で犯してはならず崇め奉るような言われ方をしますが、まったく違います。これは君主が政治をしない代わりに無答責であることを記載しているに過ぎません。これは伊藤博文の一番の解釈書である憲法義解に記載があります。また第4条において統治権の総攬者としてすべての権力が天皇が元になっており、それを憲法によって明記されています。つまり権力の源泉であるということです。行政と立法、司法は行政の下に位置します。また軍に対する統帥権も持っています。しかしそのまま権力を行使することは立憲政体である以上認められていません。必ず輔弼者、輔翼者が必要になります。立憲政体とは君主に専制を行わせないための制限としてあるものであり、そこに第3条の君主無答責が意味を持つことになります。

 

 現王憲法においては、統治権の総攬者という事が弱められてはいますが、内閣総理大臣の任命や最高裁判所の長たる裁判官の任命など権威の存在であることについては変わりはありません。

 

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