日考塾〜憲法とは即ち歴史である

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国に二君なし

 十七条憲法第十二条に、国に二君なしということが定められています。これは、蘇我氏の専横があったことから、原点に立ち返ったときにこの条文だ作られたかと思います。蘇我氏の専横とはまさに「ウシハク」であり、日本は元来「シラス」国であり、その統治者とは天皇になります。

 

第十二条 十二曰。国司国造。勿斂百姓。国非二君。民無兩主。率土兆民。以王為主。所任官司。皆是王臣。何敢與公。賦斂百姓。
読み下し
 十二に曰わく、国司(こくし)国造(こくぞう)、百姓(ひゃくせい)に斂(おさ)めとることなかれ。国に二君なく、民に両主なし。率土(そつど)の兆民(ちょうみん)は、王をもって主となす。任ずる所の官司(かんじ)はみなこれ王の臣なり。何ぞ公とともに百姓に賦斂(ふれん)せんや。
現代語訳
 十二にいう。国司・国造は勝手に人民から税をとってはならない。国に二人の君主はなく、人民にとって二人の主人などいない。国内のすべての人民にとって、王(天皇)だけが主人である。役所の官吏は任命されて政務にあたっているのであって、みな王の臣下である。どうして公的な徴税といっしょに、人民から私的な徴税をしてよいものか。

 

 また政治体制としては、別のページでもお話していますように和の精神に基づくもの、つまり、国家の大事な時にはよく話し合って決めることになります。国に二君なしとは、対外的にも同様であり、それを表すのが、以下の国書になります。

 

「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無しや」

 

 607年(推古15年)の第2回遣隋使において小野妹子が、国書を持って派遣されました。その際に、隋の皇帝煬帝に宛てた国書が以下の内容になります。

 

「日出處天子致書日沒處天子無恙」
読み下し
 日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無しや

 

 国書を受け取った煬帝は、読みだした途端、怒りました。では煬帝は、どの言葉に怒ったのか。
1 日出る処、日没する処
(日本は栄えて、隋は衰える)
2 天子(日本)、天子(隋)
(隋と日本は親分子分の冊封体制のはずなのに、これだと対等関係になってしまう)
答えは、2番になります。
 「皇」という字は、シナの皇帝だけをあらわす文字で、周辺の最高位は「王」であったため、対等関係になることから怒りました。このように国内だけでなく国外でも「国に二君なし」を体現しました。
これはいわば、独立宣言に近いものであるといえます。

 

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