日考塾〜憲法とは即ち歴史である

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律令制について

 律令制については、唐の律令制を模倣となりますが、単に模倣しているわけではありません。規模にしても役職にしても日本的なものとなっています。それは、大宝律令にもあります。二官・八省・一台・五衛府となっています。

 

二官は、神祇官・太政官
八省は、中務省・式部省・治部省・民部省・兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省
一台は、弾正台
五衛府は、左兵衛府・右兵衛府・左衛士府・右衛士府・衛門府
諸官司の構成は原則として長官(かみ)次官(すけ)判官(じょう)主典(さかん)の四等官は置かれました。

 

 日本独自の制度として、朝廷の祭祀を司る神祇官が置かれました。太政官よりも上位であり、独立した一官となっています。祭(まつ)りを司る神祇官政(まつり)を司る太政官、その下に八省が置かれています。明治においては帝国憲法と皇室典範を同等のものとして、それぞれ干渉しないこととしています。これを典憲体制といいますが、その制度の基礎を定めたのはこの時代になります。その他、令外官として検非違使や蔵人所、そして鎌倉以降の武家台頭時代になると征夷大将軍が中心になってきますが、それも令外官になります。

 

 最後に八色の姓(やくさのかばね)になりますが、これは、律令制時代前から氏姓中心社会であった古代日本において、それを無視して政治を行うことは出来ないことから、天武天皇が684年(天武13年)に制定しました。八色の姓は、「眞人(まひと)、朝臣(あそみ・あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)」の八つの姓の制度になります。氏姓時代の中心的立場だった臣・連が下位に置かれ、眞人は従来の公姓、朝臣は、臣姓、宿禰は連姓、忌寸は帰化人、道師は技術家となっていました。朝臣は源氏や平氏さらに豊臣氏なども持つようになりました。

 

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