日考塾〜憲法とは即ち歴史である

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武家法の成立

 鎌倉幕府が成立してから建武中興に至るまでの123年間、法は三系統に分類されます。

 

 第一は律令法系になり、朝廷直轄の土地や人民に対して適用され、第二は式目法系、幕府支配の土地や人民に対して適用され、第三は荘園法系で、寺社領、本所領に対して適用されるものになります。各々、つまり公・武・寺社、三法系が鼎立している法体系であり相互に干渉しないものとなります。鎌倉から江戸時代は武家支配の時代になりますので、当然、式目法系がもっとも優勢となっていました。ただこの時代でも、なおそれらの成文法は慣習法に対する補充的存在であるに過ぎません。

 

 鎌倉時代では、有名な御成敗式目というのが、執権であった北条泰時が中心となり、1232年(貞永元年)8月に、制定されました。これは頼朝以来の慣例を基本として作成されたもので、幕府における基本法といえるものになります。内容として皇室には関わらず、幕府の権限を樹立しているということや、民法的な内容も含まれていました。幕府は必要に応じて将軍御教書の形式の下に、式目の追加を行っています。また賛否がありますが、御成敗式目の全五十一条は十七条憲法を三倍にした数の条文ともいわれています。

 

 鎌倉幕府が滅亡した後も、足利尊氏は御成敗式目を改廃せずそのまま、そして建武式目や建武以来追加の制定がありました。建武式目は、足利尊氏の施政上の参考に鎌倉評定衆の遺老二階堂道昭に諮問したものに対しての答申書になります。建武以来追加とは、建武以降の御成敗式目への追加になります。公家などの京都における律令法系は、ほとんど変わらず運用されています。荘園法系については、寺社などが一つの法系として形成するに至ったのは、養老律令にあります僧尼令において、寺院僧尼の自治を認めたことから始まります。これが独立的地位を確立することになり、別の法系として形成されることになりました。

 

 戦国時代に入ると各々の大名がそれぞれ式目を作ることになります。しかし法の内容としては御成敗式目に倣っているものになります。

 

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