日考塾〜憲法とは即ち歴史である

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五箇条の御誓文は憲法と同等

 五箇条の御誓文は、新政府の基本綱領として明治時代に出されたものにはなりますが、内容を考えると、事実上の憲法の位置づけになります。なぜならば、国家の基本が指し示されているからです。

 

 憲法論議において、国民の権利を厚くするための内容や、細かい制度について憲法に書きこもうとしています。しかし憲法において大切なことは、国家の基本となるもの、つまる歴史・伝統・文化に根差し、合意出来るもの、その都度の時代ごとに憲法に書き込み、変われば改正するようなものではなく、国家においての基本的合意の中、あとは各種法律や政治において制定し、制度を決めることになります。

 

 現在の日本国憲法のように“国民主権”をうたわずとも「広く会議を興し万機公論に決すへし」において、民主政治を体現していると捉えることが出来ます。この文言を例にとり、吉野作造は民本主義を唱えていました。ちなみに民本主義とは、仮に主権が君主にあったとしても、その活動の基本は政治上国民にあるというもので、主権がどこにあるにしても民主政治を行うことが出来るという概念になります。

 

 五箇条の御誓文については、大東亜戦争が終わった翌年の1946年(昭和21年)1月1日に「年頭、国運振興の詔書」において、五箇条の御誓文の精神に立ち返ることを昭和天皇が国民に伝えています。「年頭、国運振興の詔書」についてはいわゆる天皇の人間宣言と言われていますが、実際の内容を見ると、そういう内容ではないのが以下のとおりわかるかと思います。

 

年頭、国運振興の詔書
 昭和二十一年一月一日
 茲に新年を迎ふ。顧みれば明治天皇明治の初国是として五箇条の御誓文を下し給へり。曰く、
一 広く会議を興し万機公論に決すへし
一 上下心を一にして盛に経綸(競輪)を行ふへし
一 官武一途庶民に至る迄各其志を遂け人心をして倦まさらしめんことを要す
一 旧来の陋習を破り天地の公道に基くへし
一 智識を世界に求め大に皇基を振起すへし
 叡旨公明正大、又何をか加へん。
朕は茲に誓を新にして国運を開かんと欲す。須らく此の御趣旨に則り、旧来の陋習を去り、民意を暢達し、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、以て民生の向上を図り、新日本を建設すべし。
大小都市の蒙りたる戦禍、罹災者の艱苦、産業の停頓、食糧の不足、失業者増加の趨勢等は真に心を痛ましむるものあり。
然りと雖も、我か国民が現在の試練に直面し、且徹頭徹尾文明を平和に求むるの決意固く、克く其の結束を全うせば、独り我国のみならず全人類の為に、輝かしき前途の展開せらるることを疑はず。
夫れ家を愛する心と国を愛する心とは我国に於て特に熱烈なるを見る、今や実に此の心を拡充し、人類愛の完成に向ひ、献身的努力を効すべきの秋なり。
惟ふに長きに亙れる戦争の敗北に終りたる結果、我国民は動もすれば焦燥に流れ、失意の淵に沈淪せんとするの傾きあり。詭激の風漸く長じて道義の念頗る衰へ、為に思想混乱の兆あるは洵に深憂に堪へず。
然れども朕は爾等臣民と共にあり、常に利害を同じうし休戚を分たんと欲す。朕と爾等臣民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、
単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず。天皇を以て現御神とし、且日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基くものに非ず。

朕の政府は国民の試煉と苦難とを緩和せんが為、あらゆる施策と経営とに万全の方途を講ずべし。同時に朕は我国民が時艱に蹶起し、
当面の困苦克服の為に、又産業及文運振興の為に勇往せんことを希念す。我国民が其の公民生活に於て団結し、相倚り相扶け、寛容相許すの気風を作興するに於ては、
能く我至高の伝統に恥ぢざる真価を発揮するに至らん。斯の如きは実に我国民が人類の福祉と向上との為、絶大なる貢献を為す所以なるを疑はざるなり。
一年の計は年頭に在り、倫は朕の信頼する国民が朕と其の心を一にして、自ら奮ひ、自ら励まし、以て此の大業を成就せんことを庶幾ふ。

 

 一言でいえば五箇条の御誓文の精神に立ち返り、みんなで結束して新しい日本を建設しようということになります。

 

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