日考塾〜憲法とは即ち歴史である

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シュタイン博士から学んだこと

 伊藤博文が編纂した憲法資料において、明治12年11月17日のシュタインとの談話要領が記載されています。そこで憲法においてとくに重要な部分として以下になります。

 

一 憲法は巳に発布せられその周緻精確なることは欧州憲法の右に出づること敷等なり。
ただし歴史を欠くがゆえに、欧州人は少しく奇異の思をなす。
この如き憲法を制定するには必ず歴史の存在するならん。
もしこれと密接の歴史なければ単にトルコの憲法と異なることなし。
ゆえに日本政府は憲法の沿革史を編纂してこれを世上に示すこと自今の急務なり。

 

一 歴史は一国の進歩の程度を示し、国家万般の事実を記載す。
ゆえに愛国心を殖養するはその国体の何たるを知らずしてこれを他より発生するものならんや。
現に憲法を制定したる国において(イギリス・ドイツ)は確実なる歴史を基本として王室の尊厳を保つ。
歴史を一読すればその国の成立、人類の始祖等を知り、尤(もっと)も有益不可欠の学科なり。
しかるに日本は未だその編纂なしと。
もし日本の歴史を除いては王室の卓立独行は覚束なし。
またドイツの目今の政務についても巳に皇帝は本年の検閲において一国の歴史を普(あまね)く中学以上にて教ゆべしと宣告す。

 

出典:伊藤博文編『憲法資料. 上巻』(金子堅太郎等校、憲法資料刊行会、1934)P199-200

 

 このシュタインの講義によって、伊藤博文らは憲法制定のヒントを得ることになり、日本に帰国してからは、古事記や日本書紀を始めとする六国史などの文献を一から研究し、そこから大日本帝国憲法が作られることになりました。

 

 帝国憲法は、不平等条約改正のため、西欧諸国に認められるために急な形で作られたため、本来は初代天皇である神武創業の精神に立ち返るべきで、帝国憲法自体、日本の国柄には合わないというような意見を言う人達がいます。しかし憲法調査で学び、そこから日本の歴史について一から研究し、帝国憲法が作られている経緯があります。即ち、帝国憲法は、日本の歴史、伝統、文化によって成文化された近代憲法と言えるものになります。

 

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