日考塾〜憲法とは即ち歴史である

このエントリーをはてなブックマークに追加

井上毅という人物

 まず経歴としては以下になります。

 

井上 毅(いのうえ こわし)
天保14年12月18日(1844年2月6日)〜明治28年(1895年)3月15日)
肥後国熊本藩家老・長岡是容(監物)の家臣・飯田家に生まれ井上茂三郎の養子になります。伊藤博文と共に大日本帝国憲法や皇室典範、教育勅語、軍人勅諭などの起草に参加。枢密顧問官、第2次伊藤内閣の文部大臣を歴任。

 

 まず、明治9(1876)年に憲法意見控というものを記し、明治前であれば、、政府の法といえば律令法であり、聖徳太子の十七条憲法になりますが、これから制定する憲法は、それらとは異なることを記載しています。近代憲法とは、君権制限の体制をいい、三権が分立し、立法機関が憲法の監守となるもので、君民同治の法によるものであること、全国の代表者である民選議院を置かなければ創ることが出来ないと記載されています。

 

 井上毅は、伊藤博文らがシュタイン博士によって、憲法に大切なことはその国の歴史であることなどを知ったことで、小中村義象(こなかむらよしたけ)を助手として、古事記や日本書紀以下の六国史、令義解、古語拾遺、万葉集などを研究しました。そして伊藤博文から憲法起草を委嘱され、明治19年(1886年)末から明治20年(1887年)初めにかけて、小中村義象を随伴して安房・上総・相模と憲法思索の旅に出かけました。

 

 井上毅については、歴史に関してこの人に勝る人はいないのではないかというぐらいの歴史通です。それだけの勉強や研究を重ね、帝国憲法や皇室典範など、国家の基本となるものを次から次へと創っていきます。この人のように実直に行う人がいなければ、到底成立し得なかったのが大日本帝国ではないでしょうか。

 

この記事はお役に立ちましたでしょうか。
この記事が誰かの役に立ちそうだと感じて頂けましたら、下のボタンから共有をお願い致します。


日考塾 所信 日考塾概要 お問い合わせ 参考文献