日考塾〜憲法とは即ち歴史である

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日本国憲法はどのようにして成立したのか

 戦前に犬養内閣の犬養内閣総理大臣が1932年5月15日いわゆる5・15事件において殺害されたしまい、その後の斎藤内閣以後は挙国一致内閣などとして、憲政の常道が失われていくことになりました。

 

 憲政の常道とは、「衆議院第一党の総裁が総理大臣になること」また選挙によらず首班指名をされた場合、その後に衆議院の総選挙を行い国民の民意を問うという、大正時代の憲政擁護運動が盛んな時期にイギリス型議院内閣制を取り入れていくようになりました。これが戦前の日本における民主政治になります。
 その憲政の常道が失われている状況から、敗戦を迎えることになりポツダム宣言を受諾しましたが、その中の第10条に以下の記載があります。

 

ポツダム宣言
1945年7月26日
米、英、支三国宣言
10 吾等は日本人を民族として奴隷化せんとし又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非さるも吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰加へらるへし
日本国政府は日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去すへし言論、宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は確立せらるへし

 

 ちなみに日本は無条件降伏したと言われますが、ポツダム宣言の第5条に「吾等の条件は左の如し」という記載があります。つまり無条件ではなく有条件降伏したことであり、そもそもポツダム宣言は一方的に日本だけが従うものではなく、アメリカにも拘束力のある内容になります。

 

 「民主主義的傾向の復活強化」を行うため、帝国憲法を変えた方がいいという示唆が、GHQ側よりあり、幣原喜重郎が内閣総理大臣の時期に憲法調査委員会いわゆる松本委員会が設置され、憲法改正を行うことになりました。松本委員会の松本烝治は、東大の商法の大家になります。ただ法制局長官なども歴任していることなどから抜擢されました。また同じ時期に内大臣府においても京大憲法学者の佐々木惣一が帝国憲法改正案を作成しています。

 

 松本委員会が作成した憲法改正案については、国立国会図書館にその内容を確認できるようになっています。以下がその内容になります。

 

松本委員会『「憲法改正要綱」』(甲案)
松本委員会『「憲法改正案」』(乙案)

 

 佐々木惣一氏の憲法改正案は以下になります。

 

佐々木惣一『帝国憲法改正ノ必要』(内大臣府御用掛 佐々木惣一奉答)

 

 政府として、憲法改正案をまとめている松本委員会の憲法案ですが、1946年2月1日に突如毎日新聞にスクープされ、保守的であるという批判と共にGHQの目に触れることになりました。そしてGHQ側からマッカーサー三原則を提示してくることになりました。

 

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