日考塾〜憲法とは即ち歴史である

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8月革命説とは何か

 8月革命説とは、戦後東大憲法学の祖ともいうべき人物である宮沢俊儀が作り出した脳内革命の説になります。宮沢俊儀は、フランス憲法を専行している人で、その考え方は当然フランス憲法の歴史から日本を見ているものになります。つまり帝国憲法において、主権が天皇にあり、日本国憲法では主権が国民になりました。天皇主権から国民主権に憲法改正をすることは出来ないため、1945年8月15日のポツダム宣言受諾によって、一種の革命が起きたというものになります。以下は、芦部信善という宮沢俊儀の一番弟子にあたる人の憲法についての本で、以下のことが記載されています。

 

1 明治憲法七三条の改正規定によって、明治憲法の基本原理である天皇主権主義と真向から対立する国民主権主義を定めることは、たしかに法的には不可能である。
2 しかし、ポツダム宣言は国民主権主義をとることを要求しているので、ポツダム宣言を受諾した段階で、明治憲法の天皇主権は否定されるとともに国民主権が成立し、日本の政治体制の根本原理となったと解さなければならない。つまり、ポツダム宣言の受諾によって法的に一種の革命があったとみることができる。
3 もっとも、この革命によって明治憲法が廃止されたわけではない。その根本建前が変わった結果として、憲法の条文はそのままでも。その意味は。新しい建前に抵触する限り重要な変革をこうむったと解さなければならない。たとえば、明治憲法七三条については、議員も改正の発案権を有するようになったこと。議会の修正権には制限はなくなったこと。天皇の裁可と貴族員の議決は実質的に拘束力を失ったこと、国体を変えることは許されないという制限は消滅したこと、を認めなければならない。
4 したがって、日本国憲法は、実質的には、明治憲法の改正としてではなく、新たに成立した国民主権主義に基づいて、国民が制定した民定憲法である。ただ、七三条による改正という手続をとることによって明治憲法との間に形式的な継続性をもたせることは、実際上は便宜で適当であった。
出典:芦部伸善『憲法第五版』(岩波書店、高橋和之補訂、2011)P30・31

 

 なぜこれは宮沢俊儀の脳内革命に過ぎないかといえば、天皇主権とは帝国憲法において定説になっていないものです。一部のとくに印象が強い部分として、美濃部達吉の天皇機関説が排撃された国体明徴運動で失脚した部分だと思いますが、天皇主権を述べている上杉慎吉においても、学会などの定説にはなっていないことや、一部の陸軍があくまでその説に乗っかっただけになります。
これだけで、戦前は天皇主権主義だったというのは誤りです。

 

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