日考塾〜憲法とは即ち歴史である

このエントリーをはてなブックマークに追加

フランス憲法から国民主権を考えてみる

 よくフランス革命から絶対王政が廃止され、自由、平等、博愛の共和政国家が出来たと言われますが、フランス革命が終わったあと、実はイギリス憲法を参考に1791年フランス憲法が作成されました。

 

 それは、イギリス流の君臨すれども統治せずの原理を入れた、いわば成文化された憲法がないイギリスに対して、その憲法を成文化したものが、1791年フランス憲法になります。フランス憲法は人権宣言によって、主権が国王から国民へと変わります。つまり国民主権になります。まず以下の条文を確認して下さい。

 

1791年9月3日憲法
人および市民の権利宣言
第3条 すべての主権の根源は、本質的に国民に存する。いかなる団体も、いかなる個人も、明白に国民に由来しない権力を行使することはできない。

 

第二章 王位、摂政および大臣について
第一節 王位および国王について
第2条 国王の人身は神聖にして侵すことができない。国王の唯一の称号は、フランス人の王である。
第3条 フランスには、法律の権威より上級の権威は存しない。国王は、法律によってのみ統治し且つ法律の名においてのみ服従を要求し得る。

 

 人および市民の権利宣言において、いわゆる国民主権の条文が入っています。そしてフランス憲法の中に、君主の不可侵権、つまり政治的責任を負わないことになります。第3条については法律や憲法が君主より上位にあるものになります。

 

 しかし翌年にヴァレンヌ事件が起こり国王らが逃亡する事件が発生、そこで国民の信頼が失墜し、1791年憲法は停止し、新たなる憲法を作るために国民公会が作られました。そこで決議したものが以下になります。

 

フランスにおいて王権を廃止する1792年9月21-22日の決定
 国民公会は全員一致で、フランスにおいて王権が廃止されることを決定する。

 

フランス共和国の単一且つ不可分性に関する1792年9月
 国民公会は、フランス共和国が単一であり且つ不可分であることを宣言する。

 

 その後ルイ16世の裁判が1792年12月から国民公会によって始まり、翌年の1月には死刑となり刑が執行されることになります。王族がいなくなり、1793年6月24日にフランス第一共和国憲法が制定されることになります。つまり国民主権とは、フランス革命のような事態を起こす可能性もあること、とくに扇動政治家が現れ、国民が熱狂的になることにより、結果として取り返しのつかないこと、凄惨な殺戮が繰り広げられることになります。

 

この記事はお役に立ちましたでしょうか。
この記事が誰かの役に立ちそうだと感じて頂けましたら、下のボタンから共有をお願い致します。


日考塾 所信 日考塾概要 お問い合わせ 参考文献