戦前の内閣法制局はどんな仕事をしていたのか
戦前の法制局は、法制局官制においてその根拠がありました。第一条を確認しますと以下のようになります。
法制局官制(1893/明治26年10月31日勅令第118号)
第一条 法制局ハ内閣二隷シ左ノ事務ヲ掌ル
一 内閣総理大臣ノ命二依リ法律命令案ヲ起草シ理由ヲ具ヘテ上申スルコト
二 法律命令ノ制定、廃止、改正二付意見アルトキハ案ヲ具ヘテ内閣二上申スルコト
三 各省大臣ヨリ閣議二提出スル所ノ法律命令案ヲ審査シ意見ヲ具へ又ハ修正ヲ加ヘテ内閣二上申スルコト
四 前諸項二掲クルモノノ外内閣総理大臣ヨリ諮詢アルトキハ意見ヲ具ヘテ上申スルコト
第一条には法制局の所掌事務について記載されています。他の外局においては「大臣ノ管理二属シ」となりますが、「内閣二隷シ」とすることで法制局の独立性を意識したものになっています。各省官制を独占的に審査していたこともあり、独立性と強い権限をもっていました。またその他の仕事として、高等試験委員長は法制局長官があたるものとされ、高等試験に関する事務についても、法制局が処理をしていました。今では人事院の管轄になりますが、それに該当する機関がなかったためでもあります。
法制局人事としては、まず長官は勅任官であり、明治や大正期においては、官僚出身者だけではなく政治家出身者や現役の衆議院議員や貴族院議員が、法制局長官に就いたことも多くあります。しかし1932年5・15事件以後、憲政の常道が崩壊し政党内閣ではなくなってから、政治任用の慣行がなくなり、官僚出身者が起用されることになりました。法制局長官は内閣書記官長とともに「内閣の両番頭」と呼ばれる高級ポストになります。そもそも法制局長官事態、現在も同様ですが、各省の生え抜きであり、文官高等試験の実施と共に、他省が採用した高文合格者を参事官として出向させるようになります。ちなみに文官高等試験とは、今の国家公務員T種試験と同じ、キャリア官僚になるための試験です。つまり、現在と同じ人事に、当初からなっていたといえます。本省で3〜5年在籍し、その後法制局参事官として出向し、参事官の勤務は長くなる、そこで、法制局内の仲間意識が生まれてくるようになります。
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