日考塾〜憲法とは即ち歴史である

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内閣法制局の憲法解釈は本当に変わらなかったのか〜佐藤内閣時代

内閣法制局の憲法解釈は本当に変わらなかったのか〜佐藤内閣時代

 

 内閣法制局の憲法解釈は本当に変わらなかったのか〜佐藤内閣時代
鳩山内閣から池田内閣までの時代では、内閣法制局長官は林修三長官でした。
佐藤内閣では、高辻正巳氏が内閣法制局長官になり、これ以降、今の政府見解が形作られていくことになります。
内容としては、以下のものがあります。

 

衆 - 予算委員会 - 6号
昭和39年12月04日
○高辻政府委員 前段は法律問題でございますので、私からお答えさしていただきます。日本国憲法の九十八条だったと思いますが、確立された国際法規というものは誠実に遵守しなければならぬという規定が特にございます。確立された国際法規、いわゆる国際慣習法といいますか、そういうものは実は憲法との間に抵触関係はない。憲法は一国の最高法規でございますが、その一国というものは実は国際社会に存立しておるわけでございますから、その国際慣習法ともいうべき確立された国際法規とは抵触を生ずるはずはないという考えでございます。ただし、一国と一国が結ぶような特別の条約、御指摘の部分はそういうものが含まれているのだと思いますが、そういうものにつきましては、憲法はやはりそれに優先する。ただし、憲法以下の法律は、条約に矛盾すれば条約のほうが優先するという考えでございます。したがって、現実には何が確立された国際法規であるかという解釈問題に結局変わってまいります

 

 国際慣習法とは、国際社会における歴史的に積み重ねられた法的確信があるものになります。
例えば、大使と公使という役職があります。これは、公使の上に大使になるのは、国際慣習法によって決まっているものであり、
日本では大使より公使の方が上位の役職になると言われても、通じない話であり、
むしろ国際慣習法を無視する野蛮な国と言われても仕方がないという意味合いにもなります。
しかし高辻長官は、「憲法との間に抵触関係はない」、「現実には何が確立された国際法規であるかという解釈問題」と述べています。
つまり日本国憲法と国際慣習法で抵触関係にあるかどうかは解釈問題であるということ、
その解釈をするのは政府の有権解釈であり、それを掌るのは内閣法制局であり、時の長官である高辻正巳氏になるというわけです。

 

衆 - 予算委員会 - 2号
昭和42年12月11日
○佐藤内閣総理大臣 私の所信表明演説から、実は論争を巻き起こしております。私はいわゆる防衛問題、これはうらはらをなすものは、申すまでもなく、わが国の安全をどうして確保するかという問題なんです。防衛論争こそはわが国の安全論争だと、かように私は思っております。私自身がしばしば申しますように、総理大臣というものの責任、それは一体何なのか。申すまでもなく、わが国を安全な地位に置いて、そうして国民が自由濶達にそれぞれの才能を伸ばすことができる、そういうものが私の責任だと、かように考えております。私はその観点から、やっぱり今日までの自衛隊、同時にまた日米安全保障体制、これがわが国の安全を確保しておるんだ、したがって、しばしば申しますように、この体制はくずさない、かように実は考えております。
 もう一つ、この際私どもが忘れてはならないことは、わが国の平和憲法であります。また核に対する基本的な原則であります。核は保有しない、核は製造もしない、核を持ち込まないというこの核に対する三原則、その平和憲法のもと、この核に対する三原則のもと、そのもとにおいて日本の安全はどうしたらいいのか、これが私に課せられた責任でございます。それがただいまやかましく言われておる防衛論争という形でありますが、実は防衛論争じゃなくて、わが国の安全論争なんだ。そうしてわが国の、安全ということについては、われわれ自由民主党のように、ただいま自衛隊、自衛力を持つんだ、そうして日米安全保障条約、そのもとにおいて安全を確保できるのだ、かように申す者もございますし、一部には非武装中立論、これもございます。さような意味で、自衛隊はこれはよけいなものだ、かようにも言っておるし、日米安全保障条約は戦争への道だ、とんでもないものだ、かように実は言っておるように、ただいま国論が分かれておるわけであります。しかし私は、私に課せられた責任から、現状が最も望ましいことだ。やむを得ない方法だと、かようにも思いませんが、私は望ましいことだ、わが国の安全はそういう意味で確保される。したがいまして、私はジョンソン大統領とこの前一九六五年に会ったときも、また今回会ったときも、日米安全保障条約というものは日本が受けるいかなる攻撃に対しても守ることができるのか、言いかえるならば、核攻撃に対してもこれはやはり役立つのかと、こういうことを実は申しております。ジョンソン大統領は、明らかにあらゆる攻撃から日本を守りますと、かように申しております。これがいわゆる日米安全保障条約の目的であります。これは攻撃的なものでは絶対にございません。私は、このことは平和憲法のもとにおいても矛盾なく守られる筋のものだと、かように考えております。
 したがいまして、いま中共、隣の国中共が核兵器の開発をしておる、これはただいまお話しのとおりであります。もう六回の実験もやっておる。しかし、これからさらに小型化されるとか、あるいは運搬方法を完備するとか、まあ長距離ミサイルですが、そういうようなものを開発するには、まだしばらくかかるかわかりません。しかし、過去の経験から、私どもの予想以上の早いスピードでとにかく開発されておる。このことを考えますと、今後この開発がおくれると、かように私は思いません。しかし、私は中共の核だけを云々するのではないのです。核兵器を持っている国に対しましては同じように、アメリカであろうが、ソ連だろうが、中共だろうが、フランスだろうが、イギリスだろうが、もう人類の存立を危うくするような核兵器、これはないようにしようじゃないか、絶対に使わないようにしようじゃないかという、そういう考え方で日本の平和憲法の精神を述べておるのが、現状でございます。私は、今日中共が核兵器を持ちましても、ただいまのような安全保障条約のもとにおいて日本の安全は確保される、かような確信を持っております。しかし、いずれにいたしましてもこの種のものはもう世界からなくなるような、そういう時期がこなければならないものだ、かように私は思います。ずいぶん幻想的な言い方をするようでありますが、いま宇宙開発の時代だといわれておる。どうして地上ではかようなものが使われ、そうしてお互いの生活を犠牲にまでして核開発をするのか、このことを私考えるときに、もっとわれわれにも幻想的なものがあっていいんじゃないのか。平和、そのためのただいまの日米安全保障条約が持つ戦争の抑止力、これはもっと高く評価していいんではないだろうか、かように私は思っておる次第であります。ただいまそういう意味でこの日米安全保障体制は、今後も続けていくということを申しておるわけであります。これがただいまの中共の核武装に対する日本の安全確保の方法であります。
 もう一つは、やはり私どもがかような意味で安全保障体制をいま整備しておるのだ、そのことはわが国の安全につながることなんだ、この点を国民に十分理解してもらいたいのです。みずからの手でこの国を守る、こういうもののうちには、みずからが兵器を開発することもございましょうが、それよりも、何といってもまずとっておるその政策についての十分の理解を持つこと、それが望ましいことであり、わが国の安全が確保されるゆえんだ、かように私は思うのでございまして、特に声を大にして、みずからがみずからの国を守るその気概を持ってほしい、そうして具体的措置についても政府に御協力を願いたい、かように実は申しておるわけであります。

 

 いわゆる非核三原則が国会答弁で出てきたのが、上の答弁になります。
これによって非核三原則がそれ以後、政府見解として定着することになります。

 

衆 - 予算委員会 - 14号
昭和44年02月19日
○高辻政府委員 どうも同じようなお答えを申し上げる部面もございますけれども、現在自衛隊法という法律がございまして自衛隊というものが現に存在しておりますが、この自衛隊というものはどこまでの装備でも持つことは自由であるということはわれわれ毛頭考えておらないわけです。したがって、やはり自衛隊の装備、編成にはやはり限度があるべきである。その限度は何かといえば、あえて繰り返しませんが、自衛の正当な目的を達成する限度、これが非常にほんとうに重要な問題であると私どもは考えております。したがって、それであればこそ、兵器はかってに持っていればよろしいというわけにもいかないし、海外派兵も自由にできるわけでもないし、国際法上認められている集団的自衛権ですらわが国はこれを持つことができないというようなことをわれわれはしばしば御説明申し上げておるわけです。そういうような自衛というせっぱ詰まった限度内のものでなければいけない。これは行動の面でも装備の面でも、あらゆる方面でこれを強調しなければいけないし、そうしてそれの面についての国民の監視も十分に受けなければならぬ、こういうふうに考えておるわけでして、その自衛の正当な目的を達成する限度内のものに関してはいささかもこれについて疑義を持っておるわけではございません。そのことだけをはっきり申し上げたいと思います。

 

 ここでのポイントは、「国際法上認められている集団的自衛権ですらわが国はこれを持つことができない」と答弁しています。
明らかに林長官の時代から変わったことが確認できます。

 

参 - 予算委員会 - 5号
昭和44年03月05日
○政府委員(高辻正巳君) 外務大臣からお話がありましたので十分だとは思いますけれども、念のために幾らか補足をさせていただきますが、きわめて明白に違いますと思う点が一点ございますのは、国連憲章の五十一条には、これは条文の上では、個別的、集団的固有の自衛権ということばがございます。これは、実は「固有」とは書いてはございますが、個別的自衛権、わが憲法で考えておりますのはあくまでも個別的自衛権のほうに限定をされておるというのがきわめて明白に申し上げたいところの一点でございます。と申しますのは、まあ、それが主題ではございませんからこれも簡単にいたしますけれども、要するに、憲法九条がございまして、御承知のような規定がございます。しかし、国際法上認められておる自衛権というものが、日本国憲法九条があるといっても、これを否定しておる趣旨ではないであろう、これは一貫した考え方でございますけれども、そういう自衛権、要するに、急迫性の侵害がある、国民の生存と安全が危うくされる、その場合には一国あっての憲法、国民の生存と安全あっての憲法、その憲法が国民の生存と安全を危うくすることを認めておるとはとうてい考えられない。したがって、そういう際には、微力であっても剣を持って立つ、武力攻撃を押えるということをやるのは憲法上否認されておるとは言えないであろう。しかしながら、わが国とまあ連帯的関係がかりにあるとしましても、他国の安全のためにわが国が武力を用いるというのは憲法九条の上では許されると見るわけにはいかないだろうというのが、これは再々申し上げておることでありまして、いわゆる集団的自衛権、わが国が、これはかってな話かもしれませんが、わが国が集団的自衛権の恩恵を受けるのはともかくとして、わが国が他国の安全のために兵力を派出してそれを守るというようなことは憲法九条のもとには許されないであろうという趣旨で、集団的自衛権というものは憲法九条で認めておらぬだろうというのがわれわれの考え方でございます。しこうして、その憲法の言う、私のただいま申しております自衛権、これもむろんわれわれの平和憲法のもとではきわめてこれを厳密なる自衛権として解すべきであろう。いわゆる三要件といいますか、そういうものを厳密に解して行動をするなり、あるいは装備をするなりということがあるだろう。その点から、兵器の種類の問題とか、海外派兵の問題とかいうのが出てまいりますが、これはいずれも自衛権の限界を問題として出てくるというわけでございます。その程度にとどめまして、何か御質疑があればお答えいたします。

 

 今まで林長官の時代において、集団的自衛権というのは、
他国防衛については、憲法上認められないという趣旨でしたが、
高辻長官の時代になると、内閣法制局の見解が変わってきており、
曖昧な形になっています。

 

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