五箇条の御誓文

五箇条の御誓文とは

 

成立に至る背景

まず慶応3(1867)年12月9日に王政復古の大号令が出されました。
これは、朝廷においては摂政や関白などの律令制、幕府においては征夷大将軍をはじめとする幕藩体制が形式上廃止として、神武創業の精神に立ち戻って、国民一丸となって新しい体制で政治を行っていくことを示しました。

 

つまり、今まで天皇から委任されていた統治権が天皇に戻り、そして新しく総裁、議定、参与の3つの役職で政治を行っていくものになりました。

 

その翌年の明治元(1868)年3月14日(4月6日)に明治天皇が五箇条の御誓文を布告し、明治新政府の基本方針が出されました。

 

起草の過程

明治元(1868)年1月に、福井藩出身の参与である由利公正が、「議事之体大意」五箇条を起案します。
そして土佐藩出身の制度取調参与である福岡孝弟が修正しました。

 

それを3月に入ったところで参与である木戸孝允が加筆修正します。
その後参与の東久世通禧(とよ)を通じて議定兼副総裁である岩倉具視に提出しました。

 

儀式

五箇条の御誓文は、単に布告されたのではなく、「天神地祇御誓祭」と称する儀式が執り行われて布告されました。

 

儀式の場所は、京都御所の正殿である紫宸殿に作られた祭壇の前でが執り行われました。
儀式の前に、天皇の自筆文書である「国威宣布の宸翰(しんかん)」が披瀝され、その後議定兼副総裁である三条実美が天皇に代わって神前で御祭文を奉読します。

 

そして再び三条実美が、神前で五箇条の御誓文を奉読しました。

 

その後、公卿や諸侯が1人ずつ神位と玉座に拝礼し、奉答書に署名します。
その途中で命じて天皇は退出。

 

最後に神祇事務局が神あげ神歌の儀式を行い群臣が退出しました。

 

五箇条の御誓文の位置づけ

五箇条の御誓文は王政復古の大号令の後に示された基本方針です。
そのため国家の基本方針としての性格であるので、憲法と位置付けることが出来ます。

 

その後明治新政府は改革に次ぐ改革を行って遂に近代憲法である大日本帝国憲法を定めることになりました。
この場合大日本帝国憲法や日本国憲法は、形式的意味の憲法といいますが、五箇条の御誓文は実質的意味の憲法といいます。

 

五箇条の御誓文はどのような内容なのか

 

全文

一 広く会議を興し万機公論に決すべし

 

一 上下心を一にして盛に経綸(競輪)を行ふべし

 

一 官武一途庶民に至る迄各其志を遂け人心をして倦(う)まさらしめんことを要す

 

一 旧来の陋習(ろうしゅう)を破り天地の公道に基くべし

 

一 智識を世界に求め大に皇基を振起(しんき)すべし

 

我国未曽有の変革を為さんとし朕躬(みずから)を以て衆に先んし天地神明に誓ひ大に斯国是を定め万民保全の道を立んとす衆亦此旨趣に基き協力努力せよ
 慶応四念三月十四日 御諱

 

第1条

意味は、「広く会議を開いて、皆で話し合って物事を決めること」です。

 

この第1条の「万機公論に決すべし」の文言は、聖徳太子の十七条憲法の第1条と第17条の流れを汲んでいるといえます。

 

十七条憲法
第一条 一に曰わく、和を以て貴(たっと)しと為し、忤(さから)うこと無きを宗とす。人皆党有りて、亦達者少し。是を以て或は君父(くんぷ)に順(したが)わず、乍(また)隣里(りんり)に違(たが)う。しかれども上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)えば、即ち事理自ずから通ず、何事か成らざらむ。

 

第十七条 十七に曰わく、夫(それ)事は独り断(さだ)む可(べ)からず。必ず衆と與(とも)に宜しく論(あげつら)うべし。少けき事は是れ軽(かろ)し。必ずしも衆とす可からず。唯(ただ)大なる事を論(あげつら)はんに逮(およ)びては、若しは失(あやまち)有らんことを疑う。故に、衆とともに相弁(あいわきま)うるときは、辞(こと)則ち理を得ん。

 

皆で知恵を振り絞り話し合った賢い意見を輿論(よろん)といいます。
ちなみに世論という言葉を多く使っていますが、これは軽佻浮薄な皆の意見であり、そこに知恵があるわけではありません。

 

世論:軽佻浮薄な皆の意見
輿論:皆で議論した賢い意見

 

十七条憲法の「和を以て貴しと為す」も五箇条の御誓文の「万機公論に決すべし」も、輿論を前提にしています。
輿論を作るには、教育であり、日々の知見を深めていくことが必要です。

 

これは大正デモクラシー時に言論界で活躍していた吉野作造が述べています。
すべて日本人同士で争うのではなく、よく話し合いとして決めることを示しています。

 

第2条

一 上下心を一にして盛に経綸(競輪)を行ふへし

 

 身分が上の者や下の者も心を一つにして、政治を行うこと。

 

一 官武一途庶民に至る迄各其志を遂け人心をして倦(う)まさらしめんことを要す

 

 政府の官僚や軍人、民間人も志を持って、人心が乱れないようにすること。

 

一 旧来の陋習(ろうしゅう)を破り天地の公道に基くへし

 

 昔からの悪習を破り、道理に基づくこと。

 

一 智識を世界に求め大に皇基を振起(しんき)すへし

 

 世界の知識を身に着け、皇室を中心とする日本の基礎とすること。

 

 我国未曽有の変革を為さんとし朕躬(みずから)を以て衆に先んし天地神明に誓ひ大に斯国是を定め万民保全の道を立んとす衆亦此旨趣に基き協力努力せよ

 

 

五箇条の御誓文(英語版)
Oath in Five Articles
Deliberate assemblies shall be widely established and all matters decided by public discussion.
All classes, high and low, shall unite in vigorously carrying out the administration of affairs of state.
The common people, no less than the civil and military officials, shall each be allowed to pursue his own calling so that there may be no discontent.
Evil customs of the past shall be broken off and everything based on the just laws of nature.
Knowledge shall be sought throughout the world so as to strengthen the foundations of imperial rule.

 

出典:ドナルド・キーン『明治天皇』(角地幸男訳、新潮社、二〇〇一)

 

この記事で学べること

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