井上毅の言霊

 

 古言を吟味することは一の歴史学なり何れの国にても太古の歴史は事曚昧に属し当時の風気意想は筆の跡に遺りたる伝記のみにて知りかたきことそ多かるに古き詞は古の人の風気意想をさなからに後の世に伝へて数千載の後より数千歳の古に遡りて当時の様を想像せしむへしされは古言を取調ふることは歴史学の一として数ふるの價(あたい)直あるなり抑々言霊の幸はふ国と称ふる御国の古言には様々尊きことのある中に余は一の上なきめてたき詞を得たり。

 

 土地と人民との二の原質を備へたる国を支配する所作を称へたる詞に付いて国々にて種々なるが支那にては国を有つといヘり有つとは我か物にし我か領分にして手に入るる心にて俗に一の屋敷を手に入れた或は一の山を我かものにしたといふと同し意なり詩経に奄有天下とあり奄有すとは掩ひかふせて手に入るる心にして天下は広大なるものなりしかはかく称へしものとそおほゆるこれ国土国民を物質様に一の私産と見たるものにして中庸には富有天下ともいへり一人にして天下を私有すとは穏ならぬ詞なれは彼支那の聖人は此の詞を修飾するために有天下而不輿といへれと不輿といふことと有つといすことは一句の言語の中に意義の矛盾ありともいふへし其の後政治の思想稍進みては治国又経国なという詞を用ゐるにいたれりこの治むといひ経すといふは乱れたる糸の筋々を揃ふる心にして稍精微なる文字なれとも猶専ら物質上の意想に成立ちたるものなり。

 

 又人民に対しては如何なる作用言を用ゐたるかといふに民を御すといひ又は民を牧すといへり御すとは馬を使ひ牧すとは羊を畜ふことにしてこれ人民を馬羊に喩へたる太古未開の時のおほらかなりし思想を其のまま画きたものなり。

 

 欧羅巴にて国土を手に入れたることを何といひしかと問ふに国を占領すといへり占領といふ詞は(オキユパイド)やがて奪ふといふ意味をも含めり又人民に対しては(ゴーウルメ)船の舵を執る意味の詞を用ゐたり即支那にて御すといひ牧すといひしと同しく人民を一つ物質に見なしたるより転用したるものなり支那も西洋も昔の人の国土人民に対せし作用言はいと疎かなる語を用ゐたるものにして国土を縄張して己れの領分にすといふことを目的とし人民を一の品物と見て手綱を付け舵を取りて乗り治むといふあしらひをもて称へたるものと覚えたり是は古の人は今の世の人の如く政治学の精密なる思想無かりし故にそあるへき諸御国にては古来此の国土人民を支配することの思想を何と称へたるか古事記に健御雷神を下したまひて大国主神に問はしめられし条に汝之宇志波祁流葦原中國者我子之所知國言依賜とありうしはぐといひしらすといふこの二つの詞そ太古に人主の国土人民に対する働きを名けたるものなりきはて一はうしはぐといひ他の一はしらすと称へたまひたるには二つの間に差めなくてやあるへき大国主神には汝がうしはげると宣ひ御子のためにはしらすと宣ひたるは此の二つの詞の間に雲泥水火の意味の違ふことと覚ゆるうしはぐといふ詞は本居氏の解釈に従へば即ち領すといふことにして欧羅巴人の「オキユパイト」と称へ支那人の富有奄有と称へたる意義と全く同しこは一の土豪の所作にして土地人民を我か私産として取入れたる大国主神のしわざを画いたるあるへし正統の皇孫として御国に照し臨み玉ふ大御業はうしはぐにはあらすしてしらすと称へ給ひたり其の後神日本磐余彦尊の御称名を始馭国天皇と称へ奉り又世々の大御詔に大八洲国知ろしめす天皇と称へ奉るをは公文式とは為されたりされはかしこくも皇祖伝来の御家法は国をしらすといふ言葉に存すといふも誣ひたりとせす国を知り国を知らすといへるは各国に比較を取るへき詞なし今国を知る国をしらすといふことを本語のままに意訳を用ゐすして支那の人西洋の人に聞かせたらは其の意味を了解するに困むへしそは支那の人西洋の人には国を知り国を知らすといふことの意想は固よりその脳隨の中に存せされはなり知るといふことは今の人の普通に用ゐる詞の如く心にて物を知るの意にして中の心と外の物との関係をあらはしさて中の心は外の物に臨みて鏡の物を照すことく知り明むる意なり西洋人の論理法に従ひて鮮釈するときは主観様に無形の高尚なる性霊心識の働きをあらはしたるものにして奄有といひ占領といひうしはくといへるは専ら客観様に有形の物質上の関係をあらはしたるものなり古書にしらすといふ言葉に御の字を当てたるは当時の歴史を編む人適当なる漢字なきに苦しみ是を借用ゐたるにて固より言語の意味には適はぬ文字なり。

 

 かくいへは人は難していはむ太古の人にさはかり高尚なる思想あるへきにあらず今の人の考へを以て附会したるならむと否々然らす諺に論より証拠といへるごとく古典にうしはくといふことと知らすといふことと二の言葉を両々向き合せて用ゐ又其のうしはくといひ知らすといふ作用言の主格に玉と石との差めあるを見れは猶争ふことのあるへきやは若し其の差別なかりせは此の一条の文章をは何と鮮釈し得へき

 

 故に支那欧羅巴にては一人の豪傑ありて起り多くの土地を占領し一の政府を立てて支配したる征服の結果といふを以て国家の釈義となるへきも御国の天日嗣の大御業の源は皇祖の御心の鏡もて天か下の民草をしろしめすといふ意義より成立たるものなりかかれは御国の国家成立の原理は君民の約束にあらすして一の君徳なり国家の始は君徳に基つくといふ一句は日本国家学の開巻第一に説くへき定論にこそあるなれ。

 

 御国の肇国の原理は国知らすといふこと其の原理よりして種々とのめでたき結果を生したり第一は欧羅巴の国々の歴史上の状を尋ぬるに大かた国は一の豪傑の人の占領したるものにして大なる財産なり故に国を支配することを民法上の思想により一の財産のあしらひもて処分し其の人々の世を去るときには民法上の相続を行ひ子三人あれは其の国を三つに分ち与へたり彼の歴史上に名高きシャーレマン帝は其の広大なる版図を三人の子に分ちて一は独乙となり他の一沸蘭機となり又他の一は西班牙となり此の相続よりして欧羅巴大陸の大乱の種を蒔きたりしにあらすや蒙古の相続法も同様にして元の大祖は広大なる亜細亜の土地を四人の子に分ちて支那の一部蒙古の一部印度の一部波斯の一部ときれぎれにしたる事其史に見えたり此は欧羅巴には珍しからぬことにして二百年前まて行はれたりしに二百年前の墺地利亜帝の連邦各国との条約に一国の相続は一統の子孫に伝ふへきものにして数多の子孫に分割すへきものにあらすといふことを始めて約定したり是を彼の国の学者は学理様に説き明して古は私法と公法との差めを知らす国と家との別ちを知らず一家の財産相続法を以て国土の相続に混雑したるものなりなといへり御国にては公法私法なとの学理論の有無に拘らす神隨のおのづからの道に於て天日嗣の一筋なることは自然に定り居て二千五百年前より此の大義をあやまりしことなし神武天皇の御子は四柱坐ましたれど嫡出の綏靖天皇御位に即かせ給ひて他の三柱の皇子等には国土をわかち与へ給ひしこともなし欧羅巴人が二百年前に辛うして発明したる公法の差別は御国には太古より明かに定りて皇道の本となり居れり是は何故ぞといへば即ち御国をしらすといふ大御業は国土を占領することとおのづから公私の差別ありしに由るなり。

 

 第二に欧羅巴にては古へ君臨の事業を一の私物私法として見たる故に君位井に君職に付いての費用は君主の私産の入額を以て支弁したりしが其の後国費のかさむに従ひて始めて人民に調達金を仰せ金額を献納させて君家の食邑入額の不足を補ひたりこれぞ欧羅巴の租税の始めなる今も現に独乙の中の小国には君家の入額の不足なる時に始めて租税を取るといふことを法律に著したる国さへあり御国の君道は斯るところ狭き道にはあらすして国しらすといへる一大道理の初めより明かなりし故に君位君職に付いての経費は全国に割負せて人民の義務として納むることとしたり欧羅巴の租税は元来約束承諾に成立ちたりしものにして御国の租税は君徳君職の下に治へる人民の義務なりけり。

 

右に述へたる東西の間の差別は何物か然らしめたるといふに此は偶然の事にはあらす何れの国の歴史も千年の後の変遷は千年の昔に孕まさるはなし余は太古の史にかこちて附会の説をなすことを好むものにあらすさはいへ此の国をうしはぐといひ知らすといふことの差別に至りては誣ふべからざるの明文井に事実にして又二千五百年来の歴史上の結果に証するも他の国と全く雲泥の違ひあるは誰人も否み得さるへしそもそも御国の万世一系は恐らくも学問様に諭すへきにあらされとも其の初に必一の原因あること疑なし今多言を憚るままに終りに言の結論を為すに止むへし曰く恐くも我か国の憲法は欧羅巴の憲法の写しにあらすして即遠つ御租の不文憲法の今日に発達したるものなり。

 
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昭和12年学会
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