日本人はどこから来たのか、生物学の視点で見てみよう

日本人はどこから来たのか

 

古事記や日本書紀で示すものとは

古事記や日本書紀には、日本独自の宇宙観や世界観があり、そこに日本の建国神話が記載されています。

 

日本の神話に出てくる描写で、高天原にいる天津神の一族が、九州に降臨します。
これを天孫降臨といいます。

 

天孫降臨に際して天照大神の孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)が降り立ちました。
そして邇邇芸命のひ孫である神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと)が東征します。

 

東征は、日本の各地に住む土着の勢力となっている国津神と戦い、各地を平定していきました。
そして奈良の橿原宮にて、神倭伊波礼毘古命が即位して神武天皇となります。

 

これをそのまま史実とするわけにはいきませんので、神話で示しているものを推理してみます。

 

そうすると、国津神の支配から天津神の支配という交代があったことを示しています。
多少の軍事衝突はあるものの、各地の土着勢力を根絶やしにするようなことはしていません。

 

比較的緩やかな交代になったといえます。

 

現代の生物学でどこまでわかるのか

 

遺伝子

子供が親に似ているのは、遺伝子を受け継ぐためです。
この遺伝子の存在に気づいたのが、メンデルの法則で有名なオーストリア修道士のグレゴール・ヨハン・メンデルです。

 

メンデルは、えんどう豆の交配によって、子孫に遺伝情報が伝わることを突き止めました。

 

同じ時期にスイスの生理・生化学者であるヨハネス・フリードリヒ・ミーシャが、白血球の核から有機化合物を発見します。
これはDNAと名付けられました。

 

そしてドイツの細胞学者であるヴァルター・フレミングが、細胞内の染色体を発見します。

 

さらに、アメリカの遺伝学者であるトーマス・ハント・モーガンが、ショウジョウバエの突然変異の実験を繰り返し、遺伝情報を伝えているのは染色体であることに気付きを得ました。

 

染色体は、タンパク質とDNAから構成され、そして子供から親に受け継ぐ遺伝情報はDNAによって構成されます。
DNAを構成するのは、有機化合物であるアデニン、シトシン、グアニン、チミンの4つ塩基がらせん階段のように配列されたものです。

 

そのらせん階段が2本絡まっているため、これを「二重らせんモデル」といい、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが発表しました。

 

ヒトの細胞

ヒトの細胞には、それぞれ核があります。
その核の中には、46個の染色体が入っており、一つ一つDNAが出来ています。

 

ヒトの生殖細胞の核にもDNAが格納されています。
しかし卵子や精子の生殖細胞のDNAは46本ではなく半分の23本です。

 

卵子が精子と受精することで、両方の遺伝子の半分が組み合わされ、新しいDNAが構築され、子供が誕生します。
だから子供は親に似ることになるわけです。

 

ヒトの誕生

 

チンパンジーの突然変異

ヒトとチンパンジーのDNAは98%以上が同じです。
700万年前のアフリカにチンパンジーのDNAに突然変異が起こります。

 

そしてその突然変異によって初期のヒトである猿人(アウストラロピテクス)が登場します。
そこからさらにDNAの突然変異によって次のようなヒトが出てきました。

 

猿人(アウストラロピテクス)
原人(ホモ・エレクトゥス)
旧人(ホモ・ネアンデルターレンシス)
新人(ホモ・サピエンス)

 

現在のヒトはホモ・サピエンスです。
ホモ・サピエンスは、旧人であるネアンデルタール人と新人が共存し、その混血であることが明らかになりました。

 

Y染色体アダム

細胞の核には46個の染色体があり、その中に男女の性別差を決定する染色体が2個あります。

 

その染色体は、女性がXX、男性がXYです。
その染色体を両親から1つずつ受け継いでいます。

 

母親のXXのうちX、父親のXYのうちXの場合、女の子(XX)になります。
母親のXXのうちX、父親のXYのうちYの場合、男の子(XY)になります。

 

このようにY染色体は、男性だけが受け継ぎます。
これによって男性を辿ることができ、男系の祖先をY染色体アダムといいます。

 

Y染色体アダムは、約20年前の1人に行き着くと推定されます。

 

ミトコンドリア・イヴ

ミトコンドリアは、細胞の中にあるもので、糖や脂肪をエネルギーに変える役割があります。

 

このミトコンドリアは、受精したあと精子にあるミトコンドリアが卵子の中で解体され、卵子にあるミトコンドリアが子供に引き継がれます。

 

つまりミトコンドリアは、女性から受け継ぐことになります。
これによって女性を辿ることができ、人類共通の女系の祖先をミトコンドリア・イブといいます。

 

ミトコンドリア・イブもY染色体アダムと同様に約20万年前の1人に行き着くと推定されます。

 

ミトコンドリアのハプロタイプ

ハプロタイプとは、染色体のDNA配列のことです。
そして同じような配列を持っているグループをハプログループといいます。

 

ハプログループの一番古いものがLのタイプで、すべてアフリカに存在しています。
20万年前のグループLがミトコンドリア・イヴです。

 

そこから、約7万年前にアフリカから出たグループからさらに2つのグループに分かれます。
これがユーラシアやオセアニアなどに広がり、さらに東アジアや南アジアに広がっていきました。

 

そして東アジアや南アジアに広がったグループがさらに枝分かれし、日本人、朝鮮人、モンゴル人などのタイプとなりました。
つまりミトコンドリアDNAから見ると、日本人は北東アジア人の一種になります。

 

Y染色体のハプロタイプ

Y染色体もハプロタイプがあり、ミトコンドリアのハプログループ同様にY染色体のハプログループがあります。

 

Y染色体の拡散は、例えば戦争によって勝利した男性達が、敗者の女性に子供を作らせることによって拡大されます。
つまり侵略され征服された民族によっては、極端に同じ種類のY染色体が多いということです。

 

東アジアで多いのは、漢民族や韓国人のグループでした。
そしてその他には、中国南部から東南アジアにかけて分布するグループです。

 

北部中国人では約50%、韓国人では約40%に達します。
中国南部から東南アジアにかけて分布するO2は、越人と呼ばれた長江文明の末裔と考えられています。

 

日本人は、漢民族系のグループと中国南部から東南アジア系のグループが拮抗していますが、もっとも多いのはさらに別のグループです。
そのグループが元々日本にいた縄文人のグループといえます。

 

主にその3種類のグループが日本人となります。

 

改めて日本人はどこから来たのか

 

征服による交代はあったのか

Y染色体の拡散は、侵略された民族によって極端に同じ種類のY染色体が多くなることをお伝えしました。

 

しかし日本人のY染色体のハプログループは、漢民族系、東南アジア系、縄文人系の3種類のグループがいます。

 

そのため、縄文から弥生への交代は、征服によるものではなく穏やかなものだったと推定が出来ます。

 

古事記や日本書紀からの推理

ここで古事記や日本書紀の内容を合わせて推理してみます。

 

・日本の神話に出てくる高天原にいる天津神の一族が、九州に降臨する天孫降臨の部分
これは、何らかの理由で中国から九州に漢民族系や東南アジア系のグループが来たものと考えられます。

 

縄文時代から弥生時代に代わる時期において大陸での大きな出来事は殷王朝から周王朝に変わったことが挙げられます。
つまり周王朝の成立によって大陸にいられなくなった人達が九州に来て稲作を伝えたのではないかということです。

 

・神倭伊波礼毘古命の東征の部分
稲作を伝えた漢民族系や東南アジア系のグループそしてそこに住んでいた縄文人系のグループが、さらに日本の各地に住む土着の勢力を平定させたのではないかといえます。

 

各地の土着で威力を根絶やしにはせず、多少の軍事衝突を経て協力することになったのだろうと思います。

 

この記事で学べること

 

記事のまとめ

いかがだったでしょうか。

 

歴史学は文献学といわれるように文献や文字を重視し、その背景にあるものを読み取っていく学問です。
しかしそもそも文献や文字のない時代であれば、歴史学のアプローチでどういう営みが行われていたかを見ることが出来ません。

 

そのため他のアプローチが必要です。
その1つが生物学によるアプローチで、DNAを元にして日本人がどこから来たのかを見ることが出来ます。

 

そして日本人には、漢民族系、東南アジア系、縄文人系の3種類のグループがいました。
そのことから縄文から弥生への交代は、古事記や日本書紀に出てくる土着の勢力である国津神の一族から高天原にいる天津神の一族に交代されたものと比定することが出来ると考えられます。

 

そしてその交代は、征服によるものではなく比較的穏やかなものだったと推定することが出来ます。

 

考えてほしいこと

この記事から考えてほしいことを質問します。

 

自分が今実際に行っていることや自分が関心に思っていることで、現在見ている見方とは違う見方をする場合、どのように見えるでしょうか?

 

その場合の理想の形はどのようなものでしょうか?

 

理想と現実の間にどのくらいの乖離があるでしょうか?

 
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昭和12年学会
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