歴史は単なる過去の記憶ではない、そこから何を学ぶことが出来るのか

 

書物

歴史とは単なる過去の記憶ではありません。

 

多くの人達の営みの積み重ねによって出来たものを叙述しているものです。

 

ここでは、歴史の意味するところをご紹介します。

 

 

 

歴史とは

歴史の定義

歴史は、過去に起こった出来事を記録したものと思いがちですが、単なる過去の記憶や記録ではありません

 

そこには、多くの人達が住む世界で体験してきたことを把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことを歴史といいます。

 

歴史を学ぶことは、経験だけで学ぶことが出来ない多くの人達の営みの知恵を学ぶことです。

 

歴史叙述のフォーマット

歴史叙述には、型つまりフォーマットがあります。

 

そのフォーマットに沿ってそれぞれの国では歴史が記されています。

 

フォーマットは大きく分けて2種類あります。

 

ヨーロッパの歴史叙述のフォーマット

ヨーロッパの歴史のフォーマットは、ヘロドトスが書いた「ヒストリアイ」です。

 

「ヒストリアイ」の内容は、ギリシアを始めとしてオリエント各地の成り立ちが記され、アケメネス朝ペルシアによる征服やペルシア戦争が記されています。
その特徴としては、ヨーロッパとアジアの敵対関係が叙述されているといえます。

 

そしてこの図式は、「旧約聖書」にも描かれています。

 

「旧約聖書」はユダヤ教の文献で、一地域のみしか広がりはありませんでした。
これが392年のローマ帝国のコンスタンティヌス帝によるキリスト教の国教化によって、「旧約聖書」や「新約聖書」が地中海地域において、重要なものとなりました。

 

「旧約聖書」は、ヤハウェ神とイスラエルの民との契約を主題としており、一見歴史のように見えますが歴史ではありません。
そして「新約聖書」にある「ヨハネの黙示録」は、紀元1世紀末、ローマ皇帝ドミティアヌスの治世に書かれた予言の文献です。

 

ドミティアヌスの父であるウェスパシアヌスは、ユダヤ戦役においてユダヤ人の反乱を討伐し、エルサレムを攻略しました。
この「ヨハネの黙示録」は、ローマに対するユダヤ人の憎悪が最高潮に達した時期に書かれた文献でもあります。

 

そのため、善を表す神と悪を表すサタンとの最終戦争が描かれています。
これはペルシアのゾロアスター教の善悪二元論の思想の影響が出ています。

 

そしてヘロドトスのヨーロッパとアジアの敵対関係という歴史観とキリスト教の善と悪の対立関係は一致します。
この歴史観のもと、十字軍や大航海時代から始まる植民地など、白人が他の人種よりも優れているという部分にも繋がっていきます。

 

中国の歴史叙述のフォーマット

中国の歴史のフォーマットは、司馬遷が書いた「史記」です。

 

「史記」の内容は、五帝、夏、殷、周そして秦が描かれますが、いわばこの時には中国と呼べる世界は存在していません。
それは、五帝は神々であり、夏は東南アジア系の文化をもった「東夷」であり、その夏を征服した殷は東北アジア系の狩猟民「北狄」でした。
そして殷を征服した周は北アジア系の遊牧民「西戎」であり、その周を征服した秦も同じく西戎です。

 

つまり紀元前221年の秦の始皇帝による「天下」の統一以前には、まだ中国と呼べるような世界がありませんでした。

 

そういった実情は別にして、「史記」で重要視されているのは「正統」であるという点です。
どんな勢力でも実力だけで支配するのは不可能で、被支配者の同意を得るための法的根拠が必要となります。

 

その根拠は、世襲でした。
五帝の子孫は黄帝です。
次の堯は舜に、舜は禹に禅譲という形で、早くも世襲が途絶えつつも繋いでいきます。

 

そしてその後の歴史では、殷の湯王によって夏が倒され、次の周の武王は殷を倒します。
これはどのような正統性に基づくかというと、

 

徳を失った王朝が衰え、天が見切りをつけたときに、天が命(めい)を革(あらた)めることで、新たな王朝が天から命を受けます。

 

新たな徳を備えた一族が王朝を立てることで、「姓が易わる」ことになり、次の王朝へと移り変わります。
これを「易姓革命」といいます。

 

つまり、禅譲と武力による王位簒奪をすることに正統性を与えられ、それが中国の歴史観になりました。
中国の歴史が王朝交代を繰り返し現在に至るというのは、この歴史観に基づくためとなります。

 

 

日本の歴史

日本は地理的に朝鮮半島や中国と近いことから、中国の歴史観に似る部分があります。
それは、日本の建国が、隋の煬帝に送った国書やその後の唐帝国に対抗し、その皇帝の支配から脱して、護ることが必要なためです。

 

そのことから日本最初の正史である「日本書紀」を始め17世紀から20世紀の初めまで編纂が続いた水戸藩の『大日本史』まで、「正史」の伝統的な枠組みが存在しており、この枠組みは司馬遷の「史記」と似ています。

 

しかし無批判に中国の歴史観を受け入れているわけではなく、そこに日本的なものが入っています。

 

それは日本の天皇の正統性の根拠が、世襲であり今も続く万世一系の血統としている部分です。

 

 

この記事で学べること

いかがだったでしょうか。

 

歴史は、ヨーロッパと中国で叙述の仕方が違います。

 

どのような視座で、どのような立場に立っているかを知った上で、歴史を見ると見方も変わってきます。

 

より客観的に起きたことから学びを得るとしたら、その歴史観を知った上で見ると良いです。

 

この記事のおすすめ本

歴史とはなにか(文春新書)(岡田 英弘)


 
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