建国の詔

    このエントリーをはてなブックマークに追加  

建国の詔

口語訳

我れ東を征(う)ちしより茲に六年、皇天(あめのかみ)の威(いきおい)を頼りて、凶徒就戮(ころ)されぬ。邊(ほとり)土(くに)未だ清(しず)まらず、餘(のこり)妖(わざわい)尚梗(こわ)しと雖も、中洲(なかつくに)の地に復(ま)た風塵(さわぎ)無し。誠に宜しく皇都(みやこ)を恢(ひらき)廓(ひろ)め大壯(みあらか)を規(はかり)模(つく)るべし。今運此(よこ)の屯(わかく)蒙(くらき)に属(あ)ひ民(おおみたから)の心朴素(すなお)なり。巣棲(すにすみ)穴に住み、習俗惟常(かむながらのつね)となれり。夫れ大人(ひじり)の制(のり)を立て、義(ことわり)必ず時に従う。苟(いやし)くも民に利(くぼさ)有らば、何ぞ聖造(ひじりのわざ)に妨(たが)わむ。且た当(まさ)に山林を披(ひ)き払い宮室(おおみや)を経営(おさめつく)りて、恭みて宝位(たかみくら)に臨み、以て元元(おおみたから)を慎むべし。上は則ち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまいし徳(うつくしび)に答え、下は即ち皇孫の正(ただしきみち)を養いたまいし心を弘(ひろ)めむ。然して後に六合(くにのうち)を兼ねて、以て都を開き、八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為すこと、亦可(よ)からずや。夫の畝傍山の東南の橿原の地を観れば、蓋し国の墺區(もなかのくしら)か、之を治るべし。

 

出典:黒板勝美編『日本書紀:訓読.中巻』(岩波書店、一九三一) P24−25
森清人『大日本詔勅謹解.第1』(日本精神協会、一九三四) P14

 

現代語訳

東征から六年になった。天神の勢いを頼り凶徒は殺された。しかし周辺の地はまだ治まらない。残りのわざわいはなお根強いが、中洲(なかつくに)の地は騒ぐものもない。皇都をひらきひろめて御殿を造るべきである。しかしいま世の中はまだ開けていないが、民の心は素直である。人々は巣に棲んだり穴に住んだりして、そこの習わしが変わらずにある。そもそも大人(ひじり、聖人)が制(のり)を立てて、道理が正しく行われる。民の利益となるならば、どんなことでも聖(ひじり)の行うわざとして間違いはない。まさに山林を開き払い、宮室(おおみや)を造って謹んで尊い位につき、民を安ずべきである。上は天神の国をお授け下さった御徳に答え、下は皇孫の正義を養われた心を弘めよう。その後国中を一つにして都を開き、天の下を掩(おお)いて一つの家とすることは、また良いことではないか。かの畝傍山の東南の橿原の地を見れば、国の真中(もなか)である。ここに都を造るべきである。

この記事はお役に立ちましたでしょうか。
この記事が誰かの役に立ちそうだと感じて頂けましたら、下のボタンから共有をお願い致します。

    このエントリーをはてなブックマークに追加  


ページの先頭へ戻る