神功皇后が天皇から外される

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神功皇后が天皇から外される

口語訳

大正十五年十月二十日 水曜日 午前九時四十五分御出門、宮城に御出務になる。十時五分、枢密院会議に御臨場になる。「長慶天皇を皇代に列せらるるの件」が審議され、全会一致にて可決される。この結果を受け、この日長慶天皇を歴代大統中に列する件を御裁可になる。これより先、帝室制度審議会において皇統府令案の再査を行うに当たり、御歴代数その他重要の史実につき、いまだ疑似に渉るものがあり、その解決を待たなければ同案の施工を全うすることが出来ないとして、帝室制度審議会総裁伊東巳代治は、同会総会に諮った上で、史実を明確にするための調査機関特設の議を宮内大臣牧野伸顕に具申した。その建議が採用されて大正十三年三月七日臨時御歴代史実考査委員会が設置され、翌八日、同会総裁に伊東巳代治が、委員として倉富勇三郎・平沼騏一郎・岡野敬次郎・三上参次・関屋貞三郎・二上兵治・入江貫一・三浦周行・黒坂勝美・杉栄三郎・辻善之助・坪井九馬三・和田英松が任じられた。(P548)
同年四月二十一日、宮内大臣牧野伸顕より左の三項が同会に諮問された。
  一、神功皇后を皇代に列すべきや否
  一、長慶天皇を皇代に列すべきや否
  一、宣仁門院中和門院及明子女王は其の取扱を皇后と同一にすべきや否
その他、右の諮問に附帯し、左の八項目にわたり参考として意見が求められた。
  一、皇統譜中太古の神系は之を神武天皇の前に特書すべきや否
  一、安閑天皇御即位の年紀は辛亥甲寅何れに決すべきか
  一、天智天皇持統天皇の称制年間は御在位中と見るべきや否
  一、安徳天皇の御在位年数後鳥羽院天皇登極の時期は如何に定むべきか
  一、後小松院天皇の践祚即位は之を皇統譜に掲記すべきや否
  一、天皇御追号中の院字は之を省くべきや否
  一、我国古代に於ける皇位継承の際の空位は之を如何に取扱うべきか
  一、帝后及皇族の生誕崩薨の日時は事実に依るべきか又発表の日時に依るべきか或は之を併存すべきか
また、宮内大臣より伊東総裁に対し、弘文・仲恭両天皇に関しては、すでに御歴代に数え、皇霊殿に奉祀されているため、今更問題にすべからざることなどの指示があった。委員会においては、諮問事項及び附帯事項を調査審議し、諮問事項の第一に対しては皇代に列せざるを可とし、第二に対しては皇代に列せらるべきものなりとし、第三に対しては皇后と同一の取扱をなすべからずとし、それぞれ詳細の理由を付して答申、附帯事項に関してもそれぞれ答申した。
そもそも、後村上天皇と後亀山天皇との間に長慶天皇が帝位に即かれたか否かについては、事蹟が明確ではなく、御在位説と御在位否認説の両説があり、それぞれ、主張するところは詳細ではあるが、いずれの議論も根拠薄弱にて、それまで御在位か否を確定することはできなかった。ところがその後、故富岡謙蔵所蔵「新葉和歌集奥書」、佐佐木信綱所蔵「畊雲千首奥書」、侯爵前田利為所蔵「嘉喜門院集袖書」等長慶天皇の御在位を確証付ける有力な新史料の発見があり、臨時御歴代史実考査委員会は、これらの根拠をもとに長慶天皇を皇代に列せらるべきものと認むる旨を宮内大臣に答申した。宮内大臣一木喜徳郎は、御歴代大統中に御一代を加えることは皇室の大事にして、詔書を以って宣誥せらるべきものとして詔書案を附し、内閣総理大臣との合議を経て、本年八月十日「長慶天皇を皇代に列せらるるの件」を枢密顧問諮詢せられることを摂政に奏請した。(P549)よって摂政は、即日御裁可になり、既記の如くこの日枢密院会議において全会一致を以て可決された。明二十一日、皇統譜令公布と同時に官報号外を以て左の詔書が公布される。
 朕惟ふに長慶天皇在位の事蹟は史乗の紀述審ならさるものあり今や在廷の臣僚に命し深究精覈せしめ其の事蹟明瞭なるに至れり乃ち大統中同天皇を後村上天皇の次に列す茲に之を宣示す。

 

出典:宮内庁編『昭和天皇実録 第四』(東京書籍、二〇一五) P547〜550

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