伊藤博文が書いた憲法の解釈書、憲法義解の現代語訳を読んでみよう

 

憲法義解表紙

伊藤博文を中心に大日本帝国憲法が策定され、枢密院での審議を経たのち、明治22(1889)年2月11日に明治天皇より、公布されることになりました。
その帝国憲法が策定された際に、帝国憲法の条文の根拠や解釈書として憲法義解(けんぽうぎげ)が作られています。

 

また伊藤博文が帝国憲法を作る際に、日本の歴史、伝統、文化を踏まえてその中の大切なものを成文化したものです。
その解釈には、日本の歴史、伝統、文化の要素が多く入っていることから憲法そして憲法典を知る上では読んでおいた方が良い本となります。

 

ここでは、憲法義解の全文を現代語訳にしてご紹介します。

 

目次

 

 

憲法義解

憲法義解

密かに思うには、皇室典範は
歴代天皇が残された教訓を受け継いで記し、
後世へ常軌しめしおくるもので、帝国憲法は国家の大経を綱挙(大綱を掲げること)して、君民の区別を明確にする。意義は精確で明らかであり、日や星のように文理は奥深く、書かれた言葉の美しさを誉め称えるところは無い。これは全て、遠くまで見渡した大いなる計画で、ひとえに聖裁によるところで有る。博文、密かに属僚とともに研磨考究した事を、余さず記録して筆記とし、原稿を判り易く繕写して、名づけて義解という。敢えて大典の解説や説明とするのではなく、いささか備考の一つに付け加えられる事を冀うだけである。もしそれ、精通し類推して意味を押し広めて解き明かす事は、後の人に望む事であり、博文の敢えて企てる所ではない。謹んで書き記す。
明治二十二年四月 伯爵 伊藤博文

 

大日本帝国憲法義解

恭んで考えるには、わが国の君主と民の区別はすでに建国の時に定まっている
中世ではしばしば、変乱を経て、政治上の綱紀の統一を緩めてしまったが、大命が下り維新において、皇運が盛んになり、五箇条の御誓文などの詔を公布し、立憲政治の大いなる計画を宣言された。
上は元首の大権を統一し、下は臣民の力を伸ばされ、それは国務大臣の補佐と帝国議会の協賛によって各機関にそれぞれの役割を果たさせる。そして臣民の権利及び義務を明らかにして、益々その幸福を増進させることを確信する。これは皆、歴代天皇の偉業によるものであり、その源を解き明かして、その流れに通じるものである。

 

 

第一章 天皇

恭んで考えるには、天皇の位は歴代天皇より承継し、これを子孫へと伝えていくものである。国家統治権が存在するところである。
そうして、憲法にとくに大権を掲げて条文に明記するというのは、憲法によって新しく設けてその意味を表すことではなく、日本固有の国体は憲法によって益々強固になることを示すものである。

 

第一条 大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す

(大日本帝国は、万世一系の天皇が統治する)

恭んで思うには、神武天皇が建国されて以来、時には盛衰があり、世に治世と乱世がありはしても、皇統が一系で即位されてきたことは、天地と同じく終わりがない。本条は、最初に立国の大義を掲げて、我が日本帝国は一系の皇統とともに終始し、今も昔も永遠にあり、一体であって二体ではなく、常であって変わることがないことを示し、それにより君主と民の関係を永遠に明らかにする。
統治は、天皇がその位にあって、大権を統一し、国土と臣民を治めることである。日本書紀には、天祖(天照大神)の勅を挙げて、「瑞穂の国は我が子孫の王たる者の地である。宜しく皇孫を皇位に就かせ治めなさい」といわれた。また、神祖(神武天皇)を称えて祭り始御国天皇(はつくにしらすすめらみこと)といわれた。日本武尊の言葉に「私は纏向(まきむく)の日代宮(ひしろのみや)にましまして大八島国(おおやしまのくに)を治めておられる大帯日子淤斯呂和気天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)の御子である」とある。文武天皇(もんむてんのう)即位の詔に「天皇の御子がお生まれになると次々に大八島国をお治めになってきたのに続いて」とおっしゃり、また「天下をあるべき姿になさり、公民に対して恵みなさり慰めなさる」とおっしゃった。
代々の天皇は、皆このことによって国を受け継いでいくための大訓となさり、その後の「大八州(おおやしま)しろしめす天皇(すめらみこと)」ということで、詔書の例式とされた。
いわゆる「しらす」とはすなわち統治の意味に他ならない。思うに、歴代天皇はその天から命じられた職務として重んじ、君主の徳は八州の臣民を統治するためにあって、一人一家に奉仕する私事ではないことを示された。これは、この憲法の拠りどころであり、基礎とするところである。
我が帝国の勢力圏は、古に大八島というのは淡路島(現在の淡路)、秋津島(本島)、伊予の二名島(四国)、筑紫島(九州)、壱岐島・津島(対馬)、隠岐島・佐渡島であると、『延喜式』に記載されている。景行天皇が東の蝦夷を征伐し、西の熊襲を平定し、国土が大いに定まった。推古天皇の時には百八十余の国造(くにのみやつこ)が置かれ、『延喜式』では六十六国及び二島の区画を載せている。明治元年、陸奥・出羽の二国を分けて七国にし、北海道に十一国を置く。これにより全国合わせて八十四国となった。現在の国土は、実に古のいわゆる大八島、『延喜式』の六十六国及び各島、並びに北海道・沖縄諸島及び小笠原諸島からなる。思うに、土地と人民とは国を成立させる根本であり、一定の国土は一定の国家を成り立たせ、そして、一定の憲法がその間で行われる。ゆえに、一国は一個人のように、一国の国土は一個人の身体のようなものであり、統一された完全な版図をなしている。

 

第二条 皇位は皇室典範の定むる所に依り皇男子孫之を継承す

(皇位は皇室典範の定めに従い、皇統の男系男子が継承する)

恭んで考えるに、皇位の継承は歴代天皇以来、既に明快な教えがある。それを皇子孫に伝え、永遠に変わることがない。もし継承の順序においては、新たに勅定する皇室典範において、細かに記載し、それを皇室の家法として、さらに憲法の条文に掲げなかったのは、将来にわたって臣民の干渉を受けないことを示すためである。
皇男子孫とは、歴代天皇の皇統における男系男子をいう。この条文は皇室典範の第一条と照らし合わせるとわかる。

 

第三条 天皇は神聖にして侵すへからす

(天皇は神聖であり侵してはならない)

恭んで考えるには、『日本書紀』神代紀には、天地が別れて天皇の位が定まったとある。思うに、天皇は天から許された神のままの至聖として臣民や群集の前に存在され、仰ぎ尊ぶべきであり、干犯してはならない
故に、君主は言うまでもなく法律を敬重しなければならないが、法律は君主を責問する力をもっていない。不敬によってその身体を侵してはならないだけでなく、指摘や非難、議論したりする対象外である。

 

第四条 天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行ふ

(天皇は国の元首であり、統治権をすべて掌握し、この憲法の条文により統治を行う)

恭んで考えるには、統治の大権は天皇が歴代天皇から承継し、これを子孫に伝えていく
立法や行政を統べることは、すべて国家を治め、臣民をいたわり安らかにするものであって、至尊たる天皇のもと一つに、すべて綱領を集めるのは、例えば人の身体には四肢と多くの骨があるが、精神の連絡経絡はすべてその源を脳に取ることと同じである。ゆえに大政の統一は、個人の心が二つや三つないのと同じである。
ただし、憲法を発布し君民がともに守る法典とし、その条文に従って誤らず忘れないような固い意志を明らかにされるのは、すなわち、天皇自身天から命じられた職務であることを重く受け止め、世が変わっても永遠に受け継がれ大成する者である。
思うに、統治権を総攬するのは、主権の実体ある。「憲法の条規に依り之を行ふ」は運用である。実体があって運用がなければ、専制に陥って統治権は効力を失う。運用があって実体がなければ、散漫になってしまい効力を失う。
附記:ヨーロッパで最近政治理論を論ずる者の説が言うには、「国家の大権は大別して二つである。立法権と行政権である。それから司法権は行政権の支派である。この三権はそれぞれの機関の補佐によって行うことになるが、ひとえにすべて元首を源とする。
思うに、国家の大権は国家の意思を体現した元首が統べることがなければ、有効に機能することはできなくなる。憲法はすなわち国家の各部機関に向けて適当な役割を与え、その連絡機能を持たせるものであって、君主は憲法の条文によって、その天から命じられた職務を行う者である。
それゆえに古代ローマで行われた、無制限に権力を握っていることは、立憲主義ではない。それから西暦十八世紀末に行われた三権を分立して君主は行政権を行使するという説は、立憲国家の正当な解釈を誤るものである」と。
この説は我が憲法の主義と合致するものであるので、ここに附記して、参考に当てる。

 

第五条 天皇は帝国議会の協賛を以て立法権を行ふ

(天皇は帝国議会の協賛により立法権を行使する)

恭んで考えるには、立法は天皇の大権に属しており、そのためこれを行使するには必ず議会の賛成や協力による
天皇は、内閣に起草させ、あるいは議会が提出した法案により、両院の同意を経た後に、これを裁可して初めて法律となる。
ゆえに至尊たる天皇は行政の中枢であるばかりでなく、立法の淵源でもある。
(附記)これをヨーロッパの制度を参考にすると、百年以来、偏った理論ひとたび時代の変化と投合して、立法について議会の権利に帰したり、あるいは法律によって上下の約束として、君民共同の事柄とすることを重点にするというのは、要するに主権によって国家を一つにするという大義を誤るものであることを免れない。
我が建国の体において国権の出所は一つであって二つではないことは、例えば、人体において主の一つの意思によって身体全体の骨を動かすようなものである。そのため議会の設置は、元首の機能を完全にするために助け、国家の意思をよく鍛えて強くしていく効用を見るためにほかならない。
思うに、立法の大権はもとより天皇が掌握されるところであり、議会は協力や参加の任にある。天皇が本で議会が末であるという関係は厳然として、乱れるようなことをしてはならない。

 

第六条 天皇は法律を裁可し其の公布及執行を命す

(天皇は法律を裁可して、その公布と執行を命じる)

恭んで考えるには、天皇は法律を裁可し、形式に則って政府に公布させ、さらに執行の処分を命令する。裁可によって立法は完結し、公布により臣民が遵守すべき効力が生じる。
これは、すべて至尊たる天皇の大権である。
裁可の権限がすでに至尊たる天皇に属すときは、不裁可の権限もこれに従うことは、言うまでまないことである。裁可は天皇の立法における大権の発動するところである。
ゆえに議会の協力と賛成を経ているといえども、裁可がなければ法律として成立しない。
思うに、古の言葉に「法」を「宣(のり)」と読む。『播磨風土記』に、「大法山、応神天皇がこの山において大いなる法を宣明された。それゆえに大法山という」とある。
言葉は、古くから伝わる遺された話や風俗を明らかにする一大資料である。
そのため法律はすなわち天皇の言葉であることは、古人がすでに一定の解釈があって、誤りのないものである。
(附記)これをヨーロッパの制度を参考にしてみると、君主が議会の法案の議決を拒む権限について論じた説は一つではない。イギリスにおいては、拒否権を君主の立法権に属すものとし、君主・上院・下院の三体の平衡を保つ証としている。フランスの学者は、行政権が立法権に対して制約する権限としている。
そもそもヨーロッパのいわゆる拒否権は消極的なものとみなし、立法は議会であり、これを拒否する者は君主である。
これは君主の大権を行政の一部分に限定するか、あるいは君主は立法の一部分を占めるかの論理にすぎない。
我が憲法は、法律は必ず天皇の命によるという積極的なものとみなしている。
ゆえに裁可によって初めて法律として成立する。それはただ天皇の命による。
ゆえに裁可しない権限もある。
これは、ヨーロッパの拒否権と似ているが、実は雲泥の差があるものである。

 

第七条 天皇は帝国議会を召集し其の開会閉会停会及衆議院の解散を命す

(天皇は帝国議会を召集し、その開会、閉会、停会及び衆議院の解散を命じる)

恭んで考えるには、議会を召集するのはもっぱら至尊たる天皇の大権に属する。
天皇の召集によらず議院自らが集まり会議することは憲法の認めるところではない。
そのためその議論や議決するすべての効力がないものとする。
召集の後、議会を開閉し、両院の始めと終りを制するのは、至尊たる天皇の大権による。
開会の初めに、天皇自ら議会に臨み、または特命勅使を派遣して勅語を伝えさせることを形式とし、そうして議会の議事を開始するのは、必ずその後に行う。
開会の前や閉会の後において議事を行うことは、すべて無効とする。
停会は、議会の議事を中断させることである。期限のある停会は、その期限を経て会議を継続する。
衆議院を解散するのは、新たに選ぶ議院に向けて、世論がどこにあるかを問うためである。
これに貴族院を対象としないのは、貴族院は停会すべきであり、解散すべきではないからである。

 

第八条 天皇は公共の安全を保持し又は其の災厄を避くる為緊急の必要に由り帝国議会閉会の場合に於て法律に代るへき勅令を発す

 此の勅令は次の会期に於て帝国議会に提出すへし若議会に於て承諾せさるときは政府は将来に向て其の効力を失ふことを公布すへし

(天皇は、公共の安全を保持し、または災厄を避けるため緊急の必要によって、帝国議会が閉会中の場合に法律に代わる勅令を発する

 この勅令は、次の会期に帝国議会に提出しなければならない。もし、議会において承認されなければ、政府は将来に向かって効力を失うことを公布しなければならない)


恭んで考えるには、国家が急迫の事態に臨んで、または国民に凶作や疫病その他の災害が発生した時、公共の安全を保ち、その災厄を予防や救済するために、力の及ぶ限り必要な処分を施さないわけにはいかない。この時に議会がたまたま開会していなければ、政府は進んでその責任をとり、勅令を発して法律に代え、手抜かりのないようにするのは、国家の自衛と保護するために、もとよりやむを得ないものである。
ゆえに先の第五条において、立法権の行使は議会の協力と賛成を経なければならないとするのは、常の状態を示すものである。
本条において勅令を法律に代えることを許すのは、緊急時のために例外を示すものである。これを緊急命令権という。
そもそも緊急命令権は憲法の許すところであるが、憲法のもっとも濫用を戒めるところである。
憲法は公共の安全を保持したり災厄を避けたりするために、緊急で必要な限り、この特権を用いることを許すが、利益を保護し幸福を増進するという通常の理由によって、これを濫用することを許していない。
ゆえに緊急命令を発するにあたっては、本条に準拠すると宣告する形式をとるべきである。
もし、政府がこの特権に頼り、容易に議会の公議を回避する方便として、また容易に既定の法律を破壊するに至ることがあれば、憲法の条文は空文に帰し、臣民の権利を保障することができなくなる。
ゆえに本条は、議会をこの特権の監督者として、緊急命令を事後に検査して承諾させる必要があることを定めている。
本条は憲法の中でもっとも疑問の多いものだと思われる。
そこで逐一問いを設けて解釈したいと思う。
第一の問、この勅令は法律の欠けている部分を補充することに止まるのか、または現行の法律を停止し、変更し、廃止することができるのか。
答え、この勅令はすでに憲法により法律に代わる効力を有することが認められているから、おおよそ法律でできることは、すべてこの勅令においてもできることである。ただし、次の会期において議会がもし承諾しなかったときは、政府はこの勅令の効力が失うことを公布すると同時に、その廃止や変更した法律をすべて、元の状態に戻さなければならない。
第二の問、議会においてこの勅令を承諾するとき、その効力はどのようになるのか。
答え、さらに公布しなくても、勅令は将来に渡って法律としての効力を継続することができる。
第三の問、議会においてこの勅令の承諾を拒むときは、政府は将来効力を失う旨の公布をする義務を負うのはなぜか。
答え、公布によって初めて人民が遵守する義務を解除されるからである。
第四の問、議会はどのような理由により、その承諾を拒否することができるのか。
答え、この勅令が憲法に矛盾し、本条に掲げた要件を欠いていたりすることを発見したとき、その他の立法上の意見によって、承諾を拒否することができる。
第五の問、この勅令をもし政府が次の会期に議会に提出しなかったとき、あるいは議会が承諾を拒否した後に政府が廃止された旨を公布しなかった場合はどのようになるか。
答え、政府は憲法違反の責任を負うことになる。
第六の問、議会がもし承諾を拒否したときは、以前にさかのぼって勅令の効力の取り消しを求めることができるのか。
答え、憲法はすでに君主が緊急勅令を発して法律に代わることを許可しているから、その勅令が存続している間は、効力を有することは当然である。
ゆえに議会がこれを承諾しないときは、単に将来において法律として継続の効力を有することを拒否できるだけである。
そのため、過去に拒否の効力を及ぼすことはできない。
第七の問、議会は、勅令を修正して承諾することができるのか。
答え、本条の正文によれば、議会は承諾するかしないかの二択のうち一つを選ぶことができるだけである。だから、修正することはできない。

 

第九条 天皇は法律を執行する為に又は公共の安寧秩序を保持し及臣民の幸福を増進する為に必要なる命令を発し又は発せしむ但し命令を以て法律を変更することを得す

(天皇は、法律を執行するため、または公共の安全や秩序を保持し、臣民の幸福を増進するために、必要な命令を発し、出させることができる。ただし、命令によって法律を変更することはできない)

恭んで考えるには、本条は行政命令の大権を掲げたものである。
思うに、法律は必ず議会の協力と賛成を経て、命令はもっぱら天皇の裁定によって出される。
命令の発する目的は二つある。
一つ目は、法律を執行するための処分と詳細を規定する。
二つ目は、公共の安全や秩序を保持し、臣民の幸福を増進するために必要なことを行う。
これはすべて至尊たる天皇の行政大権によるもので、法律の規定や手続によらず、一般的に従うべき条規を設けることができる。
思うに、法律と命令は等しく臣民に尊守義務を負わせるものである。
ただし、法律は命令を変更できるが、命令は法律を変更することができない。
もし双方が矛盾することがあれば、法律は常に命令の上に効力を有するべきものである。
命令は等しく至尊たる天皇の大権による。その中でも勅裁によって出され、天皇の署名を経たものを勅令とする。
その他内閣や各省の命令は、すべて天皇大権の委任による。
本条に「命令を発し又は発せしむ」というのは、この両方の命令を合わせて指し示している。
前条に掲げた緊急命令は、法律に代わるものとすることができる。
本条に掲げる行政命令は法律の範囲内で処分し、または法律の欠けている部分を補充することができるが、法律を変更したり、憲法に法律を要するととくに掲げている事案を規定することはできない。
行政命令は常時に用いるものであり、緊急命令は非常時に用いるものである。
(附記)これをヨーロッパの制度に参考すると、命令の範囲を論ずる者の考えは一つではない。
第一に、フランス・ベルギーの憲法は、命令の範囲をもっぱら法律の執行にとどめ、そしてプロイセン憲法もまた模倣しているが、君主の行政大権を狭い範囲で制限するという誤った考えであることを免れない。
思うに、いわゆる行政は法律の条則を執行するのにとどまらない。
なぜならば、法律は普通規範として大原則を定める働きがあるが、そして様々な事物の活動に対して、逐一それに応じた処置を指示することはできないからである。
あたかも一個人の決めた志は、行動の方向性を指導すべきといえども、変化は極まりない事態に順応して、その時宜を誤らないのは、また必ずその時々の思慮を要するようなものである。
もし、行政を法律の執行という範囲に限りとどまらせると、国家は法律の欠けた部分において当然すべき職務を尽くすための手段がないことになる。
ゆえに、命令はただ法律の執行の作用にとどまらず、時宜の必要に応じて、立法とは別の固有の意思を発動することである。
第二に、安寧秩序を保持することが行政命令の唯一の目的と論じる者があるが、これは行政の範囲を定めるために適当な解釈を欠くものである。
思うに、古来のヨーロッパ各国政府は、安寧を保持することを最大の職務とし、内治においては、ひとえに一時しのぎを主としてきたのであり、人類の文明がようやく開け政治が益々進むにつれて、経済や教育の方法で、人民の生活や知識を発達させ、その幸福を増進する必要性を発見するに至った。
ゆえに行政命令の目的は、警察のみという消極的手段にとどまらず、さらに一歩進めて、経済上で国民を富殖し、教育上でその知識を開発する積極的手段を取ることを務めなければならない。
ただし、行政は元来、各人の法律上の自由を犯してはならない。
その適当な範囲で導き助け、その発達を喚起すべきである。
行政は元来、法律がすでに定めた制約を超えないように、法律を保護し、それにより国家の職責をしかるべき範囲内に尽くすべきである。

 

第十条 天皇は行政各部の官制及文武官の俸給を定め及文武官を任免す但し此の憲法又は他の法律に特例を掲けたるものは各々其の条項に依る

(天皇は、行政の各組織の制度や文武官の給与を定め、文武官を任免する。ただし、この憲法、または他の法律で特例を既定した場合は、その条項に従う)

恭んで考えるには、至尊たる天皇は建国の必要により、行政各部の官局を設置して、その適当な組織及び職権を定めて、文武の人材を任用したり罷免したりする大権を行使する。
これを始まりの歴史から考えてみると、神武天皇が大いなる事業を定めて国造(くにのみやつこ)、県主(あがたむし)を置く。
これが官を定めた初めとして歴史に見えるものである。
孝徳天皇が八省を置き、職官が大いに整備された。
明治維新の初めに、大宝律令の旧制度から職官を増減するところがあった。
その後、しばしば増設され、それを経て、官制と俸給の制度を定められた。
そうして、大臣は天皇自らが任免するところである。
勅任以下の高等官は、大臣の上奏により、裁可して任免する。
等しくみな至尊たる天皇の大命より出ないものはない。
ただし、裁判所及び会計検査院の構成は、勅令によらず法律で定め、
裁判官の罷免は裁判によって行うのは、憲法及び法律の掲げる特例によるものである。
官を分割し役職を設けることが天皇大権に属するため、俸禄を給与することも、また附属すべきものである。
(附記)これをドイツの歴史から考えると、かつて官吏の任免はもっぱら君主及び長官の随意に任せていたが、十七世紀になって帝国大裁判所の裁判官は、裁判によらなければ罷免することができないとして、この原則を帝国参事官にも適用した。
その後、十八世紀に至って行政官吏の任職もまた、裁判による確定権利に属するという説が行われ、往々にして各国の法律に採用するところとなったが、十九世紀初め、官吏は俸給について確定権利があるといえども、任職についてはない、ゆえに俸給または恩給を与えて、その職を罷免するのは、行政上の処分で十分という説を論じる者がいる。
この論理は、初めバイエルンの官吏の職制法に掲げられるところになり、政府は懲戒裁判によらずに行政上の便宜によって、官吏の階級及び階級に相当する俸給を残し、その職務、職務に相当する俸給及び服務を解除することができるようになった(1818年法)。
ただイギリスだけは、ドイツ領邦国とは元来異なっており、ある一部の官吏を除いて、君主は随意に文武官を任免する特権があるものとしているのは、今も昔と変わらない。

 

第十一条 天皇は陸海軍を統帥す

(天皇は、陸海軍の最高指揮権をもつ)

恭んで考えるには、太祖たる神武天皇がこの国を建国し、物部、靫負部、来目部を統率して、その後、歴代天皇は内外に事が起これば、自ら兵を率いて征討の労をとり、あるいは皇子、皇孫を代わりに行かせ、そうして臣、連はその武将を務めた。
天武天皇は兵政官の長を置き、文武天皇は軍令を修め、三軍を統率するのに大将軍が一人任じることとした。大将の出征には必ず節刀(天皇の権限を代行することを意味する刀)を授ける。
兵馬の指揮権はなお朝廷にあった。その後兵事は武門に帰したため、政治のおおもとが衰えた。
明治天皇中興の初め、親征の詔を発して、大権を総攬し、それ以来兵制を改革し、長年の悪弊を一掃し、軍を統帥する本部を設け、自ら陸海軍を統率されていた。
そうして、歴代天皇の威光や偉業を再び昔のまま復元することができた。
本条は、兵馬の統一は至尊たる天皇の大権であり、もっぱら帷幄(統帥機関のことで、陸軍であれば陸軍参謀本部、海軍であれば海軍軍令部)が発する軍令に属すことを示している。

 

第十二条 天皇は陸海軍の編制及常備兵額を定む

(天皇は、陸海軍の編成及び予算を定める)

恭んで考えるには、本条は陸海軍の編成及び常備兵額もまた天皇が自ら裁定するところであることを示している。
これは、元来責任大臣の補佐によるものであるが、帷幄の軍令と同じく至尊たる天皇大権に属すべきであり、そうして議会の干渉を受けてはならないものである。
いわゆる編成大権は、細かく言えば、軍隊や艦隊の編成及び管区や方面においての兵器の備用、給与、軍人の教育、検閲、紀律、礼式、服制、駐屯、城塞及び海防、港湾の防衛、並びに出動準備などが、大権に含まれる。「常備兵額を定む」というときは、毎年の徴兵人員を定めることもまた、その中に含まれる。

 

第十三条 天皇は戦を宣し和を講し及諸般の条約を締結す

(天皇は、宣戦を布告し、講和を結び、その他の条約を締結する)

恭んで考えるには、外国と交戦を宣告したり和親を講じたり、条約を締結することは、すべて至尊たる天皇大権に属し、議会の参賛は不要である。これは、一つ目には君主は外国に対して国家を代表する主権の統一が求められ、二つ目には和戦及び条約は、もっぱら時機に応じてはかりごとを迅速にすることが重んじれらることによる。
「諸般の条約」とは、和親、貿易及び連盟の条約をいう。
(附記)ヨーロッパの過去の例では、中世各国の君主は、往々にして外交のことを自ら行い、イギリスのウィリアム三世は、自ら外務長官の任にあたり、当時の人は外交事務に長じたことを称賛した。
近年、立憲主義がようやく進歩するにおよんで、他の行政治事務と同様に、各国の外交事務は責任大臣が管轄し、君主はその補佐によって行うようになった。
ナポレオンがフランスの執権であったとき、英仏両国の講和文書を作成し、直接イギリスの君主に送り、イギリスはその書簡を受けて、外務執政の文書によって答えた。
今日国際法においては、慶弔の親書を除いて、各国の交際や条約のことをすべて執政大臣を経由して行うことについて、多くの国は認めている。本条の掲げるところは、もっぱら議会の干渉によらず、天皇が責任大臣の補佐により外交事務を行うことを言っている。

 

第十四条 天皇は戒厳を宣告す

 戒厳の要件及効力は法律を以て之を定む

(天皇は戒厳を宣告する

 戒厳の要件及び効力は法律によって定める)


恭んで考えるには、戒厳とは、外敵や内変の時機の臨んで、常時の法律を停止し、司法及び行政の一部を軍事的処分に委ねるものである。
本条は戒厳の要件及び効力を法律で定めるところとし、その法律の条文に準拠して、ときに臨んで宣告したり、またはその宣告を解除したりするのは、至尊たる天皇大権に帰属する。
要件とは、戒厳を宣告する時機及び区域における必要な範囲及び宣告するために必要な規定をいう。効力とは、戒厳を宣告したことにより権力の及ぶ範囲をいう。
包囲された地において、戦権を施行し臨時に戒厳を宣告することは現地の司令官に委ね、処分後に上申することを許可する。これは法律において便宜的に至尊たる天皇大権を将帥に委任するものである(明治十五年三十号布告)。

 

第十五条 天皇は爵位勲章及其の他の栄典を授与す

(天皇は、爵位、勲章及びその他の栄典を授与する)

恭んで考えるには、至尊たる天皇は栄誉の源泉である。思うに、功績を賞賛し労に報い、卓越した行いや善い振る舞いを表彰し、光栄ある位、勲章及び特典を授与するのは、もっぱら至尊たる天皇大権に属する。
そうして臣下が盗みもてあそぶことを許さないものである。
我が国の太古は、簡単で素朴な世の中であり、姓(かばね)を用いて貴賎を分けていた。
推古天皇が初めて冠位十二階を定めて、諸臣に分け賜った。
天武天皇は四十八階に定められた。
文武天皇は冠の賜与を廃止し、代わって位階を用いた。
大宝令に載せられているところ、およそ三十階。
これは今の位階の始まりである。
また勲位十二等は武功を賞し、孝行者や農業に尽くした人に賜ったりしたものである。
中世以降、武門の専権時代においては、賞罰の事柄は幕府に移ったといえども、叙授の儀典はなお朝廷に属し失われてはいなかった。
維新の後、明治二年に位制を定め一位から九位に至る。明治八年には勲等賞牌の制を定め、明治十七年には五等爵(華族における公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵)の制を定めた。
これはすべて賞して奨励するものを明らかにして、光栄ある大典を示すものである。

 

第十六条 天皇は大赦特赦減刑及復権を命す

(天皇は、大赦、特赦、減刑及び復権を命令する)

恭んで考えるには、国家はすでに法廷を設け、司法を置き、正理公道に従って平等に臣民の権利を保護させる。
しかしなお、法律が未だに諸般の人の事情を細かにするには足らず、時には犯人の情状を酌量すべき者がいて、立法及び司法の規則が、欠落し不足を補い尽くすことができないことを恐れる。
ゆえに、恩赦の権は、至尊たる天皇の慈悲の特典であり法律の及ばないところを補い、一人の民の情を得られない者がないようにするためである。
大赦は、特別の場合において特例の恩典を施行するものであり、一つの種類の犯罪に対して赦すものである。
特赦は一個人の犯人に対して、その刑を赦す。
減刑は、すでに宣告された刑を減じるものである。
復権は、すでに剥奪された公権を回復することである。

 

以上、第四条以下第十六条に至るまで、元首の大権を列挙する。
そもそも元首の大権は、憲法の正条でこれを制限する他は、及ばないところがないことは、太陽光線の遮蔽された先に映射されるところがないことと同じである。
これはもとより、逐一列挙することで初めて存立するものではない。
そうして憲法に掲げるのは、その大綱を挙げ、またその節目の中の重要なものを羅列して標準を示すに過ぎない。
ゆえに貨幣鋳造権や度量衡権などは、いちいち詳らかにする必要がない。
それらが省略されているのは、大権に包括されているものである。

 

第十七条 摂政を置くは皇室典範の定むる所に依る

 摂政は天皇の名に於て大権を行ふ

(摂政を置くのは、皇室典範の定めるところによる

 摂政は、天皇の名において大権を行使する)


謹んで考えるには、摂政は天皇の職務を代わって行う。ゆえに至尊たる天皇の本分を除いて、一切の大政はすべて天皇の名において行い、また大政についてその責任を負わないことは天皇と同じである。
ただし、第七十五条の場合において制限されるだけである。
「天皇の名に於いて」というのは、天皇に代わってという意味である。
思うに、摂政の政令とは、天皇に代わり宣言し布告することである。
摂政の設置は、皇室の家法による。摂政として天皇大権を総攬することは、憲法に係わる。
ゆえに、後者は憲法に掲げて、前者は皇室典範の定めるところによる。
思うに、摂政設置の当否について定めるのは、もっぱら皇室に属す事であり、臣民に議論されることではない。
そもそも、天皇に予期せぬことがあり、政治を自ら行うことができないことは、稀に見る非常時であり、国家動乱の機会もまた、往々にこういった時期に内在している。
かのある国(ドイツのこと)においては、両院を召集し両院の合議によって摂政を設置する必要性を議決することを憲法に掲げることは、皇室の大事を民議の多数に委ね、皇統の尊厳を干渉し冒涜する道を開くものに近い。
本条は、摂政を置く要件を皇室典範に譲り、憲法に載せないのは、思うに、もっぱら国体を重んじ、些細なことに用心してその兆しを慎むことである。

 

 

第二章 臣民権利義務

第二章は第一章に続いて臣民の権利及び義務を掲げる。
思うに、歴代天皇の政治は、もっぱら臣民を愛し大切にし、「大宝(おおみたから)」と称していた。特赦のときに検非違使を使わして、囚人に申し渡した天皇の仰せの言葉に、「公御財(おおみたから)となし御調物(みつきもの)をたてまつれ」と言った(江家次第)。
歴代天皇の即位の日には、皇親以下天下の人民を集めて、大詔を宣べられる言葉には、「集まり侍る皇子たち、王、臣たち、百官の人たち、天下の公民(おおみたから)たち、みな聞きなさいと詔をする」とある。
文書を司る役人が用いる「公民」の字はすなわち「おおみたから」の名称を訳したものである。
その臣民においては、自ら称えて御民(みたみ)という。
天平六年に海犬養宿禰岡麻呂が詔に応えた歌に、「御民われ、生ける験(しるし)あり、天地(あめつち)の、栄ゆるときに、逢えらく念へば」と詠んだのはこれである。
思うに、天皇は上にあって、愛し大切にするという心で、民を国の宝として表し、民は下にあって大君に服従し自らみて幸福な臣民という。
これは我が国の故事や風俗にあるもので、本章に掲げる臣民の権利義務もこれを源流とするにほかならない。
そもそも、中世、武門の政治は、武士と平民との間に身分を分け、武士が公権を専有し平民の預からないこととしたのみならず、私権も平民は生まれながら持つことができなかった。
公民の意味は、これによってなくなり伸びることがなかった。
維新の後に、しばしば大令を発し、士族の特権を廃し、日本臣民である者が初めて平等にその権利を有し、その義務を尽くすことができるようになった。
本章に記載するところは、中興の成果を培い殖やして、永久に保ち明らかにするものである。

 

第十八条 日本臣民たるの要件は法律の定むる所に依る

(日本臣民たる要件は、法律の定めるところによる)

日本臣民とは、外国臣民と区別した言葉である。
日本臣民たる者は、各々法律上の公権及び私権を享有している。
これが、臣民の要件は、法律で定める必要がある理由である。
日本臣民たる者には、二種類ある。
第一は出生による者。
第二は帰化またはその他法律の効力による者である。
国民の地位は、別の法律で定めるところによる。
ただし、私権の完全な享有と、公権はもっぱら国民の地位に随伴するので、とくに別の法律で定める旨を憲法に掲げることを怠らない。
ゆえに、別の法律に掲げるところは、憲法の指し命じるものである。
また憲法における臣民の権利義務と関係するところである。
選挙権や被選挙権、任官の権利などを公権とする。
公権は、憲法またはその他の法律でこれを認定し、もっぱら本国人の享有するもので、外国人に許さないのは各国の普通の公法である。
私権について内外の間に隔絶の区別をしたのは、すでに歴史上の過去の出来事であり、今日では一、二の例外を除いて、各国でも大抵、外国人を本国人と同様に享受できるようにする傾向がある。

 

第十九条 日本臣民は法律命令の定むる所の資格に応し均く文武官に任せられ及其の他の公務に就くことを得

(日本臣民は、法律命令の定める資格に応じて、均しく文武官に任命及びその他の公務に就くことが出来る)

文武官に登用任命し、その他の公務に就くのは、門閥にこだわらない。
これを明治維新における改革の成果の一つとする。
かつて門地によって身分を差別していた時代では、官職を家によって決まり、家族によって職を世襲し、低い身分の者は才能があっても要職に登用されることができなかった。
維新の後、悪い習慣を一掃して、門閥の弊害を除き、爵位の等級は一つも官職に就くことの平等を妨げることはない。
これはすなわち、憲法が本条によって明らかにし保障するところである。
ただし、法律や命令で定める相当の資格、すなわち年齢や納税及び試験での能力の諸般の資格は、官職及び公務に就くための要件であるのみである。

 

日本臣民は、「均く文武官に任せられ及其の他の公務に就くことを得」というときは、特別の規定がある場合を除き、外国臣民にこの権利を認めないことは知るべきである。

 

第二十条 日本臣民は法律の定むる所に従ひ兵役の義務を有す

(日本臣民は、法律の定めに従って、兵役に就く義務がある)

日本臣民は日本帝国構成の一員であり、ともに国の生存独立及び光栄を守る者である。
古代以来、我が臣民はことある時に自分の身や家という私事を犠牲にして、本国を防護することをもって一人前の男児とし、忠義の精神は栄誉の感情とともに人々の祖先以来の遺伝に受け継がれ、心身に深く浸透して、一般の気風を結成した。
聖武天皇の詔に言うには。
「大伴、佐伯の宿禰(すくね)は、常に言うように、天皇の朝廷を守り仕え申し上げることに自己を顧みない人達であり、あなた達の祖先が言い伝えてきた、『海行かば、みづく屍、山行かば、草むす屍、王のへにこそ死なめ、のどには死なじ(海を行けば水に浸かった屍、山を行けば草が生えた屍となり、王のお側近くで死にたい、のどかな死に方はない)』と言うことを、継ぐ人達だと聞いている」と。
この歌は、すなわち武臣に相伝して忠武の教育をすることができる。
大宝令以来軍団を置く。
成年男子で兵役に堪える者を募る。
持統天皇の治世において、国ごとに成年男子の四分の一を採ったのは、すなわち徴兵制が始まったことを示している。
武門政権の時代には、武士と農民の職を分け、兵武のことは一種族の専業とし、徴兵の旧制が久しく失われていたが、維新の後、明治四年に武士の常職を解き、明治五年には古代の制度に基づいて徴兵令を公布し、二十歳に達した全国男子は陸海軍の兵役に就き、平時の毎年の徴発は常備軍の編成に従い、そうして十七歳より四十歳までの人員は残らず国民軍として、戦時に臨時召集する制度とした。
これは、現在の徴兵の方法として行われている。
本条は、法律の定めるところによって、全国の臣民を兵役に服する義務を執らせ、身分にかかわらず、一般にその士気や身体を併せて平生において教育させ、一国の武勇の気風を保持して、将来に失われないように定めたものである。

 

第二十一条 日本臣民は法律の定むる所に従ひ納税の義務を有す

(日本臣民は、法律の定める所により、納税の義務がある)

納税は、一国において共同し生存するための必要に応じて供出するものであり、兵役と同じく臣民の国家に対する義務の一つである。
租税は古い言葉で「ちから」と言う。
民が力を運ぶという意味である。
税を課すことを「おふす」と言う。
各人に負わせるという意味である。
歴代天皇は、すでに統治の意義をもって国にお臨みになり、国庫の費用は全国の正しい供出により取る。
租税の法律の由来は久しい。
孝徳天皇が祖・庸・調の制度を行い、維新の後に地租改正を行う。
これが税法の二大変革である。
その詳細は書籍にあるので、詳らかに注釈することはしない。
思うに、租税は臣民が国家の公費を分担するものであり、求めに応じて供給する献上物の類ではない。
また承諾に起因する恩沢を受ける報酬でもない。

 

(附記)フランスの学者は、その偏った道理の見方で租税の意味を論じている。
千七百八十九年にミラボー氏がフランス人民に向けて国費を募る公的文書にはこうある。
「租税は、受けた利益に報いる代価である。
公共の安寧の保護を得るための前払いである」と。
エミル・ド・ジラルディン氏の説にはこうある。
「租税は権利の享受、利益の保護を得る目的のために国と名づけられた一会社の社員より納める保険料である」と。
これはすべて社会契約説に淵源しており、納税を政府の職務と人民の義務とを相互交換するものとしており、その説は巧みであるといえども、実に大いなる誤りである。
思うに、租税は、一国の公費であり、一国の構成員である者は等しくその共同義務を負うべきである。
ゆえに、臣民は現在の政府のために納税するべきものではなく、前世過去の負債のためにも納税せざるを得ない。
得られた利益のためにのみ供給すべきだけではなく、利益を享受しなくても供給せざるを得ない。
そもそも、経費はできる限り倹約してほしいと思い、租税はできる限り少なくしてほしいと思う。
これはもとより政府の務めであり、議会が財政を監督し、租税を議定することは立憲政治の意義にほかならない。
それなのに、もし租税の義務を上下が互いに提供し合う取引であるとして、納税の諾否はもっぱら受ける利益との損得勘定によるとするなら、人々は自ら断定して、租税を拒否することができてしまう。
そうなれば、国家の成立が危うくならないようにと思っても叶わない。
近頃の論者は、前説の非を批判して、そうして租税の定義はようやく落ち着くべきところになった。
今、その一つ二つを挙げると、「租税は国家を保持するために設けるものである。
政府の職務に報いる代償ではない。
なぜならば政府と国民との間に、契約は存在しないからである」(フランスのフォスタン・エリー氏)と。
また、「国家は租税を賦課する権限がある。
そして、臣民はこれを納める義務がある。
租税の法律上の理由は、臣民の純然たる義務である。
国家の本分とその目的に欠かせない費用があるのだから、国の構成員たる臣民はこれを供出しなければならない。
国民は無形の一体として、国家という自己の職分のために資本を供出しなければならず、そして各人はこれを納めなければならない。
なぜならば、各人は国民という国家の構成員であるからである。
国民及び各個の臣民は、国家の外にあり、財産の保護を受けるための報酬であるとして、租税の意義を解釈するのは、極めて誤った説である」(ドイツのスタール氏)と。
ここに記載して、参考に当てる。

 

第二十二条 日本臣民は法律の範囲内に於て居住及移転の自由を有す

(日本臣民は、法律の範囲内において居住及び移転の自由がある)

本条は居住及び移転の自由を明らかにして保障する。
封建時代には、藩の国境を限り、各々関所や柵を設けて、人民がその本籍以外に居住することを許さなかった。
また、許可なくして旅行及び移転をすることもできなかった。
その自然な活動及び営業を束縛して、植物と同じようにさせていたが、維新の後、廃藩とともに居住及び移転の自由を認め、すべて日本臣民である者は、帝国国内のどこの地を問わず、定住したり借り住まい、寄宿及び営業する自由が与えられたのである。
そうして憲法にその自由を制限するには、必ず法律によって行い、行政処分ではできないことを掲げたのは、この自由を尊重する意義を明らかにするためである。

 

以下、各条は、臣民各個の自由及び財産の安全を明らかにして保障する。
思うに、法律上の自由は臣民の権利であり、その生活及び知識の発達の源である。
自由の民は文明の良民として、国家の繁栄に貢献できるものである。
ゆえに立憲国家はみな臣民各個の自由及び財産の安全を重要な権利として、確保している。
ただし、自由は秩序ある社会の下に息づくものである。法律は各個人の自由を保護し、また国憲の必要により生じた制限に対してその範囲を分割し、両者の間に適当な調和をなすものである。
そして、各個臣民は法律の許す範囲の中においてその自由を享受し、悠然として余裕があるべきである。
これはすなわち、憲法によって確保される法律上の自由である。

 

第二十三条 日本臣民は法律に依るに非すして逮捕監禁審問処罰を受くることなし

(日本臣民は、法律によることなく、逮捕、監禁、審問及び処罰を受けることはない)

本条は人身の自由を明らかにして保障する。
逮捕、監禁、審問は、法律に記載されている場合に限り、その記載されている規定に従って行うことができ、そしてまた、法律の正文によらずに、いかなる行為に対しても処罰することはできない。
必ずこのようにして、その後に人身の自由は、初めて安全であることを得られるのである。
思うに、人身の自由は、警察及び刑事の処分と密接な関係があり、わずかな隙間の余地もない。
一方では、治安を保持し犯罪を抑制し、捜索して罪を糾すのに必要な処分を、素早く強力に行うにかかわらず、他方では、各人の自由を尊重して、その限界を厳しくし、国家権力によって蹂躙されないようにするのは、立憲制度においてもっとも重要な要件とするところである。
ゆえに警察官、司法官や刑務官は法律によらず人を逮捕、監禁または苛酷な皇位をした者は、その罰を私人より重くさせ(刑法第二百七十八条、第二百七十九条、第二百八十条)、そして審問の方法に至っては、警察官に委ねず、必ずこれを司法官に訴えさせ、弁護及び公開を行い、司法官または警察官が被告人に対して罪状を供述させるために凌虐を加えるものには重ねて処断する(刑法二百八十二条)。
およそ法律の正条によらない処罰は、裁判の効力はないものとする(治罪法第四百十条、刑法第二条)。
これはみな努めて慎重に緻密に意を致して臣民を保護することを目的とし、そして拷問及びその他中古における罪の裁き方は、歴史上のかつての事績として、現代に繰り返されることはない。
本条は更にこれを確固たるものとし、人身の自由を安定した道に入らせた。

 

第二十四条 日本臣民は法律に定めたる裁判官の裁判を受くるの権を奪はるることなし

(日本臣民は、法律に定められた裁判官の裁判を受ける権利を奪われることはない)

本条はまた、各人の権利を保護するための要件である。
法律により構成、設置された裁判官は、政治権力の牽制を受けず、原告と被告との間に衡平を維持し、臣民はその社会的弱者で資産がなくても、権勢のある者と正しいか不正かを法廷で争い、検察官に対して情状を弁護することができる。
ゆえに憲法は法律に定めた正当な裁判官以外に臨時の裁判所または委員を設けて、裁判官の権限を侵害し、各人の裁判を受ける権利を奪うことは許さない。
そうして、各人は独立の裁判所に依頼して、司直の父とすることができる。

 

第二十五条 日本臣民は法律に定めたる場合を除く外其の許諾なくして住所に侵入せられ及捜索せらるることなし

(日本臣民は、法律に定められた場合を除き、その許諾なしに住居侵入及び捜索されることはない)

本条は、住居の安全を明らかにして保障する。
思うに、家宅は臣民各自の安静の場所である。
ゆえに、私人は家主の承諾なく他人の住居に侵入することができないのみならず、警察、司法及び収税官が、民事、刑事、行政処分のいずれかを問わず、およそ法律に指定した場合ではなく、また法律の規定によらずして、臣民の家宅に侵入し、または捜索することがあれば、すべて憲法の見地から不法行為とみなすところであり、刑法で処罰されることを免れない(刑法第百七十一条、刑法第百七十二条)。

 

第二十六条 日本臣民は法律に定めたる場合を除く外信書の秘密を侵さるることなし

(日本臣民は、法律で定められた場合を除き、親書の秘密を侵されない)

信書の秘密は、近代文明の恩恵の一つである。
本条は、刑事上の捜索または戦時、事変及びその他の法律の正文で指定された必要がある場合を除いて、信書を開封したり破棄して、その秘密を侵すことを許さないことを、明らかにして保障する。

 

第二十七条 日本臣民は其の所有権を侵さるることなし

 公益の為必要なる処分は法律の定むる所に依る

(日本臣民は、所有権を侵されない

 公益のために必要な処分は、法律で定めるところによる)


本条は、所有権の安全を明らかにして保障する。
所有権は国家公権の下に存立するものである。
ゆえに、所有権は国家権力に服属し、法律の制限を受けなければならない。
所有権はもともと不可侵の権利であるが、無制限の権利ではない。
ゆえに、城塁の周囲から一定の距離において建築を禁止するのは、賠償を必要としない。
鉱物は鉱業法の管理に属し、山林は山林経済の標準により規定した規則に従い、鉄道線より一定の距離において、樹木を植えることを禁止し、墓域より一定の距離において、井戸を掘ることを禁止する、といったことなどは、すべて所有権に制限があることの証明であり、そして、各個人の所有は、各個人の身体と同じく国家権力に対して、服属する義務を負うものであることが十分に認知できる。
思うに、所有権は私法上の権利であり、全国統治の最高権のもっぱら公法と抵触するものではない(欧州においてオランダのグロティウス氏は、『万国公法』において、「君主は国土に最高所有権を有する」説を称えている。近頃の国法学者は、その意味を採用し、国土主権の意味をもって最高所有権と呼んでいる)。

 

古代において臣民は私有地を献上し、罪により領地を官に没収され、私有地の売り銭を求めたことは史書に見られる。
孝徳天皇の大化二年に、各地の屯倉(天皇の直轄地)及び田荘(豪族の私有地)を廃止して、他人の土地を自分の土地にするような弊害を取り除き、そして隋や唐の制度にならって、班田の制度を行ったが、その後、所領や荘園がさかんに行われて、封建社会が形成され、徳川氏の時代に至って、農民は概ね領主の小作人に過ぎなくなった。
維新の初め、明治元年十二月に大令を発して、村々の土地はすべて百姓の所有地であることを定めた。
明治四年に各藩籍を奉還して、私領の遺物が初めて跡を絶った。
明治五年二月に地所の永代売買の禁止を解き、また地券を発行し、明治六年三月地所の名称の通達を発して、公有地と私有地の名称を設け、明治七年には私有地を改めて民有地として、明治八年には地券に所有者の名称を記載することとした(「地券のひな形に、日本帝国の土地を所有する者は、必ずこの券状を持たなければならない」)。
これはすべてヨーロッパでは、兵制改革を用いて領主の専権を廃棄し、あるいは莫大な金額を用いて小作農のために権利を償却したもので、一方で、我が国においては、各藩の譲渡によって容易に国家一般の統治に帰し、そこから土地を臣民に恵み与えることができた。
これは実に他国には例を見ない史実であり、中興新政の記念となるものである。

 

公共利益のために必要なときは、各人の意向に反して、私有財産を収用し、需要に応じさせる。
これはすなわち、全国統治の最高主権を根拠にするものであり、そうして、その規則の制定は法律となる。
思うに、公益収用処分の要件は、私有財産に対して相当の補償をすることにある。
そうして、必ず法律を制定することを必要とし、行政命令の範囲外であるのは、憲法が証明するところである。

 

第二十八条 日本臣民は安寧秩序を妨けす及臣民たるの義務に背かさる限に於て信教の自由を有す

(日本臣民は、安寧秩序を乱さず、臣民たる義務に背かない限り、信教の自由を有する)

中世ヨーロッパの宗教に勢いがあった時代、内政や外交に混用することで流血が生じ、そうして東方諸国は、厳しい法と刑罰によって、防ぎ禁止することを試みたが、四百年来、信教の自由の説が初めて萌芽し、フランス革命やアメリカ独立によって公然と宣言され、しだいに各国が認めるところとなり、現在各国政府は、国教があり、社会の組織や教育において一つの宗教に肩入れすることがあるかにかかわらず、法律上一般に各人に対して信教の自由を与えていないものはない。
そうして、異なる宗教の人を恥辱したり、公権や私権の享受において差別を設ける悪習は、すでに歴史的に過去の出来事として(ドイツの各領邦においては千八百四十八年までしきりにユダヤ教徒に対して政治的権利を与えなかった)、その跡を留めないまでになった。
これすなわち、信教の自由は近代文明の一大成果と見ることができ、そうして人類のもっとも貴重で重要なものである本心の自由と、正しい道理の伸長は、数百年間の無知蒙昧の境界を経過して、わずかに光り輝いて今日に達した。
思うに、本心の自由は人の内部にあるものであり、もとより国法の干渉する範囲外にある。
そして国教を定めて信仰を強制するのは、もっとも人知の自然な発達と学術の競争や進歩の障害になるものであり、いずれの国も政治権力を用いて、宗門に対する無形の信仰を制圧する権利と機能を認めていない。
本条は、実に維新以来政府が取る方針に従い、各人の無形の権利に向けて広大な進路を与えた。

 

ただし、信仰の帰依は専ら内部の心に属するといっても、更に外部に向かって礼拝、儀式、布教、演説及び結社、集会を行うに至っては、もとより法律または警察上の安寧秩序を維持するための一般の制限を尊ばなければならない。
そして、いかなる宗教も神明に奉り仕えるために憲法や法律の外に立って、国家に対する臣民の義務を逃れる権利をもたない。
ゆえに内部における信教の自由は、完全であり一つの制限も受けない。
しかし、外部における礼拝、布教の自由は法律、規則によって必要な制限を受けなければならない。
そして臣民一般の義務に服さなければならない。
これは憲法の定めるところであり、政治と宗教が相互に関係する境界である。

 

第二十九条 日本臣民は法律の範囲内に於て言論著作印行集会及結社の自由を有す

(日本臣民は、法律の範囲内において言論、著作、図書の刊行、集会及び結社の自由を有する)

言論、著作、図書の刊行、集会及び結社は、すべて政治及び社会の上に一つの勢力を作り出すものであり、そうして立憲国家は、罪悪を行ったり、治安を妨害したりするものを除き、すべてその自由を認めて人々の意見交換を活発させ、人文の進化のために有益な資料としないことはない。
ただし、他方においては、これらの行為は容易に濫用される鋭利な道具であるので、これによって他人の栄誉や権利を侵害し、治安を妨げ、罪悪を教唆するに至っては、法律によって処罰し、または法律で委任された警察処分により、防がざるを得ないのは、公共の秩序を保持する必要からである。
ただし、この制限は必ず法律により、行政命令の範囲外にある。

 

第三十条 日本臣民は相当の敬礼を守り別に定むる所の規程に従ひ請願を為すことを得

(日本臣民は、敬意と礼節を守り、別に定めた規定に従って、請願することができる)

請願権は、至尊たる天皇の仁愛の極地により、言葉の路を開き民情に通じる所以である。
孝徳天皇の時代に鐘をかけ箱を設け、諫言や辛き訴えの道をお開きになり、中世以後の歴代天皇は宮城の朝殿において人々の申し文を読ませ、大臣、納言の補佐によって自らお聴きになり判断された(嵯峨天皇以後このことは廃れた。愚管抄)。
史実を考察すると、昔の名君は、すべて言葉の路を通して、冤罪の者を救うことに努めないことはなかった。
思うに、議会が未だ設けられず、裁判訴訟の法も未だ未だ備わっていなかった時代にあたって、民の言葉を聞き入れ民情に通じることは、君主の仁慈の徳のみならず、また政治上の多くの意見を集め多くの利益にかなうようにする必要があるためである。
今は、諸般の機関がすでに整備され、公議の府もまた一定のところにある、そしてなお臣民の請願権が存在し、民衆の苦しみの訴えと、意見を献じようという真心を宮中に送るため、障害がないようにする。
これは憲法が民権を尊重して民生を愛護し、一つも漏れのないようにすることが終局の目的とすることによる。
そうして、政治上の徳義はここに至って厚みがあるようになる。

 

ただし、請願者は天皇に正当な敬意と礼節を守るべく、憲法上の権利を濫用して至尊たる天皇を侵したり、他人の私事を摘発したり、誹謗中傷を増長するようなことは、徳義上のもっとも戒めるべきところであり、法律や命令または議院規則により規定を設けるのは、やむを得ないものである。

 

請願権は、君主に奉ることに始まり、そして押し広げて議院及び官庁に提出するにまで及ぶ。
その各個人の利益に係るか、公益に係るかを問わず、法律上のその間に制限を設けない。

 

第三十一条 本章に掲けたる条規は戦時又は国家事変の場合に於て天皇大権の施行を妨くることなし

(本章に掲げた条文は、戦時又は国家事変の場合において、天皇大権の行使を妨げるものではない)

本章に掲げたところの条規は、憲法において臣民の権利を明らかにして保障するものである。
思うに、立憲主義は、臣民のみが法律に服するわけではなく、また、臣民の上に影響力を有する国家権力の運用を法律の制約を受けさせることにある。
ただそれゆえに臣民はその権利、財産の安全が守られ、専横不法の疑い恐れを免れることができる。
これを本章の大義とする。
ただし、憲法は、なお非常の変局のために非常の例外を掲げることを怠らない。
思うに、国家の最大の目的は、その存立を保持することにある。
熟練な船長は転覆や沈没を避け、乗客の生命を救うために必要なときは、その積荷を海中に投棄しないわけにはいかない。
良将は全軍の敗北を避けるために、やむを得ない時期にあたって、その一部局を見捨てざるを得ない。
国家権力は危難の時期に際して、国家及び国民を救済して、その存立を保全するために唯一必要な方法があると認めるときは、断じて法律及び臣民の権利の一部を犠牲にして、その最大の目的を達しなければならない。
これは、すなわち元首の権利であるだけでなく、最大の義務である。
国家にもし、この非常大権がないならば国家権力は非常時に際して、その職責を尽くす手段がないことになる。

 

各国の憲法には、このことを明示し、あるいは明示しないにかかわらず、その実際において存立を保全するための国家権力の発動を認めていないものはない。
なぜならば、各国すべてが、戦時のために必要な処分を行うというのは、欺きようのない事実だからである。
ただし、常時と非常時の際、間髪を入れることはできない。
非常時の必要がないときに、みだりに非常大権を持ち出して、臣民の権利を蹂躙することは、各国の憲法は決して許さないことである。
思うに、憲法の正条に非常大権を掲げ、その要件を示すのは、非常の時期について憲法上の空白を残さないためである。
ある国においてこれを言及しないのは、臨機応変の処分を憲法の範囲外に置き、議院の判断に任せ、その違法の責任を解こうとすることである。
そして、近世の国法学を論ずる者は、前者の方法をもっとも完全であるとして称賛する。

 

第三十二条 本章に掲けたる条規は陸海軍の法令又は紀律に牴触せさるものに限り軍人に準行す

(本章に掲げた条文で、陸海軍の法令又は規律に抵触しないものに限り、準用する)

軍人は軍旗の下にあって、軍法や軍令を遵守し、専ら服従を第一の義務とする。
ゆえに本章に掲げる権利の規定で、軍法や軍令と抵触するものは、軍人に適用しない。
すなわち、現役軍人は集会、結社を行って軍制または政治を論じることはできず、政治上の言論、著述、図書の刊行及び請願の自由をもたないといったことが、これである。

 

 

第三章 帝国議会

第三章は帝国議会の成立及び権利の大綱を掲げる。
思うに、議会は立法に参与する者であり、主権を分けたものではない。
法律を審議する権能はあるが、法を定める権能はない。
そして、議会の参与は憲法の条文において附与する範囲にとどまり、無限の権能があるわけではない。

 

議会が立法に参与するのは、立憲政治において要素としての機関である所以である。
そして、議会はただ立法に参与するのみならず、あわせて行政を監視する任務を間接的に負うものである。
ゆえに我が憲法及び議院法は、議会のために次の権利を認めている。
一つ目は、請願を受ける権利、二つ目は、上奏及び建議を権利、三つ目は、議員が政府に質問し弁明を求める権利、四つ目は、財政を監督する権利である。
もし、議会が熟練した着実な気質に基づき、平和で静穏な手段を用いて、この四つの権能を誤らずに適当に行使するときは、権力の偏重を抑制し、立法と行政の関係も平衡を保ち、善良なる臣民の代表議員として背かないものとなるべきである。

 

第三十三条 帝国議会は貴族院衆議院の両院を以て成立す

(帝国議会は、貴族院及び衆議院の両院で成立する)

貴族院は貴い紳士を集め、衆議院は庶民から選ぶ。
両院合わさって、一つの帝国議会を成立し、全国の公議を代表する。
ゆえに両院はある特例(衆議院の予算先議権)を除くほか、平等の権限をもち、一院のみで立法のことを行うことはできない。
そうすることで、はかりごとが周到に議論の公平を得ることを期待する。

 

二院制は、ヨーロッパ各国がすでに伝統とするところであり、その功績を歴史の証拠とし、これに反する一院制をとる国はその禍を免れないことが証明される(フランス千七百九十一年及び千八百四十八年、スペイン千八百十二年憲法)。
近来、二院制の祖国イギリスにおいて、社会の発達を滞らせる障害であると説く論者がいる。
そもそも二院制の利点を主張するものは、すでに広く知られており、今ここで引用する必要はない。
ただし、貴族院の設置は王室の後ろ盾として、保守の勢力を貯えるに止まるものではない。
思うに、立国の機関において、もとより必要なものである。
なぜならば、およそ高尚な有機物の組織は、各種の要素を抱合して、成体をなすのみではなく、また必ず各種の機関によって組織の中心を補佐しなければならないからである。
両目は各々別の位置になければ、視力の角点を得られない。
両耳は各々その向きが異ならなければ、聴官の偏りを免れない。
ゆえに元首は一人でなければならない。
そして多くの人の意思を集める機関は、二つのうち一つが欠けてはならないことは、あたかも両輪のその一つを失ってはならないことと同じである。
代議制は、公議の結果をとりまとめようとするものである。
そして、勢力を一院に集め一時の反射的な感情と一方の偏った考えに任せて、互いに牽制しあい平衡を維持するものがなければ、いずれ傾き流れた水が勢いよく注がれ容易に堤防を越え、一変して多数による専制となり、さらに変わって横暴な乱政にならないと、保障することはできない。
その弊害は、かえって代議制がないときよりもなお、甚だしいものがある。
ゆえに代議制を設ければその弊害もない。
これを設けて二院制にしないのであれば、必ず偏重を招くことを免れない。
これは、すなわち物の道理に由来とするものであり、一時の情況で覆い隠すことはできない。
要するに代議制においての二院制は、学理に照らし、事実に証拠を求めて、その不易の機関であることを結論することができるのである。
彼のある国(イギリス)における貴族院が怠けて議事延滞の弊害があることを論ずることは、一時の短所を指摘するに過ぎない。
そして国家の長計に対しては、その言説に価値があるとは見なさない。

 

第三十四条 貴族院は貴族院令の定むる所に依り皇族華族及勅任せられたる議員を以て組織す

(貴族院は、貴族院令の定める所により、皇族、華族及び勅任された議員をもって組織する)

貴族院議員は、世襲、選挙または勅任であるにかかわらず、等しく上流の社会を代表する者である。
貴族院がその職分を十分に果たしたときは、政権の平衡を保ち、政党の偏った主張を制し、横暴な議論に偏るところを抑え、憲法が強固であるように助け、上下調和の機関となり、国民の幸福や民衆の慶福を永久に維持するために、多大な効果を収めることとする。
思うに、貴族院は名門貴族を立法の審議に参与させるだけではなく、また、国の勲労、学識及び富豪の士を集めて、国民の慎重で練熟した粘り強い気風を代表させ、これらが合わさって上流の一団となり、その効用を十分に発揮させるという所以である。
その構成に関する規則は、貴族院令に備わっているので、憲法には列挙しないものである。

 

第三十五条 衆議院は選挙法の定むる所に依り公選せられたる議員を以て組織す

(衆議院は、選挙法の定める所により、公選された議員により組織する)

衆議院の議員は、その資格とその任期とを定めて、広く全国人民が公選する方法を採用する。
本条の議員選挙の規定を別の法律に譲るのは、思うに、選挙の方法については将来。
時宜の必要に応じて補修するための便宜を図るためである。
ゆえに憲法はその細かな規定まで決めておくことはしないのである。

 

衆議院の議員は、すべて全国の人々を代表する者である。
そうして衆議院の選挙に選挙区を設けるのは、代議士の選挙を全国に一般化させ、選挙の方法を簡便にするにほかならない。
ゆえに代議士は、各人の良心に従い自由に発言する者であり、その所属選挙区の人民のために一地方の委任使となり、委嘱を代行する者ではない。
これをヨーロッパの歴史を参考にすると、かつての議会は、議員である者が、委嘱されていると考え一部の利益を代表して、全局を達観する公義を忘れ、従って多数決という大原則を放棄するに至る者が往々にしていた。
これは代議士の本分を知らない過ちによるものである。

 

第三十六条 何人も同時に両議院の議員たることを得す

(何人も、同時に両議院の議員になることは出来ない)

両院は、一つの議会であるものを分けて二院とし、その構成要素が異なり、平衡を保つように位置づけられる。
ゆえに、一人が同時に両院の議員を兼ねるのは、両院を分けて設けた制度の許さないところである。

 

第三十七条 凡て法律は帝国議会の協賛を経るを要す

(すべての法律は、帝国議会の協賛を経る必要がある)

法律は国家主権を根拠とする規範であり、そして必ず議会の協力と賛成を経る必要があるのは、立憲制度の大原則である。
ゆえに議会の審議を経ないものは、法律とすることができない。
一院が可決しても、他の一院が否決するときは、法律とすることができない。

 

(附記)どういうことを法律で定める必要があるのかについては、思うに、一例を挙げるだけでは要約するのは難しい。
プロイセンの普通法を公布させる勅令に「本法は別段の法律で定めていない国民の権利義務を明らかにする条規を包括する」という。
また、バイエルン千八百十八年五月二十六日憲法の第七章第二条に「人身の自由又は国民の財産に関する普通法を発布し、あるいは現行法を変更したり、解釈したり、廃止したりするには、国会の協同を必要とする」という。
しかるに学者の多くは、法律の範囲は権利義務や自由財産にとどまるべきでないと反対し、具体的に法律と命令との範囲を分割しようとするのは、憲法上及び学問上の試験において、一つもその結果を得られないことを論じた。
思うに、法律及び命令の範囲は、もっぱら各国の政治の発達度合いによって決まる。
そして憲政史によって論断するべきである。
ただし、憲法の明文によりとくに法律が必要とされるものは、これを第一の限界として、すでに法律によって制定されたものは、法律でなければ変更することができないのは、第二の限界とする。
これは、立憲各国において同じである。

 

第三十八条 両議院は政府の提出する法律案を議決し及各々法律案を提出することを得

(両議院は、政府の提出する法律案を議決及び法律案を提出することが出来る)

政府において法律を起草し、天皇の命によって議案とし、両院に付したときは、両院はこれを可決や否決し、修正することができる。
もし、両院においてある法律を発行する必要があるときは、各々法案を提出することができる。
そして、一方の議院が法案を提出し、もう一方の議院が同意または修正の上、可決した後、天皇の裁可があって法律として成立するというは、政府の起案と異ならない。

 

至尊たる天皇は議会において、召集や開会閉会の勅命及び法律裁可のほか、全会期中にわたって国務大臣により議案やその他のやり取りに当たらせる。
ゆえにこれを「政府の提出」という。

 

第三十九条 両議院の一に於て否決したる法律案は同会期中に於て再ひ提出することを得す

(両議院の一つで否決された法律案は、同会期中に再提出することは出来ない)

議案の再提出は、議会の権利を損なうだけでなく、また、会期が延長して一事にとらわれ停滞する弊害が予想される。
ゆえに本条において禁止する。
すでに否決された同一の議案を、名称や文言を変更して再び提出し、本条の規定を避けるのは、憲法が許さないところである。

 

君主の裁可を得ない法案は、同一会期中に議院より提出することができないのは、元首の大権の道理から当然のことであり、更に言明を必要とはしない。
ただし、建議の条(次の第四十条)において、再び建議することの禁止を掲げるのは、提出議案の裁可の有無は至尊たる天皇の勅命により、そして建議の採否は政府が判断するからである。
その間、もとより軽重の差がある。
従って、あらかじめ疑義が判明する必要から、明記されたのである。

 

第四十条 両議院は法律又は其の他の事件に付各々其の意見を政府に建議することを得但し其の採納を得さるものは同会期中に於て再ひ建議することを得す

(両議院は、法律又はその他の事件について、各々その意見を政府に建議することが出来る。ただし、政府が採納しなかった建議は、同会期中に再建議することは出来ない)

本条は、議院に建議の権利があることを掲げるものである。
前条ですでに両議院に各々法案提出権を与えた。
そして、本条でまた法律について意見を建議することができるというのはどういうことか。
一つは、議院自ら法律を起案して提出する方法と、もう一つは新しい法律を制定、旧法の改正または廃止すべきことを決議し、成案を用意せず単に意見を政府に述べて、政府に採用されたときは、起草や制定を任せる方法という、二つの方法について、議院にそのうちの一つを選ばせるものである。
思うに、ヨーロッパの制度を参考するのに、議院自ら議案提出権を有するのは、各国においても同じである(スイスを除く)。
ただし、議院自ら多数に任せて法律の条項を制定するのは、往々にして議事の延長と成立した条文も手落ちがあり首尾一貫しないという弊害を免れない。
むしろ熟練の政府委員に起草を任せた方がいい。
これは、各国の学者が事情を検討して、利点や欠点を論ずるところである。
議会は立法に参与するのみでなく、あわせて間接に行政を監視する任を負うものである。
ゆえに両議院は立法以外の事案について意見を政府に建議し、利害得失を論じて明らかにすることができる。

 

ただし、法律またはその他の事案にかかわらず、議院の意見で政府に採用されないものは、同一会期中に再建議することができないのは、思うに、議論の紛糾や脅迫まがいの交渉を防ぐためである。

 

第四十一条 帝国議会は毎年之を召集す

(帝国議会は、毎年召集する)

議会を召集するのはもっぱら天皇大権である。
しかし、本条で毎年召集することを定めるのは、憲法において議会の存立を保障するためである。
ただし、第七十条に掲げた場合のようなものは非常の例外である。

 

第四十二条 帝国議会は三箇月を以て会期とす必要有る場合に於いては勅命を以て延長することあるへし

(帝国議会は、会期を三ヶ月とする。ただし、必要な場合は勅命によって延長することが出来る)

三ヶ月を会期とするのは、議事が延長したり、時間切れになることを防ぐためである。
やむを得ない必要があるときに、会期を延長し、閉会を延期するのは勅命による。議会自ら行うことはできない。
議会を閉会したときは、同時に会期中の事務も終わりを告げるものとし、特別の規定がある場合を除くほかは、議事がすでに議決したか、未だ議決されていないかを問わず、次回の会期に継続することはない。

 

第四十三条 臨時緊急の必要有る場合において常会の外臨時会を召集すへし

 臨時会の会期を定むるは勅命に依る

(臨時緊急の必要がある場合は、常会のほかに臨時会を召集することが出来る

 臨時会の会期は、勅命によって定める)


議会は、一年に一度開く。
これを常会という。
憲法に常会の時期を掲げないとしても、常会は毎年の予算を審議する便宜を図るものである。
ゆえに冬季に開会するのを通例である。
そして常会のほか、臨時緊急の必要があるときは、特例に勅命を発して臨時会を召集する。

 

臨時会の会期は、憲法では限定しない。
そして、臨時召集する勅命の定めるところに従う。
また、その必要かによって決めるものである。

 

第四十四条 帝国議会の開会閉会会期の延長及停会は両院同時に之を行うへし

 衆議院解散を命せられたるときは貴族院は同時に停会せらるへし

(帝国議会の開会、閉会、会期の延長及び停会は、両院同時に行わなければならない

 衆議院が解散を命じられたときは、貴族院は同時に停会しなければならない)


貴族院と衆議院は両院を合わせた一つの議会である。
ゆえに一議院の審議を経ずに、他方の議院の議決で法律としてはならない。
また、一議院の会期外に他方の議院の会議を有効としてはならない。
本条において両院は必ず同時に開会閉会することを定めているのは、この意味による。

 

貴族院の一部は世襲議員によって組織する。
ゆえに貴族院は停会するのであり、解散はできない。
衆議院の解散を命じられたときは、貴族院は同時に停会を命じられるのに止まるのである。

 

第四十五条 衆議院解散を命せられたるときは勅命を以て新に議員を選挙せしめ解散の日より五箇月以内に之を招集すへし

(衆議院の解散を命じられたときは、勅命によって新たに議員を選挙させ、解散の日から五ヶ月以内に召集しなければならない)

本条は、議会に永久の保障を与えるものである。
思うに、解散は旧議員を解散して、新議員を召集するものである。
しかし、もし憲法が議院解散の後に新たに召集する時期を一定にしないときは、議会の存立は政府の意のままに廃止するところに任せることになる。

 

第四十六条 両議院は各々其の総議員三分の一以上出席するに非されは議事を開き議決を為すことを得す

(両議院は、総議院の三分の一以上出席しなければ、議事を開き議決することが出来ない)

出席議員が三分の一に満たないときは、会議を成立する員数に足らない。
ゆえに議事を開くことができず、議決することができない。

 

総議員とは、選挙法に定めた議員の総数をいう。
三分の一以上出席するのでなければ、議事を開くことができないので、三分の一以上が召集に応じなければ、議院の成立を告げることができないことを、知るべきである。

 

第四十七条 両議院の議事は過半数を以て決す可否同数なるときは議長の決する所に依る

(両議院の議事は、過半数によって決する。ただし、可否同数となるときは、議長によって決する)

過半数によって決を挙げるのは、議事における通常の規則である。
本条の過半数とは、出席議員についていうものである。
また、賛否が二分して同数となる場合にあたり、議長の判断により決をなすのは、道理として当然である。
ただし、第七十三条における憲法改正の発議は例外とする。
また、議院において議長その他の委員を選挙することについては、特に定められた多数の規定は、各々の規則によるべきものであり、本条に干渉されない。

 

第四十八条 両議院の会議は公開す但し政府の要求又は其の院の決議に依り秘密会と為すことを得

(両議院の会議は、公開とする。ただし、政府の要求又は、その議院の決議によって、秘密会とすることが出来る)

議院は多くの人々を代表する。
ゆえに討論及び表決の可否を衆目の前に公開にする。
ただし、議事の秘密を要するもの、例えば外交事件、人事、職員や委員の選挙、ある種の財政や軍政について、あるいは治安に係る行政法などの場合は、その変例として、政府の要求により、または各院の決議により、秘密会として、公開を閉じることができる。

 

第四十九条 両議院は各々天皇に上奏することを得

(両議院は、天皇に上奏することが出来る)

上奏は、文書を上呈して天皇に申し述べることをいう。
あるいは勅語に答え申し上げ、慶賀や弔事の言葉を上表し、あるいは意見を建白し請願を申し上げるなどの類は、すべてその中に入る。
そして文書を上呈するにとどまる場合も、あるいは代表に参内や拝謁を請い、上程するのもすべて相当の敬意と礼節を用いなければならず、迫り立てるような強硬な姿勢で尊厳を侵すことがあってはならないのである。

 

第五十条 両議院は臣民より呈出する請願書を受くることを得

(両議院は、臣民より提出された請願書を受理することが出来る)

臣民は、至尊たる天皇に請願し、または行政官庁や議院に請願することは、すべてその意に従うことができる。
議院においては、各人の請願を受けてこれを審査し、単に政府に紹介することも、意見書を付して政府に報告を求めることもできる。
ただし、議院は必ずしも請願を議定する義務があるわけではなく、政府は必ずしも請願を許可する義務があるわけでもない。
もし、請願が立法に関わる場合は、請願で直ちに提出法律案の動議とすることはできないといっても、議員はその請願の主旨により通常動議の方法に従って法律案を提出することができる。

 

第五十一条 両議院は此の憲法及議院法に掲くるものの外内部の整理に必要なる諸規則を定むることを得

(両議院は、この憲法及び議院法に掲げられているもののほか、内部の整理に必要な諸規則を定めることが出来る)

「内部の整理に必要なる諸規則」とは、議長の推選、議長及び事務局の職務、各部署の分設、委員の推選、委員の事務、議事規則、議事記録、請願取扱い規則、議院休暇規則、紀律及び議院会計などをいう。
そして憲法及び議院法の範囲内で議院自ら制定するのに任せるのである。

 

第五十二条 両議院の議員は議院に於いて発言したる意見及び表決に付き院外に於いて責を負うことなし但し議員自ら其の言論を演説刊行筆記又は其の他の方法を以て公布したるときは一般の法律に依り処分せらるべし

(両議院の議員は、議院で発言した意見及び表決について、院外で責任を負うことはない。ただし、議員自らが言論を演説、刊行、筆記及びその他の方法で公布したときは、一般の法律によって処分される)

本条は、議院に言論の自由を認める。
思うに、議院の内部は議院の自治に属する。
ゆえに言論の決まりを逸脱し、徳義に反し、または個人の私事を誹謗中傷するようなことは、議院の紀律により議院自らが制止し、懲戒すべきところであり、そして司法官はこれに干渉すべきではない。
議決は法律の成案をなすものである。
そして議員の討論は異なる意見を戦わせ、それを一つに帰結するための資料をなすものである。
ゆえに議院の審議は刑事や民事の責任を負うべきではない。

 

これは、一つ目は議院の権利を尊重し、二つ目は議員の言論を十分に尽くさせるものである。
ただし、議員自らが議院の言論を公表し、その自由を悪用して外部に普及した場合は、動議と反論を問わず、すべて法律の問責を免れることはできない。

 

第五十三条 両議院の議員は現行犯罪又は内乱外患に関する罪を除く外会期中其の院の許諾なくして逮捕せらるることなし

(両議院の議員は、現行犯又は内乱外患にかかわる罪を除くほか、会期中にその議院の許諾なく逮捕されることはない)

両院は立法の大事に参与する。
ゆえに会期中は議員に例外の特権を与え、議員に独立の体面を保たせ、その重要な職務を尽くすことができるようにする。
もし、現行犯や内乱外患に関わる罪であれば、議院の特権によって守られるところではない。
「会期中」とは、召集後から閉会前までをいう。
現行犯でないものや一般の犯罪は、議院に通知し、その許諾を得てから逮捕し、現行犯や内乱外患に関わる犯罪はまず逮捕してから議院に通知すべきである。

 

第五十四条 国務大臣及び政府委員は何時たりとも各議院に出席し及び発言することを得

(国務大臣及び政府委員は、いつでも各議院に出席して発言することが出来る)

議会の議事にあたって、議場で弁明することは大臣の重要な任であり、多数の人に対して心胸を開いて正しい道理を公議に訴えて、良きはかりごとを時論に求めて、その心の底まで叩き、誰にも遺憾がないようにする。
思うに、このようでなければ立憲の効用をものにするには足りない。
ただし、出席や発言の権利は、政府の自由に任せ、あるときは大臣自ら討論や弁明し、ある場合は他の委員に討論や弁明をさせ、時期が適当ではないということで討論や弁明をしないこともできる。
すべて政府の意に従う。

 

 

第四章 国務大臣及び枢密顧問

国務大臣は天皇を補佐する任にあり、詔命を承って政務を行う。
そして枢密顧問は重要な国務に関する意見に応え、政治上の重要な秘密を議論し意見を述べる。
国務大臣と枢密顧問は天皇の最高の補佐となるものである。

 

第五十五条 国務各大臣は天皇を輔弼し其の責に任す

 凡て法律勅令其の他国務に関る詔勅は国務大臣の副署を要す

(国務大臣は、天皇を輔弼し、その責任を負う

 すべての法律、勅令及びその他国務に関する詔勅は、国務大臣の副署を必要とする)


国務大臣は、入って内閣に参与し、出ては各省の事務にあたって、大政の責任を負うものである。
およそ大政の施行は必ず内閣及び各省により、その門を二つにしない。
思うに、立憲主義の目的は主権の使用を正当な軌道に乗せることにある。
すなわち、公議の機関と宰相の補佐によることをいう。
ゆえに大臣は君主に対して、努めて良き道を奨励し、もしその道を誤ったときは、君主の命令であることを口実にしてその責任を逃れることはできない。

 

我が国は、古代において大臣(おおおみ)、大連(おおむらじ)が補佐の任にあった。
孝徳天皇の詔に、「そもそも天地の間で万民を治めるのは一人ではできない、必ず臣の助けが必要である」とある。
天智天皇の治世に初めて太政官を置き、それ以来太政大臣と左右大臣は政務を統理し、大納言は会議に参与し意見を述べ、中務卿は詔勅を審査署名し、太政官は中務、式部、治部、民部、兵部、刑部、大蔵、宮内の八省を取りまとめ、官制がほぼ備わった。
その後、重臣はもっぱら関白として政務を行い、宮中では、小臣の蔵人が天皇の命を出納し、院宣(上皇の命令)、内旨(朝廷からの御沙汰)あるいは女官の文書で政務の大事を行うようになった。
そして朝廷の綱紀はまったく廃れてしまった。
維新の初めに摂政や関白及び伝奏(でんそう)、義奏(ぎそう)を廃し、またとくに宮中に命令して内議・請願を厳しく禁じ、ついで太政官制を復活させた。
明治二年七月、左右大臣、参議及び六省を置く。
明治四年、太政大臣を置く。
明治六年十月、参議が諸省の卿を兼任する。
その後、さらに改革を経て、明治十八年十二月に至って太政大臣、参議、各省の卿の制度を廃止し、さらに内閣総理大臣、外務、内務、大蔵、陸軍、海軍、司法、文部、農商務、逓信の十大臣で内閣を組織した。
思うに、大宝令の制度のときは、太政官は諸省の上に立ち、諸省はその下の役所であった。
諸省の卿の職は太政官符のとおり職務を行うだけに過ぎず、天皇より受けて重責を行うものではなかった。
維新の後、度々の変更を経て、明治十八年の詔に至り、大いに内閣の組織を改めて、諸省大臣によって天皇の代わりにお答え申し上げ、各々その責に当たらせ、統括する責任者に内閣総理大臣をあて、一つは各大臣の職権を重くして担当するところを明らかにし、二つは内閣の統一を保ち多岐に分裂する弊害をなくした。

 

ヨーロッパの学者で、大臣の責任を論ずる説は一つではなく、各国の制度もまた趣を異にする。
ある国では、政治の責任のための糾弾する特別な法を設けて、下院が告訴して上院が裁く(イギリス)。
ある国では大審院または特別に設けた政事法院に裁く権利を委ねる(ベルギーは下院が告訴して大審院が裁く。オーストリアは両院が告訴して特設の政事法院が主として政事の罪を裁き、あわせて刑事罪も裁く。ドイツは憲法に正文があり、糾弾断罪の別法を未だに設けていないので実行されていない)。
ある国では政治責任と刑事責任を分離し、裁決の結果は罷免にとどまるとある(アメリカ及びバイエルン千八百四十八年法)。
ある国では謀反、贈賄、乱費及び憲法違犯などを指定し、とくに大臣の責任とするものがある(アメリカ、ドイツ、ポルトガル及びフランス千七百九十一年、フランス千八百十四年の憲法。ベルギーの国会は大臣責任罪の刑名を指定する非を議論している)。
ある国では君主に対する責任とし、(オランダの一宰相は、君主に対して責任があるが、人民に対しては責任がないと主張した)、ある国では、人民すなわち議院に対する責任とする(フランス、ベルギー、ポルトガルなどの国の憲法は、国王の命令は、大臣の責任の糾弾を解くことができないと掲げている)。
すべてこれを論ずるに、憲法上の疑義で未だに一定の結論を経ないことは、未だに大臣責任の条より甚だしいものではない。
思うに、これを正しい道理に推し量り、事情を考えるに大臣は憲法により天皇を補佐する重責にあたり、行政上の強大な権限を握り、良き道を奨める職にあるばかりでなく、悪しき道につかないように矯正する任にもいる。
身をもって責任を負わなければならない。
もし大臣が責に任せる義理がなければ、行政の権力は容易に法律を逸脱し、法律は空文に帰してしまう。
ゆえに大臣の責任は憲法及び法律の支柱である。

 

ただし、大臣の責任は管轄する政務に属する。
そして刑事責任ではない。
ゆえに大臣は職務を誤ったとき、その責任を裁くものは、もっぱら一国の主権者に属する。
これを任ずるものは退くべきである。
大臣を任じ、またこれを罷免し、懲罰するものは、君主でなければ、誰がこれに預かることがあるか。
憲法は大臣の任免を君主の大権としている。
その大臣の責任の裁制を議院に属さないのは、そもそも当然の結果である。

 

ただし、議員は質問により、公衆の前で大臣に答弁を求めることができ、議院は君主に奏上して意見を述べることができる。
そうして君主の材能を発揮するのは、憲法上任意となるが、人々の心の向う所を一つも漏らさないと考えるには、間接的に大臣の責任を問う者ということができる。
故に我が憲法は、左の結論を取るものである。
第一に大臣は、固有の職務である補佐の責に任ずる。
そのため君主の代わりに責に任ずるのではない。
第二に大臣は、君主に対して直接に責任を負い、また人民に対して間接に責任を負うものである。
第三に大臣の責を裁く者は、君主であって人民ではない。
なぜならば、君主は国家の主権を有するからである。
第四に大臣の責任は、政務上の責であり、刑事及び民事の責とは関係ない、また関係することで責任が重くなることはない。
そして、刑事民事の訴えは通常の裁判所に付し、行政訴訟は行政裁判所に付すことを除いて、政務の責任は君主により懲罰の処分に付されるべきである。

 

内閣総理大臣は、重要政務について天皇の意向承けて大政の方向を指示して、各省を統括及び監督する。
職掌はもちろん広く、責任は従って重い。
各省大臣に至っては、その主任の事務に就き、個別にその責任を負うもので、連帯責任があるわけではない。
思うに、総理大臣、各省大臣は、等しく天皇が選任するものであり、各大臣の進退はひとえに天皇の言葉により、首相が各大臣を左右することは出来ない。
各大臣また首相に従属しているわけではないからである。
ある国では内閣を団結された一体とし、大臣は各個の資格をもって参与するのではなく、連帯責任の一点に偏っているが、その弊害は党派の連結の力が天皇の大権を左右するおそれがある。
これは我が憲法が取るところではない。
もし国の内外の大事に至っては、政府の全部局に関係し、各省が選任するところではない。
かくして、はかりごとや措置は必ず各大臣の協同により、責任を押しつけあうことはできない。
この時に当たって各大臣を挙げて全体責任の位置を取るのは、元来の本分である。
大臣の副署は左の二つの効果を生じる。
一つ目に法律、勅令及びその他の国事に係る。
詔勅は、大臣の副署によって初めて実施すべき効力を得る。
大臣の副署がない物は、従って詔命の効力はなく、外に向けて宣下したとしても担当の官吏が実行することはできない。
二つ目に大臣の副署は、大臣が担当する権能と責任の義務を表示するものである。
思うに、国務大臣は内外を貫流して天皇の命を伝える水路である。
そして副署によってその役割を明確にするのである。
ただし、大臣の政事の責任は法律のみで論じることはできない。
また道義の関わるところである。
法律の範囲内とは、大臣の進退を決める単一の判断とするには足りない。
故に朝廷の失政は、副署した大臣の責任が逃れられないことは、論争がないのみならず、審議に預かる大臣は署名しなくても、その過ちの責任を負わなければならない。
もし、専ら署名の有無をもって責任のあるところを判断しようとするなら、形式に捉われて、実情をねじ曲げる者であることを免れない。
故に副署は大臣の責任を表示するものであるが、副署によって初めて責任が生じるわけではないのである。

 

大宝の公式令によると、詔書案ができ、天皇が日付の一文字を書き入れ(御画日)その後中務卿にお渡しになる。
その御画日があるものは、中務省に留めて下書きとし別に一通を書き写し、「中務卿・宣、中務大輔(たいふ)・奉、中務少輔(しょう)・行」と署名し、太政官に送る。太政官において、太政大臣、左右大臣及び大納言の四名が署名して、天皇にお返し申し上げ(覆奏)、外部に付して施行されることを求める。
そして、天皇が「可」の一文字を書き入れ(御画可)、それを太政官に留めて下書きとし、さらに書き写したものを天下に布告する。
思うに、審査と署名の形式はもっとも慎重を加えたのである。
維新の後、明治四年七月勅書に副署し捺印することが太政大臣の任となる。
ただし、宣布された詔の多くは、奉勅の署名がなく、草創の時期は、形式が一定ではなかった。
明治十四年十一月に各省卿が主管する事務に属する法律や規則及び布達に署名する制度が定まる。
明治十九年一月に副署の形式が定まる。
公文書を施行する方法は、ここに至って大いに備わった。

 

第五十六条 枢密顧問は枢密院官制の定むる所に依り天皇の諮詢に応へ重要の国務を審議す

(枢密顧問は、枢密院官制の定める所により、天皇の諮詢に応え重要な国務を審議する)

謹んで考えるには、天皇は内閣の補佐によって行政上の重要な政務を統括し、また枢密顧問を設けてはかりごとの意見を求める府として聡明さを助け補い、偏りがないようにする。
思うに、内閣や大臣は内外の時局にあたり、敏捷に時機に応じる。
そして、心にゆとりをもち思慮深く、これを古今の歴史から考え、学理に照ら合わせ、恒久的な計画の作成に従事するに至っては、別の専門の局を設けて熟練の学識がある人に任せないわけにはいかない。
これは他の人事と同じく、一般の原則に従って、二種類の要素を各々分担するものである。
思うに、君主は天職を行うにあたり、はかりごとをして決断する。
すなわち、枢密顧問の設置は、実に内閣とともに憲法上の至高の補佐とならないことはない。
もし、枢密顧問が天皇の問い合わせに意見を申し述べ、偏ることなく徒党を組まず、疑問を解決して補い助けることができれば、憲法上の機関として任せるべく、そして大きなものには緊急勅令や戒厳令の発布にあたり、小さなものには会計上の法規の他に臨時処分の必要がある類のものについて諮詢して、その後に決行するのは、為政に慎重さを加えるためであり、この場合において枢密顧問は、憲法と法律の後ろ盾の役割である。
枢密顧問の職は、このように重いものである。
ゆえに、勅令で顧問の審議を経るものは、上諭において宣言するのが通例の形式とする。
ただし、枢密顧問は、至尊たる天皇の諮詢があるのを待って初めて審議することができる。
そして、その意見の採択はまたすべて至尊たる天皇のご決裁によるのみである。

 

枢密顧問が守るべき職分は、可否を天皇に申し述べるにあたり、必ず忠誠をもって、隠し立てするところなく、そして審議の内容は大小を問わず至尊たる天皇の特別の許可がなければ、公にしてはならない。
思うに、国家機密の府は、人臣が外に向かって名誉を求める場所ではない。

 

第五十七条 司法権は天皇の名に於て法律に依り裁判所之を行ふ

 裁判所の構成は法律を以て之を定む

(司法権は、天皇の名において法律によって裁判所が行う

 裁判所の構成は法律によって定める)


行政と司法の両権の区別を明らかにするために、要点を説明する。
行政は、法律を執行したり、公共の安寧秩序を保持し、人民の幸福を増進したりするために、経理及び処分を行うものである。
司法は、権利の侵害に対して法律の基準によって判断するものである。
司法は、専ら法律に従属し便益を考慮に入れない。
行政は、社会の活動に従って便益と必要に依拠し、法律はその範囲を限定して区域外に出ることを防止するのに止まる。
行政と司法の両権は、このように性質が異なる。
故に、行政官があって司法の職を分けることがなければ、各人の権利は社会の便益のために随時変更されることを免れなくなり、そしてその弊害は人民の権利を侵犯するに至ることになる。

 

ただ、そうであるが故に裁判は必ず法律によらなければならない。
法律は裁判の唯一の判断基準である。
そしてまた、必ず裁判所で裁判を行う。
ただし、君主は正しい道理の源泉であり、司法権もまた、主権から発せられる光線の一つにほかならない。
故に、裁判は必ず天皇の名において宣告し、それによって至尊たる天皇大権を代表する。

 

裁判所の構成は必ず法律で定め、行政の組織と別のものにする。
そうして、司法官は法律の土台に立ち、他に束縛されない独立の地位を有する者である。

 

我が国における古代の制度である刑部省の設置は、他の省とともに太政官に隷属し、そして刑部卿は「罪人を取り調べ、刑罰を定め、疑いのある判決を調べ直して再判決するとともに、良民と賎民の戸籍や囚人の投獄、負債)」のことを司る。
判事は、刑部卿に属し「罪人の尋問調書を審査し、刑罰を決定するとともに、諸々の争訟に判決を下す」ことを司る。
これは民事と刑事の二つを合わせて一省に管轄させていたのである。
武門が盛んになり政権が移ると、刑事の裁判権は検非違使が管轄し、民事は武断をもって政治を行い、封建時代は、概ねその旧習を因襲し、再審請求は厳禁とされるに至った。
維新の初めに刑法官を設置し、司法権は再び天皇の総攬に帰した。
明治四年に初めて東京裁判所を設置。
裁判のために専門の官庁を設けたのは、これが始まりである。
この年、大蔵省の訴訟受理の事務を改めて、司法省に移管された。
明治五年、東京築地の外国人居留地に東京闇市場裁判所を設置した。
続いて司法裁判、府県裁判、区裁判という各等級の裁判所を設置し、初めて控訴と反復審理を認めた。
明治八年に大審院を設置し、憲法の統一を守る機関とし、司法卿の職制を定めて検察事務を統括し、裁判には干渉しないこととした。
これより後、次第に改革が進み、裁判の独立を期する方針をとった。
これを司法事務沿革の概略とする。

 

ヨーロッパで前世紀末に普及した三権分立の説は、既に学理上及び実際上で排斥された。
そして司法権は、行政権の一支派として等しく君主の総攬するところに属し、立法権に対していうときは、行政権は司法権を概括した意味をもち、司法は行政の一部であるに過ぎず、更に行政権の中に職務の分割を論じる場合は、司法と行政はそれぞれの一部を占めるものということになる。
これは、最近の国法学者が一般的に是認するところであり、ここで詳細に論じるまでもない。
ただし、君主は裁判官を任命し、裁判所は君主の名において裁判を宣告するが、君主自ら裁判を行うのではなく、独立した裁判所が専ら法律に依拠して、行政権の範囲外で裁判を行う。
これを司法権の独立といる。
これは、三権分立の説によるのではなく、天皇大権という不易の原則によるものであることは間違いない。

 

 

第五章 司法

司法権は法律の定めるところに依拠し、正理公道をもって臣民の権利の侵害を回復し、また刑罰を判断する役目とする。
昔は政治制度が簡素で各国の政庁の設置は、未だ司法と行政の区別がなかったことは、歴史の証明するところである。
その後、文化がますます進み、社会生活上の出来事が複雑になってきたので、初めて司法と行政の間に役目を分割し、その構成や制度を別にし、越権を慎み、互いに干渉しないようになる。
こうして立憲政体に大いなる進歩をさせたのである。

 

第五十八条 裁判官は法律に依り定めたる資格を具ふる者を以て之に任す

 裁判官は刑法の宣告又は懲戒の処分に由るの外其の職を免せらるることなし
 懲戒の条規は法律を以て之を定む

(裁判官は、法律で定めた資格を有する者を任命する

 裁判官は、刑法の宣告又は懲戒処分によるほかに、罷免されることはない
 懲戒の条規は、法律で定める)


裁判官は、法律を守る役割を果たし、人民の上に衡平を保とうとする者である。
ゆえに専門の学識及び経験は、裁判官の要件である。
そして臣民が信頼して、権利財産を託すのは、また実に法律上正当な資格があることを頼みにしないわけにはいかない。
ゆえに本条第一項は、法律によって資格を定めるべきことを明らかにし保障したのである。

 

裁判の公正を保とうとするなら、裁判官が権威や権力から干渉されず、何者にも制約されない位置に立ち、権勢と地位のある者の利害や政治論議の冷熱をもって拘束されないようにしなければならない。
ゆえに裁判官は、刑法または懲戒裁判の判決により罷免されることを除いて、終身の職にあることとする。
そして裁判官の懲戒条規は法律で定め、裁判所の判決によって行い、行政長官に干渉されない。
これは、憲法においてとくに裁判官の独立を明らかにして保障するところである。

 

その他、停職、免職、転任、老退に関する詳細は、すべて法律の掲げるところである。

 

第五十九条 裁判の対審判決は之を公開す但し安寧秩序又は風俗を害するの虞あるときは法律に依り又は裁判所の決議を以て対審の公開を停むることを得

(裁判の対審及び判決は、公開する。ただし、安寧秩序又は風俗を害するおそれがあるときは、法律又は裁判所の決議により、対審の公開を停止することが出来る)

裁判を公開し、公衆の前で原告と被告が相対し口頭で審議するのは、人民の権利に対してもっとも効力のある保障となる。
裁判官が自らその義務を尊重し、正理公道の代表者であるようにさせるには、思うに、公開の力に頼るものが少なくない。
我が国は従来、白洲裁判(江戸時代の奉行所などに法廷が置かれ、裁判を行っていた)の慣習が、長く行われるところであったが、明治八年以来初めて対審、判決の公開を許可したのは、実に司法上の一大進歩である。

 

刑事事件の審理に予審と対審がある。本条で「対審」といえば、予審はその中に含まれない。「安寧秩序」を「害する」とは、内乱や外患に関する罪及び民衆を教唆するなど、人心を煽り立てることをいうのである。「風俗を害する」とは、私的なことを公衆の視聴にさらすときは、醜聞を流し風評を傷つけることをいうのである。「安寧秩序又は風俗を害するの虞あり」というのは、害があるかないかを判断するのは、もっぱら裁判所の所見によるのである。「法律に依」るというのは、治罪法や訴訟法の明文によるのである。「裁判所の決議を以て」というのは、法律の明文がなくても、裁判所の議論をもって決めることができるのである。「対審の公開を停む」というときは、判決の宣告は必ず公開するのである。

 

第六十条 特別裁判所の管轄に属すへきものは別に法律を以て定む

(特別裁判所の管轄に属すものは、別に法律で定める)

陸海軍人の軍法会議に属するのは、即ち通常の司法裁判所の管轄外の、「特別裁判所の管轄に属す」ものに該当する。
その他、商工業のために商工裁判所を設ける必要があるのならば、これも普通の民事裁判の管轄外の特別裁判所に属するものになる。
およそこれはすべて法律で規定すべきものであり、命令で法律の例外を設けることはできない。

 

もし法律の外において非常の裁判を設け、行政の勢威によって司法権を侵害し、人民のための司直の府を奪うようなことは憲法が認めないところである。

 

第六十一条 行政官庁の違法処分に由り権利を傷害せらたりとするの訴訟にして別に法律を以て定めたる行政裁判所の裁判に属すへきものは司法裁判所に於て受理する限りに在らす

(行政官庁の違法処分によって権利を侵害されたとする訴訟で、別に法律をもって定めた行政裁判所の裁判に属すべきものは、司法裁判所において受理するものではない)

行政裁判は、行政処分に対する訴訟を裁判することをいう。
思うに、法律は既に臣民の権利に向けて一定の枠組みを設け、これを安定し揺るぎなくさせた。
そして行政官庁の機関である者もまたこれに服従しなければならない。
故に行政官庁で、その職務上の処置により法律に違い又は職権を越えて臣民の権利を傷害した場合は、行政裁判所の断定を受けることを免れない。

 

よくよく訴訟を判定するのは司法裁判所の職任とする。
そして別に行政裁判所があるのは何故か。
司法裁判所は民法上の争訟を判定することを当然の職とし、そして憲法及び法律をもって委任された行政官の処分を取り消す権力をもっていない。
なぜならば、司法権が独立を必要とするように行政権もまた司法権に対して均しくその独立が必要とされるからである。
もし、行政権の処置に対して司法権の監督を受け、裁判所が行政の当否を判定取捨する任にいたならば、即ち行政官は正に司法官に隷属するものであることを免れない。
そして社会の便益と人民の幸福を便宜的に経理する余地を失う。
行政官の措置は、その職務により憲法上の責任を有し、従ってその措置に抵抗する障害を除去し、及びその措置により起こった訴訟を裁定する権を有すべきは、もとより当然であり、もしこの裁定の権を有しない時は行政の効力は麻痺消燼して、憲法上の責任をつくすのに理由がなくなってしまう。
これは、司法裁判の外に行政裁判の設置を要する所以の一つである。
行政の処分は、公益を保持しようとする。
故に時には公益の為に私益を枉げることがあるのは、また事宜の必要にいずるものである。
そして行政の事宜は、司法官の通常慣熟しないところであり、これをその判決に任せるのは、危道であることを免れない。
故に行政の訴訟は、必ず行政の事務に密接練達なる人を得てこれを聴理しなければならない。
これは、司法裁判の外に行政裁判の設置を要する所以の二つめである。
ただし、行政裁判所の構成は、また必ず法律をもってこれを定める必要がある事は、司法裁判所と異なるところはない。

 

明治五年司法省第四十六号達は、凡そ地方官を訴えるものは全て裁判所において行わせたが、地方官吏を訴える文書が法廷に集まり、にわかに司法官が行政を牽制する幣端を見るに至った。
七年第二十四号の達は、始めて行政裁判の名称を設け、地方官を訴えるものは、司法官に於いて具状して太政官に申稟させた。
これは一時の弊害を救うに過ぎず、そして行政裁判所の構成は、これを将来に期待した。

 

本条に行政官庁の違法の処分というときは、法律又は正当な職権に由る処分は、これを訴える事が出来ないことを知るべきである。
例えばこれは、公益の為に所有を制限する法律に処分を受けるものは、これを訴えることが出来ない。
本条にまた、権利を障害された者という時は、単に利益を傷害された者は、請願の自由が有り行政訴訟の権利がないことを知るべきである。
例えばこれは、鉄道を敷設する工事があり、行政官は規定の手続きに尊由して、その路線を定めたのに地方の人民が他の路線を取る利益があるとして、これを争う者がある。
これは、その争いは単に利益に属して権利に属さないが故に、これを当該官庁に請願する事が出来るが、これを行政裁判に訴える事は出来ない。

 

 

第六章 会計

会計は国家の歳出歳入を整理する行政の要の部分であり、臣民の生計と密接に関連をするものである。
ゆえに、憲法はとくにこれを慎重に規定し、帝国議会の協賛及び監督の権限を明確にする。

 

第六十二条 新に租税を課し及税率を変更するは法律を以て之を定むへし

 但し報償に属する行政上の手数料及其の他の収納金は前項の限に在らす
 国債を起し及予算に定めたるものを除く外国庫の負担となるへき契約を為すは帝国議会の協賛を経へし

(新たに租税を課し、また税率を変更するには、法律で定めなければならない

 ただし、報償に属する行政上の手数料及びその他の収納金は、前項の限りではない
 国債を発行し、また予算に定めたもの以外で国庫の負担となる契約をする場合は、帝国議会の協賛を経なければならない)


新たに租税を課すに当たっては、議会の協賛を必要とし、政府の独断専行に任せないのは、立憲政治の一大成果として、直接臣民の幸福を保護するものである。
思うに、既に定まっている現在の税のほかに、新たに徴税額を決めたり、税率を変更したりするに当たって、適当かを決定するのは、議会の公論に依頼しないわけにはいかない。
もし、この有効な憲法上の規定がなければ、臣民の財産の安全を保証する事が出来ないだろう。

 

第二項の「報償に属する行政上の手数料及びその他の収納金」とは、各個人の要求により、または各個人に利益を与えるための行政の事業や事務に対して納めるものであり、一般の義務として賦課される租税とその性質が異なるものをいう。
即ち、鉄道の切符料・倉庫料・学校授業料の類は、行政命令によって定める事ができ、必ずしも法律による必要はない。
ただし、行政上の手数料という場合は、司法上の手数料とは異なることを知るべきである。

 

第三項の国債は、将来国庫の負担義務を約束するものである。
ゆえに新たに国債を発行するには、必ず議会の協賛を取らなければならない。
予算の効力は一会計年度に限る。
ゆえに、予算のほかに将来の国庫の負担するべき補助、保証及びその他の契約をする場合は、すべて国債と同じく、議会の協賛を必要とする。

 

第六十三条 現行の租税は更に法律を以て之を改めさる限は旧に依り之を徴収す

(現行の租税は、法律によって改めない限りは、従来どおりに徴収する)

前条において既に、新たに課する租税は、必ず法律によって定めるべきことを明記している。
そして、本条の現行の租税は、さらに新たに定めた法律によって改正することがない限りは、すべて従来の旧制及び旧税率によって徴収すべきことを定める。
思うに、国家は必要な経費を供するために、一定の歳入を必要とする。
ゆえに、現行の租税に基づく国家の歳入は、憲法によって変更されないのみならず、憲法はさらに明文によって確定した。

 

(附記)これを欧州各国を参考にすると、毎年一年に徴税のすべてを議会の審議に付するのは、大体は無用の形式であるにもかかわらず、一般に理論的に尊重される所であり、ある国の憲法は、租税議決の効力は一年に限り、明文によって更新するものでなければ、一年を超えて存立しないことを掲げている。
今、その理由を推察すると、一つは、古い時代の欧州各国の君主は、家事を国務と混同させ、家の財産を国費に当て、私有地を殖やして、そこから収入を取り、文官、武官の需要に供給していたが、その後、常備軍の設置、軍需が巨大になったことと宮廷の費用により、財源が欠乏するに至ったため、国内の豪族を召集し、その貢物を取り立てて、歳費を補給する方法を取った。
これは欧州各国における租税の起源は、実際に人民の貢物や寄付に過ぎない(ウィッテンベルグ憲法第百九条に「王室財産の収入で足らない時は、租税を徴収して国費を支給すべし」というのは、その証拠の一つである)。
ゆえに国民は王家の飽くなき徴税を防ぐために、政府にその必要を証明し、国民の承諾を経ることを必要とし、「承諾がなければ租税なし」という約束をもって憲法の大原則とするに至った。
これは、歴史上の沿革より来たものである。
二つ目は、主権在民の主義により、国民はすべての租税に対し、専ら自由承諾権を有し、国民で租税を承諾しない時は、政府はその存立を失うのを自然の結果とする、極論から来たものである。
そもそも、この歴史的な遺産と架空の理論とは、両方合わせて各国の憲法に強大な影響力をもち、牢固で破る事が出来なくなるに至ったにもかかわらず、顧みるとその実情はどうかと問うてみると、イギリスおいては地租、関税、物産税、印紙税は恒久的に徴収し、毎年の固定に払い込む額は、歳入の七分の六になる(ダイシー氏による千八百八十四年の統計によると歳入全額は八千七百二十万五千百八十四ポンドであり、そのうち千四百万ポンドは毎年議決により徴収するものとし、その七千参百万ポンド余りは経常法により徴収する)。
これはつまり、昔日の因襲と法律の効力により、経常不動の歳入として、毎年審議に付する必要はないものである。
プロイセンは憲法第百九条により、現行の租税は従来どおりとする条規を実行している。
かの理論の巣窟であるフランスにおいても、毎年租税を審議するという原則は、曖昧に施行するのに過ぎない(ボーリウ氏の財政学第三版第二巻七十五ページから七十六ページ)。
そうして、毎年討議して税率を定めるところの直税についてもまた、既に不便を論じている者もいる。
思うに、これを立国の原理に求めると、国家の成立は永久であり、仮設のものではない。
ゆえに、国家の永久の存立を保つための経費の全体は、一年ごとに動かすべきではない。
そして、誰も、どんな機関も、必要経費の財源を閉ざして、国家の成立を妨げる権利はない。
彼の欧州各国の古い制度においては、国家常存の資源は王室の財産にあって、租税ではない。
ゆえに、人民は納税の承諾を一年ごとに限って決める事が出来るが、近世国家の原理がようやく定まるに至って、国家の経費は租税を資源とすべきであり、そしてとくに国家の存立に必要な経常税の徴収は、専ら国権によるものであり、人民の意のままの献上によるものでない事は、既に疑いの余地はないのである。

 

我が国は上古より国家の経費は、租税によって取り中古に三税(租・庸・調)の法を定め、国民に対して等しく納税の義務を課し、正規の租税のほかに徴収する道を開くことはなかった。
現在の各種の税法は皆一定の額があり、毎年変動する方法によることはない。
今、憲法において現行の租税を定めて経常税とし、将来に変更がある場合を除くほかは、すべて従来どおり徴収させるのは、国体に基づき、道理を斟酌し、むやみに改められるものではないのである。

 

第六十四条 国家の歳出歳入は毎年予算を以て帝国議会の協賛を経へし

 予算の款項に超過し又は予算の外に生したる支出あるときは後日帝国議会の承諾を求むるを要す

(国家の歳入歳出は、毎年予算を帝国議会の協賛を経なければならない

 予算の費目の額から超過したり、予算外に生じた支出がある時は、後日帝国議会の承諾を求める必要がある)


 予算は、会計年度の為に歳出歳入を予定し、行政機関をその制限に準拠させるものである。国家の経費に予算を設けるのは、財政を整理する第一歩である。そして予算を議会に付し、その協賛を経るとともに予算によって支出した後の超過支出及び予算外支出を議会の監督に付し、事後承諾を求めるに至っては、これを立憲制度の成果とするのに足りるものである。
 予算の事は、大宝令に見られない。徳川氏の時に各官庁に支出の定額はあったが予算はなかった。維新の後、旧慣によって国庫又は各官庁において逐次出納するのに止まった。明治六年大蔵省で始めて歳入出見込み会計表を作り、太政大臣に提出した。我が政府の予算を公文書とするのは、これが最初である。明治七年にまた同年度の予算会計表を作り、それ以後毎年のように予算の費目及び様式を改良していき、明治十四年に会計法を公布するに至ってようやく整頓され、明治十七年に歳入出予算条規を施行したことで、益々予算制度の端緒を見る事が出来た。明治十九年に勅令をもって予算を発布した。これが正式な予算公布の初めである。かくして、予算制度は会計上で必要な基準となるに至った。本条は更に進んで予算を議会に付する制度を採用している。思うに、予算を正当で明確なものとし、また、それを公衆に証明するとともに、行政官庁に予算を遵守することを当然の義務とするには、予算を議会に付すことが最も切実な効力があるだろう。
ここで弁明を必要とするのは、各国において予算を一つの法律と認めたことである。そもそも予算は単に一年間の行政官が遵守すべき基準を定めたものに過ぎない。よって、予算はその特別の性質により、議会の協賛を要するものではあるが、本来は法律ではない。

 

ただ、しかる故に法律は予算の上に前定の効力を有し、そして予算は法律を変更する作用をなす事が出来ない。予算を以て法律を変更するのは、予算議定権の適当な範囲を越えるものである。彼の各国において予算を以て法律と称えたのは、或いは予算の議定を過重して議院無限の権とするにより、また或いは凡そ議院の議を経るものは、全て法律を称呼するの誤りを踏むによるに過ぎない。よくよく法律は、必ず議会を経るという事ができる。そして議会の議を経るものは、必ず法律と名づけるという事は出来ない。なぜならば、議会の承諾をへるが、その特別の一時に限り普通に遵由させる条則でないものは、もとより法律とその性質を殊にするからである。
第二項の歳出の予算の款項に超過するものがあるか、又は予算の外に生じた費用の支出を行った時は、議会の事後承諾を求めるのは政府がやむを得ざる処分において、議会の監督を要するからである。蓋し、精確な予算は、過剰であるよりもむしろ不足が出てくるのは、往々にして避けられない事実である。各大臣は、予算に拘束されて既に不要となった予定の政費を支出する責任を有しない如く、やむを得えざる必要により生じた予算超過、及び予算外の支出を施行するのもまた、憲法禁止するところではない。何となれば、大臣の職務は独り予算に関する国会の協賛により指定されるのみではなく、寧ろ至高の模範である憲法及び法律に指定されたものでる。故に憲法上の権利又は法律上の義務を履践するために、必要な供需あるときに際して、大臣は予算に不足を生じ又は余山中の正条にない故を以て、その政務を廃する事は出来ない。そして、やむを得ざる超過及び予算外の支出は適法であることを失わない。よくよく、適法の事であり猶、事後承諾を要するのは何故か。行政の必要と立法の監督をして両々並行互相調和させる所以である。蓋し、国家もまた一個人と同じく乱費冗出の情幣があるのを免れない弱点であるが故に、予算の議決款項を細密に履行するのは、これを以て政府の重要義務としない事は出来ない[英国千八百四十九年三月三十日の衆議院の議決にいう、国会経費の科額を決定した時は、その経費をその目的の為に委任された額を超過しないように注意するのは、責任及び監督に当たる各省の義務であると]。そして、やむを得ざる超過支出及び予算外子出があるのは、異例の事とし、もし議会において乱費違法の情幣を発見し、その必要性が認められない時は、法律上の争議を定気することが出来ないとしても、政事上の問題を媒介することが出来る。但し、財政上政府の既に支出した費額及び政府の為に生じた義務については、その結果を変動することが出来ないのみ。
予算款項の超過は、議会において議決した定額をこれて支出したことをいう。予算外に生じた支出とは、予算に設けた款項の外に四件出来ない事項の為に支出したことをいう。[ドイツ検査院章程第十九条にいう、憲法第百四条にいう予算超過とは、予算において各項の流用を許し、この項の少支出を以て彼の項の多支出を補充出来るものを除く外、第九十九条に従って既に確定した会計予算の各款各項又は、議院の承認した特別予算の各項に違う多額の支出をいう。予算超過及び予算外の支出の証明は翌年に両議院に提出して、その承諾を受けるべしと。これは、その憲法第百四条の遺漏を補注し並びに予算超過を推して予算外の支出に及ぼすものである。]
附記:予算超過の支出は、各国の会計において実際に免れないところである。英国千八百八十五年の収入支出監督条規として、議院の議決する所による毎年の決算は、最後に下院の決算委員会においてこれを審査し、各科目に付き議決の金額に超過した支出がある時は、立法の認可を経べしといっている。[「コックス」氏による。氏はまたその事実を著していう、国会の議定費額は予算調整の当時にあっては十分余裕あるようであるが、実際に欠乏を告げ、次年度において不足を補給する費目が少なからずあると。蓋し、英国は事後承諾及び補充議決の両種の方法を行うものである]。ドイツは事後承諾の方法を取り、そして憲法にこれを明言している。イタリアは半ばに現年度における予算修正の方法を取り、半ば事後承諾の方法を取っている[千八百六十九年の法]。フランスは予算に定めた経費で、当然の理由によって不足を生じたものは補充費とし、予見出来ない事項または予算に定めた事務で既定の区域の外に拡張するものは非常費とし、補充費非常費は全て法律を以てこれを許可すべきものとし、国会閉会の場合においては参議院の発議により内閣会議を経て、命令を以て仮にこれを許可し、そしてその命令は次回の国会において承諾を受けるべきものとした[千八百七十八年法]。

 

第六十五条 予算は前に衆議院に提出すへし

(予算は、先に衆議院に提出しなければならない)

本条は、衆議院に予算先議権を与えたものである。
思うに、予算を審議するのは、政府の財務と国民の生計とを照らし合わせ、ともによく顧みて考え手厚くするか倹約するかを決める必要がある。
これは民衆の公選による代議士の職任において、もっとも大切なところである。

 

第六十六条 皇室経費は現在の定額に依り毎年国庫より之を支出し将来増額を要する場合を除く外帝国議会の協賛を要せす

(皇室経費は、現在の定額を毎年国庫より支出し、将来に増額を必要とした場合以外は、帝国議会の協賛を必要としない)

第六十四条に予算は帝国議会の協賛を経る必要があることを定めた。
そして、本条は皇室経費について、その例外を示すものである。

 

恭んで思うには、皇室経費は天皇の尊厳を保つために、欠くことの出来ない経費を供給する、国庫の最優先の義務である。
その使用は、ひとえに宮廷の事に係り議会の問うところではない。
従って、議会の承諾及び検査を必要とするべきではないのである。
皇室費額を予算及び決算に記載するのは、支出総額の内訳を示すものに過ぎないのであり、これを議会の審議に付する項目の一つとするわけではない。
そして、その将来増額を必要とするに当たり、議会の協賛を必要とするのは、臣民に負担させる租税と密接な関係を有するので、衆議に問うということである。

 

第六十七条 憲法上の大権に基つける既定の歳出及法律の結果に由り又は法律上政府の義務に属する歳出は政府の同意なくして帝国議会之を廃除し又は削減することを得す

(憲法上の天皇大権に基づく既定の歳出及び法律の結果生じた歳出、または法律上で政府の義務に属する歳出は、政府の同意なしに帝国議会がこれを排除又は削減する事は出来ない)

本条の「憲法上の大権に基つける既定の歳出」とは、第一章に掲げた天皇の大権による支出、即ち行政各部の官制・陸海軍の編制に必要な費用、文武官の俸給並びに外国との条約による費用であり、憲法の施行前と施行後かを論じない。
予算審議の前に既に定まっている経常費額となるものをいう。
「法律の結果に由」る歳出とは、議院の費用、議員の歳費や手当、諸般の恩給や年金、法律による官制の費用及び俸給の額をいう。
「法律上政府の義務に属する歳出」とは、国債の利子及び償還、会社営業の補助又は保証、政府の民法上の義務又は諸般の賠償等である。

 

思うに、憲法と法律は、行政及び財務の上に至高の標準を示すものであり、国家は立国の目的を達するために、憲法と法律を最高の主位を与えており、それにより行政と財務はこれに従属しなければならない。
ゆえに予算を審議する者は、憲法と法律に準拠し、憲法上及び法律上国家の配置に必要な費用を手当てすることを当然の原則としなければならない。
その他、事前に定められた契約や民法上又は諸般の義務も、等しく法律上の必要から生じるものである。
もし、議会が予算を審議するに当たり、憲法上の大権に準拠する既定の額、または法律の結果によることや法律上の義務を履行するのに必要な歳出を、廃除、削減することがあれば、これは即ち国家の成立を破壊し、憲法の原則に背くものとせざるをえない。
ただし、既定の歳出というときは、その憲法上の大権に基づくにもかかわらず、新設及び増設の歳出については議会において議論する自由がある。
そうして政府の同意を経たときは、憲法上の既定の歳出や法律の結果によること、または法律の義務に必要な歳出であるといえども、法律及び時宜の許す限りは省略や修正をすることが出来るべきである。

 

(附記)ボーリウ氏の著論によると、スウェーデンにおいて、国会が歳出を削減し、現在行っている建設の事業の継続に不足が生じる場合においては、国王の認許を得ずに、これを決議することが出来ない(スウェーデン憲法第八十九条)。
その他、ドイツの各邦において、議会は憲法上の義務または法律及び民法上の義務によって生じる必要な歳出を拒むことが出来ないという主義を掲げるものは、ブラウンシュヴァイク憲法第七十三条、オルデンブルク憲法第百八十七条、ハノーファー憲法第九十一条、ザクセン・マイニンゲン憲法第八十一条が、これである。
また、ひとたび予算で定めた経費は、その事項及び目的が消滅していない間は、国会の承諾なく増加させることが出来ない。
政府の承諾なく削減することが出来ないと定めるものは、アルテンブルク憲法第二百三条が、これである。
これはすべて、各国の古い慣習または成文にあるものであり、そして近代国家原理の発達と符合するものである。
ここに附記して参考にあてる。

 

第六十八条 特別の須要に因り政府は予め年限を定め継続費として帝国議会の協賛を求むることを得

(特別の必要があるときは、政府は予め年限を定めて、継続費として帝国議会の協賛を求めることが出来る)

歳費は毎年に審議して定めることを常とする。
思うに、国家の務めは活動が変化するものであって、杓子定規で律してはならない。
ゆえに国家の費用はまた、前年のものを次の年に繰り越してはならない。
ただし、本条は特別に必要がある場合に対して例外を設けるのは、陸海軍費の一部や工事製造のように、数年を期して成功を見るべきものについては、議会の協賛によって数年にわたる年限を定める事が出来るのである。

 

第六十九条 避くへからさる予算の不足を補ふ為に又は予算の外に生したる必要の費用に充つる為に予備費を設くへし

(避くことの出来ない予算の不足を補うために、または予算外に生じた必要な費用に充てるために、予備費を設けなければならない)

本条は予備費の設定によって予算の不足や予算外で必要な費用を補給することを定める。
思うに、第六十四条は予算超過及び予算外支出について、議会の事後承諾を求めるべきことを掲げている。
そして、その超過及び額外支出は、どの財源によって供給するかを指示していない。
これは、本条に予備費の設置を定める必要とする理由である。

 

(附記)各国の予備費の設置を参考するに、オランダにおいては各省に予備費五万フローリンを用意し、また政府一般のために五万フローリンを用意し、これによって議決した費目の不足を補給するために備えている。
イタリアの千八百六十九年の会計法は、予算の中に予備費を設けることを掲げ、予算額の避けることが出来ない不足に対応するために、二つの定額を許可している。
一つ目は、義務と命令により生ずる経費を支弁するための予備費とし(四百万フランク)、二つ目は、別に一項目をなすべき、予知出来ない経費のための予備費とする(四百万フランク)。
第一の予備費の使用は会計検査院の登記を経て大蔵長官が施行し、第二の予備費の使用は大蔵長官の発議により、閣議を経て勅令で、これを定める。
ドイツは、各省に予備費を置き、さらに大蔵省に非常予備費を置く。
これはすべて予算の不足と予算外の必要を補充するために、予め設けるものである。
スウェーデンは、予見出来ない場合に備えるために、国債局の収入から二種の予備金を設け、第一種は国家の防御や重要緊急な事件に備え、第二種は戦時の用に備える。
これらもまた、別に法律がある。

 

この記事のおすすめ本

憲法義解(岩波文庫)(伊藤 博文)


 
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昭和12年学会


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