伊藤博文が書いた皇室典範の解釈書、皇室典範義解を読んでみよう

 

皇室典範義解表紙

伊藤博文を中心に大日本帝国憲法が策定されていますが、それと同時に皇室の家法として皇室典範も策定されています。
いわゆる旧皇室典範になりますが、大日本帝国憲法と同様に、明治22(1889)年2月11日に明治天皇より、公布されることになりました。

 

この皇室典範は、帝国憲法の解釈書である憲法義解と同様に皇室典範義解が作られています。
皇室典範義解は、天皇や皇室の歴史を俯瞰して記載されていますので、皇室典範を知る上では読んでおいた方が良い本となります。

 

ここでは、伊藤博文が書いた皇室典範の解釈書、皇室典範義解を口語訳でご紹介します。

 

目次

 

 

皇室典範義解

皇室典範義解

恭て按ずるに、皇室の典範あるは益々其の基礎を強固にし、尊厳を無窮に維持するに於いて欠くべからざるの憲章なり。

 

祖宗国を肇め、一系相承け天壌と与に無窮に垂る。
此れ蓋し、言説を仮らずして、既に一定の模範あり。
以て不易の規準たるに因るに非ざるはなし。
今人文漸く進み、遵由の路必ず憲章に依る。
而して皇室典範の成るは実に祖宗の適意を明徴にして子孫の為に永遠の銘典を胎す所以なり。

 

皇室典範は皇室自ら其の家法を條定する者なり。
故に公式に依り之を臣民に公布する者に非ず。
而して、将来己むを得ざるの必要に由り、其の條章を更定することあるも、亦帝国議会の協賛を経るを要せざるなり。
蓋し、皇室の家法は祖宗に承け子孫に伝う。既に君主の任意に制作する所に非ず。
又、臣民の敢えて干渉する所に非ざるなり。

 

 

第一章 皇位継承

第一条 大日本国皇位は祖宗の皇統にして男系の男子之を継承す

(大日本国の皇位は、祖宗の皇統であり、男系の男子がこれを継承する)

恭て按ずるに、皇位の継承は祖宗以来既に明訓あり。和気満席呂還奏の言に白く「我国家開聞以来、君臣分定奏、以臣為君未之有也、天之日嗣、必立皇緒」と。

 

皇統は男系に限り、女系の所出に及ぼざるは皇家の成法なり。上代独り女系を取らざるのみならず、神武天皇より崇峻天皇に至るまで、三十二世全て女帝の立つるの例あらず。故に、神功皇后は国に当たること六十九年終に摂位を以て終えたまえり、飯豊青尊(いいとよあおのみこと)政を摂し清寧天皇の後を承け皇子なし。亦、近親の皇族男なし。而して、皇妹春日大娘あり。然るに皇妹位に即かずして、辞臣、従祖、履中天皇の孫顕宗天皇を推奉する。是れ以て上代既に不文の常典ありて易(か〉うべからざるの家法を成したることを見るべし。其の後、推古天皇以来、皇后皇女即位の例なきに非ざるも当時の事情を推原するに一時国に当たり幼帝の歳長するを待ちて位を伝えたまわんとするの健宜に外ならず。之を要するに祖宗の常憲に非ず。而して終に後世の模範と為すべからざるなり。本條皇位の継承を以て男系の男子に限り、而して、又第二十一条に於いて皇后皇女の摂政を掲げたる者は、蓋し、皆先王の適意を紹述する者にして、苟も新例を創めるに非ざるなり。

 

祖宗の皇統とは一系の正統を承ける皇胤を請う。而して和気清麻呂の所謂「皇緒なる者」と其の解義を同じくする者なり。皇統にして皇位を継ぐは必ず一系に限る。而して二、三に分割すべからず。天智天皇の言に日く「天無隻日国無二王」と。故に後深草天皇以来数世の問、両統互に代り終に南北二朝あるを致ししは皇家の変遷にして祖宗典憲の存ずる所に非ざるなり。

 

以上、本条の意義を約説するに祖宗以来皇祚継承の大義炳焉(へいえん)として目星の如く万世に亘りて易うべからざる者、蓋し、左の三大別とする。
第一 皇祚を踏むは皇胤に限る
第二 皇祚を踏むは男系に限る
第三 皇祚は一系にして分裂すべからず

 

第二条 皇位は皇長子に伝ふ

(皇位は、天皇の長男に伝える)

 

第三条 皇長子在らさるときは皇長孫に伝ふ皇長子及其の子孫皆在らさるときは皇次子及其の子孫に伝ふ以下皆之に例す

(皇長子がいない時は、長男の子に伝える。長男及びその子孫がいない時は、天皇の次男及びその子孫に伝える。以下すべてこれを例とする)

恭て按ずるに、莵道稚郎子(うじのわかいらつこ)の言に白く「毘上面李下、古今之常典」と。
葛野王(かどののおおきみ)、持統天皇に進奏するの言に日く「我国家為法也、神代以来、子孫相承、以襲二天位一、若兄妹相及、則乱従レ此興」と此れ及び祖宗以来子孫直径相伝うるは、反正天皇の履中天皇に於ける允恭天皇の反正天皇に於けるより始まり、皆已むを得ざるに出て其の正に非ざるなり。
第二第三条継承の法を一定して後王の為に常典を貽し、敢えて権宜左右することを容さざるは、蓋し、祖宗の遺範を悔み、長く乱萌(らんほう)を後裔に絶つ所以なり。
凡そ子孫と云えるは曾孫以下皆其の内に在り。
〈古典に天神之孫也とあるは(日本書紀巻二)天祖の裔孫を謂えるなり。
又五世孫、七世孫とあり(同書巻十)走れ姓氏録の慣用する所なり。〉長子の子孫は次子に先たずは宗続を重んずるなり。
長子の子孫在らざるに至って始めて次子に移る。
次子の子孫の第三子以下に於けるも亦同例とする。

 

次条に皇庶子孫の皇位を継承するは皇嫡子孫皆在らざるときに限ると請うときは第二第三条は嫡子孫に就いて其の長を択ぶも亦本法に依ること知るべきなり。

 

第四条 皇子孫の皇位を継承するは嫡出を先にす皇庶子孫の皇位を継承するは皇嫡子孫皆在らさるときに限る

(皇子孫が皇位を継承するのは、嫡出子を優先する。皇庶子孫が皇位を継承するのは、皇嫡子孫が絶えた時に限る)

恭て接ずるに、祖宗の嫡を先にし、庶を後にするは神武天皇長子、手研耳命(たぎしみみのみこと)を措いて綏靖天皇を立てたまうに始まる。
是を継嗣の常典とする。
但し、皇緒万世一日も曠くすべからず。
故に、既に嫡出なきときは庶出、亦位を継ぐことを得せしめる。
蓋し、清寧天皇崩し皇嗣なし。
履中天皇の孫、顕宗天皇皇位を継ぐ。
而して天皇は実に其の姉、飯豊青尊、兄、仁賢天皇と供に履中天皇の庶出、磐坂市辺押羽皇子(いわさかいちべのおしはのみこ)の子なり。
(清寧天皇の妹、春日大娘あり。亦庶出なり。)武烈天皇崩して皇嗣なし、応神天皇五世の孫、継体天皇を迎え位に即く。
而して、天皇は実に応神天皇の庶出、稚淳毛二派皇子(わかぬけふたまたのみこ)の後なり。
此の時に当って皇統絶えざること綫(せん)の如し。
若し庶系を立つることなかりせば、当時既に言うべからざるの事あらん。
我が国の庶出を絶たざるは実に己むを得ざるに出る者なり。

 

「皇嫡子孫皆在ラサルトキニ限ル」とは、長子及び次子以下及び其の子孫に通じて之を謂うなり。
故に、皇庶長子は皇嫡幼子孫に先立つことを得ず。
長系の庶皇孫に先立つことを得ざるなり。

 

問い、皇庶子の子嫡出なるときは之を嫡皇孫とすることを得べきか。
答え、皇庶子の子孫は即ち庶流なり。
故に、皇庶子の嫡出の子は其の庶出の兄弟に先立つべきも皇嫡子孫に先立つことを得ず。

 

第五条 皇子孫皆在らさるときは皇兄弟及其の子孫に伝ふ

(皇子孫が絶えた時は、皇兄弟及びその子孫に伝える)

 

第六条 皇兄弟及其の子孫皆在らさるときは皇伯叔父及其の子孫に伝ふ

(皇兄弟及びその子孫が絶えた時は、皇伯叔父及びその子孫に伝える)

 

第七条 皇伯叔父及其の子孫皆在らさるときは其の以上に於て最近親の皇族に伝ふ

(皇伯叔父及びその子孫が絶えた時は、それ以外の最も近親の皇族に伝える)

恭て按ずるに、第五、第六、第七条は皇子孫在らざるに当たり、継嗣を定めるに最近親を以てすることを示すなり。
皇子孫は現在の天皇に属する至親の宗系たり。
皇子孫の嫡庶供に在らざるときは皇兄弟を以て最近親とする。
故に、継承の権、皇兄弟の中の一に移る。其の現在の天皇と同父なればなり。

 

皇兄又は皇弟の子及び孫は皇兄又は皇弟の系統に属する者なり。
皇兄弟及び其の子孫の嫡庶、供に在らざるときは比に次ぎ皇伯叔を最近親とする。
故に、継承の権、皇伯叔の中の一に移る。
其の現在の天皇の父と同父なればなり。

 

皇伯又は皇叔の子及び孫は、皇伯又は皇叔の系続に属する者なり。
皇伯叔以上最近親の皇族と謂えるは皇大伯叔及び其の以上皆之に準ずるなり。
一系の下は尊卑相承け、而して、宗系尽きて支系に及び、近系尽きて遠系に及ぶ。
蓋し、継承の疑義を将来に絶ち、皇緒の慶福を永遠に保たんとするなり。

 

第八条 皇兄弟以上は同等内に於て嫡を先にし庶を後にし長を先にし幼を後にす

(皇兄弟以上は同等内において嫡子を優先し、庶子を後にし、年長者を先に年下を後にする)

恭て按ずるに、皇兄弟一等とし、皇伯叔又一等とし、皇大皇伯叔又一等とする。
皇兄弟の等内に於けるは其の嫡長を択び、嫡なきときは庶出の中に就いて其の長を択ぶ。
皇兄弟の子孫に於けるは総て皇子孫の例に同じ。
皇伯叔の等内に於いて嫡を先にし、長を先にするは其の例、皇兄弟の等に同じ。
其の皇大伯叔の等に於けるも亦同じ。
蓋し、皇子孫の庶出は皇兄弟の嫡出に先んずるは皇家其の宗系を重んずるの例典にして、天皇の下尊卑相承け嫡庶供に尽くるに非ざれは支系に移ることなし。
本条推して之を各等に及ぼし、一等ごとに嫡長を先にし、庶幼を後にし、嫡庶供に尽きる毎に其の等を上する。
皆其の例を同じくする。故に、同等内に於いてと請えるなり。

 

嫡を先にするとは嫡出を先にし、嫡系を先にするを謂う。
長を先にするとは長子を先にし、長系を先にするを謂う。
故に、皇嫡兄弟及び其の子孫は皇庶兄弟に先立ち、皇嫡兄弟の中に就いては皇長兄及び其の子孫は皇幼弟に先立ち、皇嫡兄弟なきときは皇庶兄及び其の子孫は又皇庶弟に先立つべきなり。

 

第九条 皇嗣精神若は身体の不治の重患あり又は重大の事故あるときは皇族会議及枢密顧問に諮詢し前数条に依り継承の順序を換ふることを得

(皇嗣に精神もしくは身体に不治の重患があり、または重大な事故がある時は、皇族会議及び枢密顧問に諮問し、前数条により継承の順序を換えることが出来る)

恭て按ずるに、皇嗣は先王憲典の存する所に循(したが〉い、大統を継ぎ、神器を伝えるの位に居る。
而して、人主の任意に左右することを得る所に非ず。
故に、継承の順序を換えるは必ず精神、若しくは身体の不治の重患あり。
又は重大な事故ありて神器の重きを承けるに堪えざるときに限り、而して、又必ず皇族会議及び枢密顧問に諮詞するを経て始めて決行することを得、若し、本条の定める所に依らずして、継嗣を易え置くは典範の認めざる所たり。
而して一時の過失の如きは以て重大の事故と為すの類に非ざるなり。

 

 

第二章 践祚即位

第十条 天皇崩するときは皇嗣即ち践祚し祖宗の神器を承く

(天皇が崩御するときは、皇嗣は、直ちに践祚し祖宗の神器を継承する)

恭て按ずるに、神祖以来、鏡・剣・璽、三種の神器を以て皇位の御守と為したまい、歴代即位の時は必ず神器を承けるを以て例とせられたり。
允恭天皇元年紀に「大中姫命(おおなかつひめのみこと)、謂二群卿一日、皇子〈允恭天皇)将聴群臣之請今当上天皇璽符、於是群臣大善、即日捧天皇之璽符再拝上焉、及即帝位(日本書紀)」と云える是れなり。

 

上古(じょうこ)は践祚、即ち即位にして両事に非ず。
令義解に「天皇即位謂之践詐、位也」とある、是れなり。
此の時より践祚の日に神器を奉られたり。
蓋し、「天子之位、一日不可曠(歴世の宣命に見る。蓋し、古諺なり)。
故に、継体天皇群臣の迎える所となり、未だ帝位を踏みたまわず。
而して、史臣既に「天皇移樟葉宮」と書したり(藤原兼実玉海)然るに天智天皇重きを承けて仍皇太子と称え、七年の後に即位の礼を行いたまえり。
是れ践祚と即位と両様の区別を為したるの初なり。
其の後、歴代践祚の後数年にして即位の礼を行われたることありしも神器は必ず践辞の時に奉られること上古と異なることなし。
本条は皇位の一日も曠欠すべからざるを示し、及び神器相承の大義を掲げ以て旧章を照明にする。
若乃継承の大義は践祚の儀文の有無を問わざるは固より本条の精神なり。

 

再び恭て按ずるに、神武天皇より欽明天皇に至る迄三十四世曾て譲位の事あらず。
譲位の例の皇極天皇に始まりしは、蓋し、女帝仮摂より来る者なり。
(継体天皇の安閑天皇に譲位したまいしは同日に崩御あり。未だ譲位の始となすべからず〉聖武天皇、皇光天皇に至って遂に定例を為せり。
此を世変の一とする。
其の後、権臣の強迫に因り両統互立を例とするの事あるに至る。
而して、南北朝の乱、亦此に源因せり。
本条は践祚を以て先帝崩御の後に即ち行われる者と定めたるは上代の恒典に因り、中古以来譲位の慣例を改める者なり。

 

第十一条 即位の礼及大嘗祭は京都に於て之を行ふ

(即位の礼及び大嘗祭は、京都で行う)

恭て按ずるに、天智天皇称制の後、更に即位の礼を行われし以来、歴代相因るの大典となれり。
文武天皇紀に載せたる即位の詔に「集侍皇子等、王、臣、百官人等、天下公民諸々間食と諮る」とあるは、蓋し、上代の遺例にして皇族以下百官人民を集めて詔命を天下に布きたまいしなり。
即位の古礼の史乗に見えたるは持統天皇紀に「物部ノ麻呂ノ朝臣樹大盾ヲ、神祇伯・中臣大島朝臣読天神寿詞(よごと)畢、忌部ノ宿禰色夫知奉上ス神璽剣鏡於皇后、皇后即天皇ノ位ニ、公卿百僚羅列匝拝而拍手焉」とあるを始とする(此の前孝徳紀に見えたれとも備わらず)。
即位の式は大極殿にて行われ、冕服を服し高御座に即きたまう(貞観儀式〉。
冷泉天皇御悩に由り、紫宸殿にて行われる。
其の後大極殿災廃して、或いは太政官庁にて行われ、或いは南殿〈即ち紫震殿)にて行われたり。
武門政を専にするの時、用度供給せずして践祚の後数年を経と言えども、猶大礼を行われざることありし。
維新の後、明治元年八月二十七日即位の礼を挙行せられ、臣民再び祖宗の遺典を仰望することを得たり。
十三年、車駕京都に駐まる。
旧都の荒廃を嘆惜したまい後の大礼を行う者は宜く此の地に於いてすべしとの旨あり。
勅して宮闕(きゆうけつ)を修理せしめたまえり。
本条に京都に於いて即位の礼迄び大嘗祭を行うことを定めるは大礼を重んじ遺訓を恪み、又本を忘れざるの意を明らかにするなり。

 

大嘗の祭は神武天皇元年以来歴代柏因って大典とはせられたり。
蓋し、天皇位に即き、天祖迄び天神地祇を請饗せられるの礼にして一世に一度行われる者なり(天武天皇以来年毎に行うを新嘗とし、一世に一度行うを大嘗とする。)王政の中頃衰えたるとき此の儀久しく廃絶したりしに(後土御門天皇以来二百二十二年の間廃止し、東山天皇に至り再び行われ、中御門天皇以来五十一年の間行われず。桜町天皇に至って挙行せられる。〉明治四年十一月、詔ありて挙行せられたり。

 

第十二条 践祚の後元号を建て一世の間に再ひ改めさること明治元年の定制に従ふ

(践祚の後に元号を建て、一世の間に再び改めない事は、明治元年の定制に従う)

恭て按ずるに、孝徳天皇紀に「改天豊財重自足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)四年為大化元年」とあるは是れ建元の始にして、歴代例制となれりしも其の後、陰陽占卜の説に依り、一世の間屡々年号を改め、徒に史乗の煩きを為すに至れり。
明治元年九月八日の布告に云う「今般御即位御大礼被為済先例為之通被為改年号候就テハ是迄吉凶之象兆二随ヒ屡々改号有之候得共自今御一代一号二被定候依之改慶応四年可為明治元年旨被仰出候事」と此れ本条の依る所の令典なり。

 

 

第三章 成年立后立太子

第十三条 天皇及皇太子皇太孫は満十八年を以て成年とす

(天皇、皇太子及び皇太孫は、満十八歳で成年とする)

恭て按ずるに、中古以来、天皇元服の制を設けられる。
大抵十一歳より十五歳に至り、元服を行われたり。
明治九年、民法上の丁年を定めて満二十歳とする。
本条天皇及び皇太子、皇太孫の為に成年を定めて十八年としたるは天皇及び皇嗣は神器の重に当たり尋常適法の拘る所に非ざればなり。

 

第十四条 前条の外の皇族は満二十年を以て成年とす

(前条以外の皇族は、満二十歳を成年とする)

恭て按ずるに、天皇及び皇嗣の成年を以て之を他の皇族に及ぼさざる前条特例の限に在らざるなり。

 

第十五条 儲嗣たる皇子を皇太子とす皇太子在らさるときは儲嗣たる皇孫を皇太孫とす

(世継ぎである皇子を皇太子とする。皇太子がいない時は、世継ぎである皇孫を皇太孫とする)

恭て按ずるに、皇太子、古は「ヒツギノミコ」と称う。
神武天皇紀に「立皇子神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと)為皇太子」と此れ乃史臣皇太子の称を用い、日嗣の御子の名に当てたる者にして、中古以来は取って典礼とせられたり。
其の皇子に非ずして皇嗣となるも、史臣亦皇太子を以て称う(成務天皇、日本武尊の第二子、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を立てて皇太子と為す。即ち皇姪なり)。
従姪孫の天皇にして族叔祖を立てるに至っても亦太子と呼べり(孝謙天皇の淳仁天皇に於ける是れなり〉。
但し、或いは立太子を宣行するあり。
或いは宣行せざるありて、其の実一定の成例あらず。
皇弟を立てるに至っては或いは儲君と称え(反正天皇の履中天皇に於ける)、或いは太子と称え(後三条天皇の後冷泉天皇に於ける〉、或いは太弟と称う〈嵯峨・淳和・村上・円融・後朱雀・順徳・亀山〉。
亦未だ画一ならず。
今既に皇位継承の法を定め、明文の掲げる所と為すときは立太子、立太孫の外、支系より入って大統を承けるの皇嗣は立坊の儀文に依ることを須いず。
而して皇太子、皇太孫の名称は皇子、皇孫に限るべきなり。

 

第十六条 皇后皇太子皇太孫を立つるときは詔書を以て之を公布す

(皇后、皇太子及び皇太孫を立てる時は、詔書をもってこれを公布する)

恭て按ずるに、立后の事は神武天皇以来歴世の帝紀に載せたり。
而して、立后の詔は始めて聖武夫皇紀に見ゆ。
其の宣命に謂えることあり「天下ノ政二於キテ独知ルへキ物ニアラス必モ後(シリヘ)ノ政アルヘシ此ハ事立ツニアラス天二日月アル如ト地二山川アル如ト並ヒ座マシテ在ルヘシト云フコトハ汝等、王、臣等明二見、知レルコトナリ云々」此の詔命は坤位冊立の義を表するに於いて事理昭明、更に賛辞を須いざる者なり。
本条に立后の大礼、必ず詔書を以て公布することを定めるは先王の典故を重んじ、且つ、中古以来中宮准后の設あり。
従って冊立の儀を欠くことあるは将来に依るべきの模範と為すべからざることを明らかにするなり。

 

立太子の詔は始めて光仁天皇紀に見ゆ。
貞観儀式に(立皇太子儀章)宣制の式を載す。
曰く「法(ノリ)のままに有るべき政として某の親王を立てて皇太子と定め賜う。故此の悟りて百官人等仕奉と詔る云々」と。
蓋し、皇太子、皇太孫は祖宗の正統を承け、皇位を継嗣せんとする。
故に、皇嗣の位置は立坊の儀に由り始めて定まるに非ず。
而して、立坊の儀は比に由って以て臣民の脆望(せんぼう)を暦(あ)かしめる者なり。

 

 

第四章 敬称

第十七条 天皇太皇太后皇太后皇后の敬称は陛下とす

(天皇、太皇太后、皇太后及び皇后の敬称は陛下とする)

恭て按ずるに、陛下は臣下より天子に敷奏するときの敬称なり。
本条に陛下の敬称を以て通じて至尊に対するの称謂とし、而して、敷奏陛見の辞に限らざるは旧典を敷衍(ふえん)して、之を内外に広めるなり。
大宝の令に三后に上啓するは殿下と祢う。
本条に太皇、太后、皇太后、皇后皆陛下と称うるは嫡后国母は至尊に斉匹し、至尊と供に臣民の至隆なる敬礼を受くべければなり。
但し、君位は一ありて二なし。
皇后は固より佗〈ほか)の皇族と均しく、人臣の列に居る。
而して大宝の制と其の称を殊にして仍其の実を同じくすることを失わざるなり。

 

第十八条 皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃内親王王王妃女王の敬称は殿下とす

(皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王の敬称は殿下とする)

恭て按ずるに、本条は旧制皇太子に於いて殿下と称うるの例に因り、推して之を皇族に及ぼすなり。

 

 

第五章 摂政

第十九条 天皇未た成年に達せさるときは摂政を置く

 天皇久きに亙るの故障に由り大政を親らすること能はさるときは皇族会議及枢密顧問の議を経て摂政を置く

(天皇が成人に達しない時は、摂政を置く

 天皇が長期間にわたる故障によって、大政を行う事が出来ない時は、皇族会議及び枢密顧問の議を経て摂政を置く)


恭て按ずるに、摂政は以て皇室避くべからざるの変局を救済し、一は皇統の常久を保持し、二は大政の便宜を疏通し、両(ふた)つながら失墜の愚を免れる所以なり。
摂政は天皇の天職を摂行し、一切の大政及び皇室の内事皆天皇に代り之を総攬する。
而して、至尊の名位に居らざるなり。
之を古今及び各国に参照するに摂政の事例一に非ず。
或いは君祚を仮摂するあり(飯豊青尊の摂政に居たまえるは此れに近し〉。
或いは人臣を以て大政を摂行するあり(殷の伊尹、我が藤原良房、是れなり)。
或いは共同摂政を組織し、輔臣を以て摂政体と為すあり(周の幽王の後の共和及び巴威爾(バイエルン〉索遜(ザクセン〉瓦敦堡〈ウィッテンベルク)等の国に於ける共同摂政是れなり)。
而して、国家の危機、亦、往々摂政の時に起こる者少なからず。
本条は摂政を認めて摂位を認めず。
以て大統を厳慎にするなり。
而して、人臣の摂政を詐さざるは次条に於いて之を見る。

 

天皇久きに亘るの故障とは重患、彌留(びりゅう)、歳月の久しきに亘り医治の望みなく、又は其の他の事故に因り、天職曠欠なるを請う。
而して、其の大政を親らするに堪えざるに至って始めて摂政を置くの事あるべし。
若し、天皇一時の疾病違和、又は国境の外に在すの故を以て皇太子皇太孫に命じ代理監国せしめるが如きは大宝令「以令代勅」の制に依り、別に摂政を置かず(欧州各国亦此の例を同じくする〉。
摂政を置くは己むを得ざるの必要に由る故に、天皇既に成年に達し、又は違豫常に複したもうときは摂政を罷(や)めること別に明言を待たずして知るべきなり。

 

次項、皇族会議及び枢密顧問の議を経るは何ぞ乎。
蓋し、事体時ありて、或いは疑似に渉ることあるを免れず。
故に、典範に於いて其の議を経ることを掲げて要件と為すなり。
其の諮詞と謂わずして議を経と謂えるは何ぞ乎。
天皇或いは諮詢の命を親らすること能わざるの情況に在るも皇族会議、枢密顧問は皇室の大事に於いて推?、傍観すべきに非ず。
進んで其の誠を致し以て宮禁の大計を定めるべきなり。
其の或いは皇族会議に由って発議し、枢密顧問の審議に付すると、或いは枢密顧問の発議に由り皇族会議の共同を求めると供に時宜に従うなり。

 

第二十条 摂政は成年に達したる皇太子又は皇太孫之に任す

(摂政は、成年に達した皇太子又は皇太孫をこれに任命する)

 

第二十一条 皇太子皇太孫在らさるか又は未た成年に達せさるときは左の順序に依り摂政に任す

 第一 親王及王
 第二 皇后
 第三 皇太后
 第四 太皇太后
 第五 内親王及女王

(皇太子、皇太孫がいない場合、または未成年である時は左の順序により摂政に任命する)

恭て按ずるに、推古天皇紀に「立厩戸豊聴耳皇子(うまやどのとよとみみのみこ)為皇太子仍録摂政以万機悉委焉」是を皇太子摂政の例とする。
仲哀天皇崩し、応神天皇胎中に在り、皇母神功皇后摂政する。
是を皇后摂政の例とする。
顕宗天皇紀に「白髪天皇(しらかのすめらみこと)崩、皇太子億計王輿天皇議位、久而不処、由是、天皇ノ姉飯豊青皇女臨朝乗政」是を皇女摂政の例とする。
上世摂政に当たる者は必ず皇族に限る。
中古以来始めて大臣摂政の例あり。
而して、要するに一時の便宜にして以て後世の模範と為すべからず。
本条摂政の制を定め、皇族に限り人民に及ぼさざるは、蓋し、大政の繋がる所を厳かにし、神器の重きを慎むなり。

 

第一条に皇位を継承するは男系の男子に限ることを掲げたり。
而して、本条皇后、皇女に摂政の権を付与するは、蓋し、上古以来の慣例に遵(したが)い、且つ摂政其の人を得るの道を広くし、人臣に下及するの漸を杜(ふさ〉がんとなり。

 

第二十条に謂える皇太子、皇太孫の成年は第十三条に依る。
其の他親王以下普通の成年に達せざるは仍摂政に任ずべからざること知るべきなり。

 

第二十二条 皇族男子の摂政に任するは皇位継承の順序に従ふ其の女子に於けるも亦之に準す

(皇族男子を摂政に任ずるのは、皇位継承の順序に従う。女子においてもこれに準じる)

恭て按ずるに、上代皇太子摂政の任に当たるの事あるは是れ既に摂政の重任と、皇位継承の順序とを以て併せて一条の軌轍と為すの義例を始める者なり。
蓋し、各国古史の載する所に参考するに摂政は長年徳器の人を択んで之に任ずる。
而して継統の変、多くは此に因って起こる。
本条に摂政の任を以て専ら皇位継承の順序に従わしめるは宗続の倫序を以て併せて摂政に及ぼし、危疑の門を将来に絶つ所以なり。
故に、第十九条に依り摂政を置くを要するの時あるに際しては皇位継承の順次に当たれる皇族は群臣の推奉あるを待たずして、進んで摂政に任ずるの権利及び義務を有すべきこと、皇太子の大位を継ぐに於けると異なること無きなり。

 

皇族女子は皇位継承の権なし(第一条)。
但し、摂政に任ずるの順序は皇族男子の継承の順序に比準して先後を定める。

 

第二十三条 皇族女子の摂政に任するは其の配偶あらさる者に限る

(皇族女子を摂政に任ずる場合、配偶者がいない者に限る)

恭て按ずるに、上代既に嫁するの皇族女子、摂政に任ずるの例あることなし。
蓋し、其の夫に従うの義と並行すべからざれはなり。
而して、異姓に嫁するの王女は王族に非ざるときは従って又摂政の権あらざるべきなり。

 

但し、其の皇族に嫁するの後、夫を喪い、寡居する者及び異姓に嫁するも離婚して本族に複し、又は嬬婦となるの後、其の夫の家を離れ、本族に復する者は仇摂政たるの権を失わざるべし。
故に、本条は未だ嫁せざるの皇女と謂わずして配偶あらざる者と謂う。

 

第二十四条 最近親の皇族未た成年に達せさるか又は其の他の事故に由り他の皇族摂政に任したるときは後来最近親の皇族成年に達し又は其の事故既に除くと雖皇太子及皇太孫に対すの外其の任を譲ることなし

(最近親の皇族が未だ成年に達しないか、またはその他の事故により他の皇族を摂政に任ずる時は、後に最近親の皇族が成年に達し、または事故が既に除かれても、皇太子及び皇太孫に対する以外は、摂政の任を譲る事はない)

恭て按ずるに、本条は明文を以て予め疑義を判ずるなり。
皇太子、皇太孫は大統の宗系に居る。
故に、巳(すで)に成年に達し、又は事故己に除くときは他の皇族及び皇后以下摂政に当たれる者総て其の任を譲らざることを得ず。
但し、甲の皇族と乙の皇族との間にして単に親疎の別ある者に在っては一度摂政に当たれるの甲は更に其の任を乙に譲ることを要せず。
又、任意に之を譲ることを得ざる者とする。

 

第二十五条 摂政又は摂政たるへき者精神若は身体の重患あり又は重大の事故あるときは皇族会議及枢密顧問の議を経て其の順序を換すること得

(摂政又は摂政たるべき者が精神若しくは身体に重大な病気があり、または重大な事故のある時は、皇族会議及び枢密顧問の議を経てその順序を換える事が出来る)

恭て按ずるに、摂政又は摂政たるべき者重患又は重故あるに因り、其の順序を換えるの必要なる時機あるに当っては皇族会議及び枢密顧問は和衷同心以て其の誠を致し、大計を定めざることを得ず。

 

本条に重患と謂って不治の重患と謂わず、第九条と文を異にするは彼此の間に固より軽重の別あればなり。

 

 

第六章 太傅

第二十六条 天皇未た成年に達せさるときは太傅を置き保育を掌らしむ

(天皇が成年に達しない時は、太傅を置き保育を掌らせる)

恭て按ずるに、太子傅の職は大宝の令に見ゆ。
而して、持統天皇紀に「以直廣壹(じきこういち)當麻國見(たぎまのくにみ)為東宮太傅」の事を載せたれば、蓋し、其の由って来ること久しきなり。
本条天皇幼沖の為に太傅を置くことを定めるは保伝の任、其の重きこと摂政に亜けばなり(大宝令に「傅一人、掌以道徳輔中導東宮」而して、太傅は専ら保育教導の任に止まり、大政に干預することなく、摂政は大政を摂行するも保導及び天皇の私事に干渉せず。

 

第二十七条 先帝遺命を以て太傅を任せさりしときは摂政より皇族会議及枢密顧問に諮詢を之を選任す

(先帝が遺命により太傅を任命しない時は、摂政が皇族会議及び枢密顧問に諮詢し、これを選任する)

 

第二十八条 太傅は摂政及其の子孫之に任することを得す

(太傅は、摂政及びその子孫をこれに任ずることは出来ない)

 

第二十九条 摂政は皇族会議及枢密顧問に諮詢したる後に非されは太傅を退職せしむることを得す

(摂政は、皇族会議及び枢密顧問に諮詢した後でなければ、太傅を退職させることが出来ない)

恭て按ずるに、摂政は大政を総摂するのみならず、兼ねて又皇家の内事を監督する。
故に、先帝の遺命あらざりしときは摂政は太傅を選任するの事を怠らざるべく、而して、摂政及び其の子孫は太傅に任ずることを得ず。
及び太傅の任免は必ず皇族会議及び枢密顧問に諮詢し、而して後決行することを定めるは危疑の門を慎み、摂政をして其の忠順を全くせしめんとなり。

 

 

第七章 皇族

第三十条 皇族と称ふるは太皇太后皇太后皇后皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃内親王王王妃女王を謂ふ

(皇族と称するのは、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王をいう)

恭て按ずるに、太皇太后、皇太后は令義解に「謂天子の祖母登后位者為太皇太后謂天子の母登后位者為皇太后」と云えり。
続日本紀に「天平應眞仁正皇太后(てんぴょうおうしんにんしょうこうたいごう)、聖武皇帝儲弐之日、納以為妃」とあり。
是れ古は皇太子の正配を称えて妃と謂いしなり(御息所の称は延喜以後の物語に見ゆ。蓋し、俗称にして典例に非ざるなり)。
又、日本書紀に大津皇子妃、皇女山辺の文あり(持統紀)。
是れ凡そ皇子の正配亦妃と称えしなり。

 

皇族とは凡そ皇胤の男子及び其の正配及び皇胤の女子を謂う。
凡そ皇族の男子は皆皇位継承の権利を有する者なり。
故に中世以来「空費府庫」を以て姓を賜い、臣籍に列するの例は本条の取らざる所なり。
皇女にして異姓の臣籍に嫁したる者は其の夫の身分に従う。
故に、本条に内親王女王と謂えるは未だ嫁せざるの女王を指すこと知るべきなり。

 

太皇太后、皇太后の序列は大宝令に依り、尊属の序次に従うなり。

 

第三十一条 皇子より皇玄孫に至るまては男を親王女を内親王とし五世以下は男を王女を女王とす

(皇子より皇玄孫に至るまでは、男を親王、女を内親王とし、五世以下は男を王、女を女王とする)

恭て按ずるに、子の子を孫とし、孫の子を曾孫とし、曾孫の子を玄孫とする〈和名抄に依る)。
子を一世とし、孫を二世とし、曾孫を三世とし。玄孫を四世とし、玄孫の子を五世とする。
大宝令に「自親王五世」と謂える是なり。
之を上古に考えるに皇子は「ミコ」と称え、皇女は「ヒメミコ」と称う。
親王、内親王の称は持統天皇紀「六年正月朔、賜親王内親王王女王内命婦(ないびょうぶ)等位」と見えたるを始とする。
大宝令に「凡皇兄弟皇子皆為親王」と此の時未だ宣下の式あらず。
宣下の式は蓋し、淳仁天皇紀に「兄弟姉妹悉称親王」と見えたるを始とする。
皇孫にして親王、内親王の宣下ありしは三条天皇の皇孫敦貞親王・敦元親王・?(けん)子内親王・嘉子内親王を始とする。
紹運録に見えたる亀山天皇の皇子恒明親王、其の子全仁親王、其の子満仁親王、其の子直仁親王、其の子全明親王、其の子恒直親王、相嗣て常葉井宮と称えたるは是れ世襲親王家の始なり。
蓋し、令には親王の称は皇兄弟皇子に限りしを其の後宣下式に依り、歴世の皇孫、亦親王の称を賜いしなり。
本条に皇玄孫以上は親王、内親王とすることを定めるは現行の慣例を勘酌し、且つ、宣下を待たずして皇親の王男王女たることを示すなり。

 

大宝令五世以下は皇親の限りに在らず。
而して、正親司の司る所は四世以上に限る。
然るに継体天皇の皇位を継承したまえるは、実に応神天皇五世の孫を以てする。
此れ乃中古の制は必ずしも先王の遺範に非ざりしなり。
本条に五世以下、王、女王たることを定めるは宗室の子孫は五世の後に至るも、亦、皇族たることを失わざらしめ以て親々の義を広めるなり(文武天皇慶雲三年の詔に曰、「准令、五世之王、離得王名、不在皇親之限、今五世之王、離有王名、已絶皇親之籍、遂入諸臣之列、顧念親々之恩、不勝絶籍之痛、自今以後、五世之王、在皇親之限、其承嫡者、相承為王、自徐如令」と。又、聖武天皇天平元年の詔に曰、「五世王嫡子以上、娶孫王、生男女者、入皇親之限、自餘入慶雲三年格」と。其の後桓武天皇延暦十年に至り、勅して令制に複したり)。

 

第三十二条 天皇支系より入て大統を承くるときは皇兄弟姉妹の王女王たる者に特に親王内親王の號を宣賜す

(天皇が支系より入って大統を受け継いだ時は、天皇の皇兄弟姉妹の王及び王女はとくに親王及び内親王の号を宣賜する)

恭て按ずるに、大宝令に「凡皇兄弟皇子皆為親王」とあり。
是れ皇兄弟は皇子と同じく親王と称うべきこと既に成典あるなり。
天皇支系より入って大統を承ければ皇兄弟姉妹は皆親王、内親王の尊号を得るは光仁天皇大統を継ぎ皇弟湯原王、榎井王を陞(のぼ)せて親王と為したまえるを以て始例とする。
前条の注に引く所、淳仁天皇兄弟姉妹の例、亦同じ。
本条に仍宣下の例を用いるは前条と其の義を異にすればなり。

 

第三十三条 皇族の誕生命名婚嫁薨去は宮内大臣之を公告す

(皇族の誕生、命名、婚嫁及び薨去は宮内大臣がこれを公告する)

恭て按ずるに、皇太子、皇太孫の立坊は詔書を以て公布するの外、凡そ皇族の生死婚及び命名は宮内大臣より公告する。
蓋し、皇族は皇統の係る所にして、臣民仰望の集まる所たり。
故に、之を臣民に公にし、皆聞知らしめるなり。

 

第三十四条 皇統譜及前條に関る記録は図書寮に於て尚蔵す

(皇統譜及び前条に関する記録は、図書寮において保管する)

恭て按ずるに、図書寮尚蔵する所の皇統譜及び皇族記録は大統の源流を徴明し、宗室の本末を疏証する。
本条、特に之を掲げて皇室図書の登録は嫌疑を定め乱萌を絶つの典籍たることを明らかにする。

 

第三十五条 皇族は天皇之を監督す

(皇族は、天皇がこれを監督する)

恭て按ずるに、天皇は皇室の家父たり。
故に、皇族の廩俸〈りんほう)は皇室経費より給賜し、皇族各人の結婚又は外国に旅行するは勅許を要し、父なきの幼男幼女の教育及び保護は勅命に由る。
凡そ皇族は総て天皇監督の下に在ること家人の家父に於けるが如し。
此れ乃ち皇族の幸福及び栄誉を保つ所以なり。

 

第三十六条 摂政在任の時は前条の事を摂行す

(摂政在任の時は、前条の事を摂行する)

恭て按ずるに、摂政は大政を摂行するのみならず、兼ねて又、皇室家父たるの事を摂行する。
故に、皇族各人は摂政に対し家人従順の義務を有すべし。

 

第三十七条 皇族男女幼年にして父なき者は宮内の官僚に命し保育を掌らしむ事宜に依り天皇は其の父母の選挙せる後見人を認可し又は之を勅選すへし

(皇族男女が幼年で父親がいない者に対し、宮内官僚に命じて保育を掌らせることは宣下により、天皇はその父母の選挙する後見人を認可し、またはこれを勅撰しなければならない)

 

第三十八条 皇族の後見人は成年以上の皇族に限る

(皇族の後見人は、成年以上の皇族に限る)

恭て按ずるに、天皇は皇族を監督する。
故に、皇族幼年にして父なきときは勅旨に由り宮内の官僚に命じて保育を掌らしめるべし。
或いは其の父の遺嘱に由り、後見人を選挙し、又は其の母、後見人を選挙したるときは天皇之を認可し、或いは特に後見人を勅撰して保育に当たらしめることあるは皆時宜に従う。
而して、後見人の行う所の事は仍天皇親ら之を監督すべし。

 

第三十九条 皇族の婚嫁は同族又は勅旨に由り特に認許せられたる華族に限る

(皇族の結婚相手は、同族又は勅旨によりとくに認許された華族に限る)

恭て按ずるに、皇族を婚家と謂えるは皇后を択ぶこと固より其の中に在り。
上代皇后は皇親に択ぶ。
其の人民の家に取れるは聖武天皇、藤原不比等の女安宿媛を立てて皇后と為したまえるに始まる(仁徳天皇の磐之媛に於けるは聖武天皇の詔の先例として引挙したる所なれども其の実仍皇族に係る〉。
中古以来、皇親の外は藤原氏・橘氏・平氏・源氏の四姓より皇后を奉ることとはなれり。
其の他の皇族は大宝令に「凡王娶親王、臣娶五世王者聴、唯五世王不得娶親王」と。
此れ其の婚要に於いて尤も名位を重んじたるなり。
本条は祖宗の古法を存重し、又華族の家に婚嫁することを許すは兼ねて中世以来の慣例を勘酌し、貞淑を択ぶの道を広めるなり。
而して、又特に認許を得たるの家に限るは名門右族を択ばんとなり。

 

第四十条 皇族の婚嫁は勅許に由る

(皇族の結婚は、勅許によるものとする)

恭て按ずるに、皇族の婚嫁必ず勅許に由るは至尊監督の大権に依り、皇族の栄誉を保たしめんとなり。

 

第四十一条 皇族の婚嫁を許可するの勅書は宮内大臣之に副署す

(皇族の結婚を許可する勅書は、宮内大臣がこれに副署をする)

恭て按ずるに、皇族の婚嫁本法に違い、勅許を得ざる者は其の婚嫁を認めず。
其の婦は皇族たるの礼遇及び名称を得ざるべし。
故に、勅許を付するに当って、亦特に慎重の意を致す。

 

第四十二条 皇族は養子を為すことを得す

(皇族は、養子を取る事が出来ない)

恭て按ずるに、皇族養子、猶子の習いあるは、蓋し、嵯峨天皇の皇子源定(みなもとのさだむ)を淳和天皇の子とし(時の人、定に二父母ありと云えり〉、源融(みなもとのとおる)仁明天皇の子とせられたるに始まる。
而して、末だ養子、猶子の称えはあらず。
皇族の支孫にして天皇の養子となれるは、融の孫是茂(さだしげ)を光孝天皇の養子とせられたるに始まる。
猶子の称は神皇正統記に「亀山院天皇姪煕仁を猶子にして東宮にすえたまう」とあり。
及び職原鈔に「忠房親王為後宇多院御猶子」とあるを始とする。
猶子とは蓋し、皇子に準するの義なり(大日本史に「清仁親王与弟昭登等並帝〈花山帝)薙髪後所生也帝最愛清仁託左大臣道長請以皇子準冷泉上皇諸子勅以清仁為第五子昭登第六子並為親王」)。
凡そ此れ皆中世以来の沿習にして古の典例に非ざるなり。
本条は独り異姓に於けるのみならず、皇族互に男女の養子を為すことを禁ずるは宗系紊乱の門を塞ぐなり。
其の皇猶子の事に及ぼざるは皇養子と同例なればなり。

 

第四十三条 皇族国彊の外の旅行せむとするときは勅許を請ふへし

(皇族が国外に旅行しようとする時は、勅許を請わなければならない)

恭て按ずるに、此れ皇族天皇の監督に属する要件の一に居る者なり。
境外に旅行する者勅許を要するときは外国政府の文武の官に補する者は謂はずして知るべきなり。

 

第四十四条 皇族女子の臣籍に嫁したる者は皇族の列に在らす但し特旨に依り仇内親王女王の稀を有せしむることあるへし

(皇族女子が臣籍の者と結婚した場合は、皇族の列ではなくなる。ただし、特旨により、その内親王及び女王の呼称を持つ場合がある)

恭て按ずるに、女子の嫁する者は各々其の夫の身分に従う。
故に、皇族女子の臣籍に嫁したる者は皇族の列に在らず。
此に臣籍と謂えるは専ら異姓の臣籍を謂えるなり。
仍内親王又は女王の尊称を有せしめることあるは近時の前例に依るなり。
然るに亦、必ず特旨あるを須(ま)つは其の特に賜えるの尊称にして其の身分に依るに非ざればなり。

 

 

第八章 世伝御料

第四十五条 土地物件の世伝御料と定めたるものは分割譲与することを得す

(土地及び物件で世伝御料と定めた物は、分割及び譲与する事は出来ない)

恭て按ずるに、世伝御料は皇室に係属する。
天皇は之を後嗣に伝え、皇統の遺物とし、随意に分割し又は譲与せられることを得ず。
故に、後嵯峨天皇、後深草天皇をして亀山天皇に位を伝えしめ、遺命を以て長講堂領二百八十所を後深草天皇の子孫に譲与ありたるが如きは一時の変例にして将来に依るべきの典憲に非ざるなり。

 

上代に屯家(みやけ)を置かる、又は御田の穀を収めるの処を屯倉と謂う。垂仁天皇紀に「屯倉此云禰夜気」と註せる是れなり。仁徳天皇紀に「倭屯田(ヤマトノミタ〉者、毎御宇帝皇之屯田也、其雖帝皇之子、非御宇者、不得掌矣」とあり。是れ上古既に世伝御料の制ありて、継体の天皇之を掌有したまいしなり。其の他の屯田は賜予又は遺命を以て分割譲与せられること総て勅旨に随う者あり。即ち天皇の私法上の財産として皇室に係属せざる者なり。安閑天皇紀に「為皇后次妃建立屯倉之地、使留後代、令顕前述」とあるが如き。是れ世伝御料と其の類を異にすること知るべきなり。

 

我が肇国の初夙に一国統治の公義に依り、豪族の徒を斥けて其の私に邦土を領有するを許さず。(古事記、建御雷神大国主命に問えらくの条に、汝がうしはける葦原の中つ国は我が御子の知らさん国なり云々。)而して、皇室の経費は全国の租税を以て之を供奉し、更に内庫の私産を用いて供給するを仮らざりしは全く立憲の主義に符号する者にして、善美なる国体の基礎なりと謂うべし。故に、本条は上代の所謂屯家御田の類、専ら一部の御料に属する者を指す。而して、皇室経費は別に憲法を以て之を定めたり。

 

第四十六条 世伝御料に編入する土地物件は枢密顧問に諮謁し勅書を以て之を定め宮内大臣之を公告す

(世伝御料に編入する土地及び物件は、枢密顧問に諮詢し、勅書によってこれを定め、宮内大臣がこれを公告する)

恭て按ずるに、土地物件の世伝御料に編入する者は普通民法の外に於いて処分せらるべき者なり。
故に、枢密顧問の議を詢うの後、勅書を以て之を定めるは其の慎重を致すなり。
又、宮内大臣より公告するは臣民をして普(あまね)く之を聞知らしめるなり。

 

皇室常産は皇室の図書に登録し、其の土地は地籍に明記するを要する。
勅旨を以て一度皇室常産に編入せられたる者は更に分離して私産となされることを得ず。

 

 

第九章 皇室経費

第四十七条 皇室諸般の経費は特に常額を定め国庫より支出せしむ

(皇室における諸般の経費は、とくに常額を定めて国庫より支出させる)

恭て按ずるに、皇室の経費は特に常額を定め、国庫至重の義務として毎年支出せしめる。
蓋し、天皇は一国の元首として臣民を統治し、従って臣民の正供に由り、其の需要に奉するは当然の権利たり。
故に、議会は皇室経費既定の歳額を議し、及び之を検査するの権あることなし。
但し、新たに増額を要するに当っては更に議会の協賛を経るを要する。
故に、常額と謂うなり。

 

皇族の歳費は皇室経費より支弁し、別に国庫予算の科目を設けず。
所謂諸般の経費の中に包括する者なり。

 

第四十八条 皇室経費の予算決算検査及其の他の規則は皇室会計法の定むる所に依る

(皇室経費の予算、決算、検査及びその他の規則は、皇室会計法の定める所による)

恭て按ずるに、皇室経費は既に議会の議を経ず。
又会計検査院の検査を要せず。
而して別に皇室会計法に依り其の条規を定めて以て精確と節約とを要すべきなり。

 

 

第十章 皇族訴訟及懲戒

第四十九条 皇族相互の民事の訴訟は勅旨に依り宮内省に於て裁判員を命し裁判せしめ勅裁を経て之を執行す

(皇族相互の民事訴訟は、勅旨により宮内省において裁判員を命じ、裁判をさせ、勅裁を経てこれを執行する)

恭て接ずるに、皇族と皇族との間に起こる訴訟は内廷の裁判に依るべし。
故に、宮内省に於いて之を勧解せしめ、勧解成らざるときは特に裁判員を命じて之を裁判せしめ、更に勅裁を経て之を執行せしめる。
其の他普通の民法に於いて裁判所の登録又は処分を要する者は皆宮内省に当たる。

 

第五十条 人民より皇族に対する民事の訴訟は東京控訴院に於て之を裁判す但し皇族は代人を以て訴訟に当らしめ自ら訟廷に出るを要せす

(人民より皇族に対する民事の訴訟は、東京控訴院でこれを裁判する。ただし皇族は、代人を立てて訴訟に当たらせ、自ら裁判に出る必要はない)

恭て按ずるに、本条人民より皇族に対する民事の訴訟は東京控訴院に於いて之を裁判することを定めるは皇族の特権を示すなり。
而して、其の詳節は蓋し、別に之を定める所あらんとする。
其の皇族より原告として人民に対する訴訟は仍普通の訴訟原則に依り被告人の所轄裁判所之を裁判すべきなり。

 

普通の訴訟人は裁判所より本人訊問を要し、召喚するに当たり訴廷に出ざることを得ず。
而して、皇族は自ら出るを要せざるは此れ亦特権たり。

 

其の他の訴訟手続きにして此の典範又は他の法律に別段の条規なき者は総て普通の裁判構成法及び訴訟法に依る。

 

第五十一条 皇族は勅許を得るに非されは勾引し又は裁判所に召喚することを得す

(皇族は、勅許を得るのでなければ、拘引し、または裁判所に召喚する事は出来ない)

恭て接ずるに、皇族は犯罪あるも之を勾引することを得ず。
其の現行犯に於けるも亦同じ。
亦刑事の審問の為に裁判所に召喚することを得ず。
予審判事書記と供に其の所在に就いて陳述を聴くべし。
但し、天皇の勅許を得たるときは例外とする。
皇族証人たるの場合は治罪法に之を掲げる(第百八十七条〉。
而して、勅許を予うるの限りに在らず。

 

第五十二条 皇族其の品位を辱むるの所行あり又は皇室に対し忠順を缺くときは勅旨を以て之を懲戒し其の重き者は皇族特権の一部又は全部を停止し若は剥奪すへし

(皇族にその品位を辱める所行があり、または皇室に対し忠順を欠く時は、勅旨によってこれを懲戒し、その懲戒の重い者は皇族特権の一部又は全部を停止若しくは剥奪しなければならない)

恭て按ずるに、皇族は皇室に対し忠順の義務を負う者なり。
故に、皇室に不忠なると、品位を辱めるの汚行とは供に紀律を敗る者とし、懲戒の処分を被るべし。

 

皇族懲戒の権は天皇の親ら執る所たり。
懲戒の重き者は皇族特権の一部又は全部を停止し又は全部を剥奪する。
停止は期限あり、剥奪は期限なし。

 

第五十三条 皇族蕩産の所行あるときは勅旨を以て治産の禁を宣告し其の管財者を任すへし

(皇族に蕩産の所行がある時は、勅旨によって治産の禁止を宣告し、その管財者を任じなければならない)

恭て接ずるに、皇族蕩産の所行ある者に対し、民法上治産の禁を宣告し、及び其の管財者を命じ、財産を管理せしめること亦勅旨に由る。
此れ固より天皇監督の権に属すればなり。

 

第五十四条 前二条は皇族会議に諮詢したる後之を勅裁す

(前二条は、皇族会議に諮詢した後に、これを勅裁する)

恭て接ずるに、皇族会議は皇室の内事に付き、天皇の諮詢に応うべく、而して、皇族の懲戒又は治産の処分に付いては特に諮詢を以て必要とする。

 

 

第十一章 皇族会議

第五十五条 皇族会議は成年以上の皇族男子を以て組織し内大臣枢密院議長宮内大臣司法大臣大審院長を以て参列せしむ

(皇族会議は、成年以上の皇族男子で組織し、内大臣、枢密院議長、宮内大臣、司法大臣及び大審院長を参列させる)

恭て接ずるに、皇族会議は第一に皇室典範に係る改正の諮詢を受け、第二に第十九条第二項及び第二十五条の場合に於いて其の議を経るを要し、第三に皇嗣を換うる時に諮詢を受け、第四に皇族の懲戒及び治産処分の諮詢を受け、其の他皇室に係る重要の事件及び民法に於いて親族会議に係る事件の諮詢を受けるべし。
其の議事の規則の若きは蓋し、別に之を定められるべきなり。

 

第五十六条 天皇は皇族会議に親臨し又は皇族中の一員に命して議長たらしむ

(天皇は、皇族会議に親臨し、または皇族の中の一員に命じて議長にさせる)

恭て接ずるに、天皇皇族会議に親臨せられるときは親ら会議を統理せらる。
其の親臨せせられざるとき又は親ら会議を統理せられざるときは別に議長を指名せらるべし。

 

 

第十二章 補則

第五十七条 現在の皇族五世以下親王の号を宣賜したる者は旧に依る

(現在の皇族五世以下で親王の号を宣賜した者は、旧による)

恭て按ずるに、典範の定める所に依れば、五世以下の王は親王と称うることを得ず。
本条は現在の宣下親王の為に其の既得の尊栄を奪わざるなり。
而して、其の継嗣以下未だ宣下あらざるは典範の本則に依ること知るべきなり。

 

第五十八条 皇位継承の順序は総て実系に依る現在皇養子皇猶子又は他の継嗣たるの故を以て之を混することなし

(皇位継承の順序は、すべて実系によるものとする。皇養子及び皇猶子又は他の継嗣であることをもって、これが混乱する事はない)

恭て按ずるに、現在の親王家、親王宣下ありしは多くは皇養子、皇猶子たるの近例に従いしなり。
第四十二条は皇族養子の制を廃する。
而して、現在既に行える者に上及せず。
但し、皇位継承の順序は総て宗支遠近の実系に依り、養子、猶子の名称及び甲家の子乙家の継嗣たりしに拘らず、其の間多少紛錯あるも其の名に因って其の実を混することなかるべきなり。

 

第五十九条 親王内親王王女王の品位は之を廃す

(親王、内親王、王及び女王の品位は、これを廃止する)

恭て按ずるに、親王、内親王の叙品、王、女王の叙位は蓋し、中古に在って隋唐の制に依れるなり。
皇族既に品位を以て班別を為し、而して、親疎長幼の倫序従って失えり。
抑々、皇族は生まれて?流(こうりゅう)の尊栄に居る。
而して、人臣の位階に従って陞叙(しょうじょ)するの比に非ず。
本条に品位の旧制を廃するは一(もっぱ)ら倫序を以て重しとするに因るなり。

 

第六十条 親王の家格及其の他此の典範に抵触する例規は総て之を廃す

(親王の家格及びその他この典範に抵触する規定は、すべてこれを廃止する)

恭て按ずるに、有栖川宮、閑院宮は明治元年閏四月の令に依り、世襲親王たり(被仰出書に有栖川宮嫡子者即今先是迄之通為御養子可有親王宣下閑院宮嫡子相続之節先是迄之通為御養子可有親王宣下〉。
賀陽宮、山階宮、聖護院宮、仁和寺宮、華頂宮、聖高院宮、梶井宮は同令に依り一代皇族たり〈嫡子始賜姓可被列臣籍)。
三年十二月十日の令に四親王(伏見宮、桂宮、有栖川宮、閑院宮)の外の親王家は二代目より賜姓華族に列せられることを定められる(山階宮、東伏見宮、梨本宮〉。
十四年二月小松宮親王を世襲皇族に、山階宮親王を二代皇族に列せらる。
十六年七月、久邇宮親王を二代皇族に列せらる。
今典範に於いて己に皇養子、皇猶子の制を廃したるときは従って世襲親王の旧制も亦廃除に帰せざることを得ず。
皇子孫は諸王と言えども、亦皇族たることを失わざるときは従って賜姓の制及び一代皇族又は二代皇族の家格は亦廃除に帰せざることを得ず。

 

第六十一条 皇族の財産歳費及諸規則は別に之を定むへし

(皇族の財産、歳費及び諸規則は、別にこれを定める)

恭て接ずるに、皇族の各個財産及び歳費廩給の方法及び其の他皇族に係る諸般の規則は、蓋し、別に皇族令を以て之を定めんとする。
故に、典範は務めて大体を挙ぐ。
而して、詳節繁文に渉ることを欲せざるなり。

 

第六十二条 将来此の典範の条項を改正し又は増補すへきの必要あるに当ては皇族会議及枢密顧問に諮詢して之を勅定すへし

(将来、この典範の条項を改正し、または増補すべき必要がある時は、皇族会議及び枢密顧問に諮詢してこれを勅定する)

恭て按ずるに、皇室典範は天皇立憲を経始したまえる制作の一として永遠に伝え、皇室の宝典たり。
故に、本条其の紛更を慎むの意を致すなり。
抑々、憲法に拠るに其の条項に改正を要することあるときは之を議会の議に付し、特に丁重なる方式に依り議決せしめる。
而して、皇室典範に於いては独り皇族会議と枢密顧問に諮詢するに止まり、憲法と同一の軌轍に依らざるは何ぞや。
蓋し、皇室の事は皇室自ら之を決定すべくして、之を臣民の公議に付すべきに非ざればなり。

 

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昭和12年学会


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