民族・植民地問題についてのテーゼ

 

ソビエト社会主義共和国連邦国旗

千九百二十年七月二十八日

 

(一) ブルジョア民主主義は、その本性そのものからして、民族の平等をも含めて平等一般の問題を、抽象的あるいは形式的に提起することが、固有の特徴である。一般に人間の人格の平等という外見の下で、ブルジョア民主主義は、有産者とプロレタリア、搾取者と被搾取者との形式的あるいは法律的な平等を宣言し、こうして被抑圧階級をこの上なく酷く欺いている。平等の観念そのものは、商品生産関係の反映であるが、ブルジョアジーはそれを、人間の人格は絶対的に平等であるという口実で、階級の廃止に反対して戦うための武器に変えている。だが、平等の要求の本当の憲味は、もっぱら階級の廃止の要求にある。

 

(二) ブルジョアジーのくびきの打倒を目指すプロレタリアートの闘争の意識的表現者である共産党は、ブルジョア民主主義と戦い、ブルジョア民主主義の嘘や偽善を暴露するという自己の基本的任務に従って、民族問題でも、抽象的な原則、形式的な原則に重点を置くのでなく、次のことを主眼としなければならない。第一には、歴史的・具体的な情勢、何よりも経済情勢を正確に考慮すること。第二には、被抑圧階級、勤労者、被搾取者の利益と、支配階級の利益を憲味する全国民の利益という一般的な概念とを、はっきり区別すること。第三には、ブルジョア民主主義の嘘に対抗して、権利の不平等な被抑圧・従属民族と、完全な権利をもっている抑圧・搾取民族とを、同様にはっきり区別すること。このブルジョア民主主義の嘘は、ごく少数の最も富裕な先進資本主義国による世界人口の大多数の植民地的及び金融的隷属化という、金融資本と帝国主義の時代に固有な特質を曖昧にしているのである。

 

(三) 一九一四−一九一八年の帝国主義戦争は、全世界のすべての民族と被抑圧階級の前に、ブルジョア民主主義的な空文句の偽りをとくにはっきりと暴き出した。双方の側とも、諸国民の解放とか、民族自決権とかの空文句の陰に隠れて戦ったこの戦争は、一方では、ブレスト−リトフスク講和条約とブクレシュチ講和条約とによって、他方ではヴェルサイユ講和条約とサン・ジェルマン講和条約とによって、戦勝国のブルジョアジーが、その経済的利益に応じてどんなに無遠慮に「民族」の境界を決定するかを示した。ブルジョアジーにとっては、「民族」の境界も、単なる取引の対象である。いわゆる「諸国民の連合」(「国際連盟」)は、この戦争の戦勝者がお互いに獲物を保障し合うための保険条約に他ならない。民族的統一の回復の願い、「国の割譲された部分との再結合」の願いは、ブルジョアジーの考え方によれば、戦敗国が新しい戦争のために力を蓄える策謀に他ならない。人為的にばらばらに切り裂かれた諸民族の再結合は、部分的にプロレタリアートの利益にも叶っている。しかし、プロレタリアートが真の民族的自由と統一を勝ち取ることは、革命的闘争とブルジョアジーの打倒とを通じてのみ可能である。国際連盟と戦後における帝国主義的協商国の全政策とは、この真理を一層明瞭に、また鮮やかに暴き出しており、至る所で先進国のプロレタリアートの革命的闘争と、植民地・従属国の全勤労大衆の革命的闘争とを共に強め、資本主義の下で諸民族の平和な共存と平等が可能であるかのように考える市民的・民族的幻想の崩壊を早めている。

 

(四) 以上に述べた基本的な諸命題から、地主とブルジョアジーの打倒を目指す共同の革命的闘争のために、あらゆる民族、あらゆる国のプロレタリアと勤労大衆を互いに接近させることが、民族・植民地問題についての共産主義インターナショナルの全政策の重点とならなければならない、という結論が出て来る。なぜなら、このような接近だけが資本主義に対する勝利を保障するが、この勝利なしには民族的な圧制と権利の不平等をなくすことは出来ないからである。

 

(五) 世界の政治情勢は、今やプロレタリアートの執権を日程に上せた。そして、世界政治のすべての事件は不可避的に一つの中心点の周りに集中している。即ち、ソヴィエト・ロシア共和国に対する世界ブルジョアジーの闘争、これである。このソヴィエト・ロシアは、一方ではあらゆる国の先進的労働者のソヴィエト運動を、他方では植民地と被抑圧民族のあらゆる民族解放運動を、不可避的に自己の周りに結集せざるを得ないのであって、これらの植民地や被抑圧民族は、革命的プロレタリアートと同盟する以外には、またソヴィエト権力が世界帝国主義に勝利する以外には、自分達の救われる道がないことを、苦い経験を通じて確信しつつある。

 

(六) 従って、今日では、色々な民族の勤労者の相互接近を単に承認したり、宣言したりするだけに留まってはならず、すべての民族・植民地解放運動とソヴィエト・ロシアとの最も緊密な同盟を実現する政策をとる必要がある。この場合、この同盟の形態は、それぞれの国のプロレタリアートの間の共産主義運動や、遅れた国や民族の革命的解放運動の発展の度合に応じて決められる。

 

(七) 連邦制は、色々な民族の勤労者の完全な統一への過渡形態である。連邦制の適切さは、既に、ロシア社会主義連邦ソヴィエト共和国と他のソヴィエト諸共和国(以前にはハンガリー、フィンランド、ラトヴィアの各共和国、現在ではアゼルバイジャン、ウクライナの各共和国)との関係においても、またロシア社会主義連邦ソヴィエト共和国内で、以前には国家としての存在も自治ももたなかった諸民族(例えば、一九一九年と一九二〇年に創設されたロシア社会主義連邦ソヴィエト共和国内のバンキール自治共和国とタタール自治共和国)との関係においても、実地に明らかになっている。

 

(八) この点での共産主義インターナショナルの任務は、ソヴィエト制度とソヴィエト運動とを基盤として生まれているこれらの新しい連邦を一層発展させるとともに、それを研究し、経験によって検討することである。連邦制が完全な統一への過渡形態であることを認めて、次の諸点を念頭において、益々緊密な連邦的結合を目指さなければならない。それは、第一に、軍事的に比較にならないほど強力な世界の帝国主義列強に取り囲まれたソヴィエト諸共和国の存在を守りぬくことは、ソヴィエト諸共和国の最も緊密な同盟なしには不可能であること、第二に、これらのソヴィエト共和国は緊密な経済的同盟を結ぶ必要があり、そうしなければ、帝国主義によって破壊された生産力を復興し、発展させ、勤労者の福祉を保障することは、実現不可能であること、第三に、すべての民族のプロレタリアートによって共通の計画に従って規制される単一の世界経済の創設にむかう傾向が存在することである。この傾向は、すでに資本主義の下でもまったくはっきり現われていたが、社会主義の下では、無条件にさらに発展し、完成に達すべきものである。

 

(九) 国家内部の諸関係の分野では、共産主義インターナショナルの民族政策は、ブルジョア民主主義者―彼らがあからさまにブルジョア民主主義者をもって自認しているか、あるいは第二インターナショナルの社会主義者のように、社会主義者という名称の陰に隠れているかには関わりなく―がしているように、単に形式的に、純然たる宣言として、実際上何の義務も負わせないような仕方で、諸民族の同権を承認するだけに留まることは出来ない。
 すべての資本主義国家で、その「民主主義的な」憲法にもかかわらず、諸民族の同権や少数民族の権利の保障が絶えず侵犯されていることを、共産党は、その宣伝・扇動全体を通じて―議会の演壇からも、また議会外でも―、うまずたゆまず暴露しなければならないだけではない。さらに、第一に、ソヴィエト制度だけが、まずプロレタリアを、ついで全動労大衆を、ブルジョアジーとの闘争のために団結させることによって、実際に諸民族の同権を与えることが出来るということを、絶えず説明する必要があり、第二には、従属民族や、権利の不平等な民族の間の(例えば、アイルランドでの、アメリカの黒人の間の、等々)革命運動や植民地の革命運動に、すべての共産党が直接の援助を与える必要がある。
 最後に挙げた条件はとくに重要であって、これがなければ、従属民族や植民地の抑圧に反対する闘争も、またこれらの民族や植民地が国家として分離する権利の承認も、第二インターナショナルの諸党の間で見られるような、偽の看板に留まってしまう。

 

(一〇) 口先だけで国際主義を認め、実際には宣伝・扇動・実践活動全体においてそれを小市民的な民族主義や平和主義にすり替えることは、第二インターナショナルの諸党の間だけでなく、このインタナショナルを脱退した諸党の間でもごくありふれた現象であり、今共産党と自称している諸党の間にさえ珍しくない。この病弊との、この最も根ぶかい小ブルジョア的な民族的偏見(それは、例えば人種的憎悪や、民族的使嗾(しそう)や、反ユダヤ主義など、ありとあらゆる形態で現われている)との戦いは、プロレタリアートの執権を、一国的な執権(即ち、一国に存在しているだけで、世界政治を規定することの出来ないもの)から国際的な執権(即ち、少なくともいくつかの先進国のプロレタリアートの執権で、世界政治全体に決定的な影響をおよぼすことの出来るもの)に転化させる任務が焦眉の急務になればなるほど、いよいよ前面に押し出されてくる。小ブルジョア民族主義は、国際主義とはもっぱら諸民族の同権を承認することに尽きると言明して(このような承認がまったく口先だけのものであることは別としても)、民族的利己心には一指も触れない。所が、プロレタリア国際主義は、第一に、一国のプロレタリア闘争の利益を世界的な規模でのプロレタリア闘争の利益に従属させることを要求し、第二に、ブルジョアジーに対して勝利を収める民族が、国際資本を打倒するために最大の民族的犠牲を払う能力と覚悟をもつことを要求する。
 したがって、すでに完全な資本主義国となっていて、真にプロレタリアートの前衛であるような労働者党をもっている国家では、国際主義の概念及び政策の日和見主義的な歪曲や小市民的・平和主義的な歪曲と戦うことが、第一の、最も重要な任務である。

 

(一一) 封建的諸関係、あるいは家父長制的及び家父長制的=農民的諸関係が優勢を占めている遅れた国家や民族については、とくに次の諸点を念頭に置かなければならない。
 (a) すべての共産党は、これらの国における民族解放運動を行為によって援助しなければならない。その際、この援助の形態は、共産党が存在している所では、その国の共産党との協議によるべきである。最も積極的な援助を与える義務は、まず第一に、後進民族を植民地的あるいは金融的に従属させている国の労働者にかかっている。
 (b) 聖職者、キリスト教の宣教師団、その他同様な分子の反動的、中世的な影響と戦う必要がある。
 (c) ヨーロッパ及びアメリカ帝国主義に反対する解放運動と、トルコ及び日本帝国主義、貴族、大土地所有者、聖職者等々の力の強化とを結合することに努めているイスラム運動、汎アジア運動やそれに類する潮流と戦う必要がある。
 (d) 地主に反対し、大土地所有に反対し、封建制のあらゆる現れないし遺物に反対する後進国の農民運動を特別に支持することが、とくに必要である。農民運動に出来るだけ革命的な性格を与えることに努め、可能な所では、農民とすべての被搾取者をソヴィエトに結合し、そうすることによって、西ヨーロッパの共産主義的プロレタリアートと、東洋、植民地、一般に後進国の革命的農民運動との出来るだけ緊密な同盟を実現しなければならない。
 (e) 後進国における真に共産主義的でない革命的解放的潮流に共産主義的な装いを与えることに対しては、断固として戦う必要がある。共産主義インターナショナルは、植民地や後進国の革命運動を支持する義務を負っているが、それはもっぱら、すべての後進国で、将来のプロレタリア党、名前の上だけではない、本当の共産党の諸分子が結集され、彼らの独自の任務、即ち自民族内のブルジョア民主主義運動と戦うという任務を自覚するように教育されるということを、条件としてである。共産主義インターナショナルは、植民地や後進国のブルジョア民主主義派と一時的な協定を、ときには同盟をさえ結ばなければならないが、それと融合してはならず、例えほんの萌芽的な形態のものであっても、プロレタリア運動の自主性を無条件にたもたなければならない。
 (f) 帝国主義列強が、政治的に独立した国家の設立という外見の下で、経済、金融、軍事の面で自己に完全に従属した国家を
作るというやり方で、被抑圧諸国の特権階級の助けを得て系統的に行っている欺瞞を、すべての国と民族、とくに遅れた国と民族の最も広範な勤労大衆の間で、うまずたゆまず説明し、暴露することが必要である。協商国帝国主義と当該民族のブルジョアジーとが協力して、被抑圧民族の勤労大衆に対して行っている欺瞞の明白な実例となるのは、シオニストのパレスチナ計画であり、一般に、パレスチナにユダヤ人国家を設立するという触れ込みで、ユダヤ人勤労者がわずかな少数者を占めるに過ぎないパレスチナの事実上アラブ系の勤労住民を、イギリスの搾取のいけにえとするシオニズムである。今日の国際情勢の下では、ソヴィエト諸共和国の同盟以外には、従属民族や弱小民族が救われる道はない。

 

(一二) 帝国主義列強が植民地民族や弱小民族を長い間抑圧してきたことは、被抑圧諸国の勤労大衆の心に、抑圧民族のプロレタリアートをも含めて、抑圧民族一般に対する敵意ばかりか、彼らに対する不信をも残した。一九一四−一九一九年に、社会排外主義者は、「祖国擁護」という口実で包み隠して、「自国」ブルジョアジーが植民地を抑圧し金融的従属国を略奪する「権利」を擁護したが、抑圧民族のプロレタリアートの公式の指導者の大多数が下劣にも社会主義を裏切ったことは、このまったく正当な不信を強めずにはおかなかった。不信や民族的偏見は、先進諸国で帝国主義と資本主義が根絶されたのちに、また、後進諸国の経済生活の基礎全体が根本的に変更されたのちにはじめて消滅することが出来るのであるから、これらの偏見が死滅する過程は、非常にゆっくりしたものとなる他はない。ここからして、極めて長い間抑圧されてきた国や民族の間の民族感情の名残に対しては、とくに慎重な、とくに注意深い態度をとることが、すべての国の自覚した共産主義的プロレタリアートの義務となり、さらに、前述した不信や偏見が一層早く克服されるように、ある程度の譲歩に応じることが、やはり彼らの義務となる。全世界のあらゆる国と民族のプロレタリアートが、ついでまた全動労大衆が、同盟と統一を目指して自発的に努力するのでなければ、資本主義に対する勝利の大業を成功裏に成し遂げることは出来ない。


 
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