憲法義解〜第五十七条

第五十七条 司法権は天皇の名に於て法律に依り裁判所之を行ふ
 裁判所の構成は法律を以て之を定む

(司法権は、天皇の名において法律によって裁判所が行う
 裁判所の構成は法律によって定める)

 

 

 

 

口語訳

行政と司法と両権の区別を明らかにする為に弦に之を約説すべし。
日く、行政は法律を執行し、又は公共の安寧秩序を保持し、人民の幸福を増進する為に便宜の経理及び処分を為す者なり。
司法は権利の侵害に対し、法律の規準に依り之を判断する者なり。
司法に在りては専ら法律に従属し、便益を酌量せず。
行政に在りては社会の活動に従い、便益と必要とに依り、法律は其の範囲を限画して区域の外に浬越するを防ぐに止まるのみ。
行政司法の両権其の性質を殊にすること比の如し。
故に、行政の官ありて司法の職を分かつことなかりせば、各個人民の権利は社会の便益の為に随時移動することを免れずして、而して、其の流弊は遂に権勢威力の侵犯を被るに至らんとする。

 

唯然り故に裁判は必ず法律に依る。法律は裁判の単純の準縄たり。
而して、又必ず裁判所に由り之を行う。
但し、君主は正理の源泉にして司法の権、亦主権の発動する光線の一たるに外ならず。
故に、裁判は必ず天皇の名に於いて宣告し以て至尊の大権を代表する。

 

裁判所の構成は必ず法律を以て之を定め、行政の組織と別異する所あらしめる。
而して、司法の官は実に法律の基址に立ち、不轟の地位を有つ者たり。

 

我が中古の制、刑部省の護は各省と供に太政官に隷属し、而して、刑部卿は「鞠獄を、定め刑名を、決し疑獄を良賎の名籍囚禁債負」の事を掌る。
判事は刑部卿に属し「案覆し鞠状を、断定し刑名を、判する諸々の争訟を」事を掌る。
是れ民刑に事を併せて是を一省に総べたり。
武門の盛んなるに至って大柄一度移り、検断の権、検非違使に帰し、武断を以て政を為し封建の際、概ね其の随習を因襲し、越訴を以て大禁と為るに至れり。
維新の初、刑法官を置き司法の権、復だ天皇の統攬に帰する。
四年、始めて東京裁判所を置く。
裁判の為に専庁を設けるは此れを以て始とする。
是の歳、大蔵省の聴訟事務を以て改めて司法省に属す。
五年、闇市場裁判所を設ける。
嗣いで司法裁判、府県裁判、区裁判の各等裁判を置き、始めて控訴覆審を許す。
八年大審院を置き、以て法憲の統一を主持するの所とし、司法卿の職制を定めて検務を統理し、裁判に干預せざる者とす。
是より後、漸次釐革〈りかく〉する所あり。
以て「裁判独立」を期するの針路を取りたり。
是を司法事務沿革の概略とする。

 

欧州前世紀の末に行われたる「三権分立」の説は既に学理上及び実際上に排斥せられたり。
而して、司法権は行政権の一支派として均しく君主の統攬する所に属し、立法権に対して之を謂うときは行政権は概括の意義を有ち、司法は行政の一部たるに過ぎず、更に行政権中に就き職司の分派を論ずるときは又は司法と行政と各々其の一部を占める者たり。
此れ蓋し、近時国法学者の普通に是認する所にして、茲に詳論するを假らざる者なり。
但し、君主は裁判官を任命し、裁判所は君主の名義を以て裁判を宣告するに拘らず、君主自ら裁判を施行せず、不覇の裁判所をして専ら法律に依遵し、行政威権の外に之を施行せしむ。
是を「司法権の独立」とする。
此れ及び三権分立の説に依るに非ずして、不易の大則たることを失わず。

 

 

現代語訳

行政と司法の両権の区別を明らかにするために、要点を説明する。
行政は、法律を執行したり、公共の安寧秩序を保持し、人民の幸福を増進したりするために、経理及び処分を行うものである。
司法は、権利の侵害に対して法律の基準によって判断するものである。
司法は、専ら法律に従属し便益を考慮に入れない。
行政は、社会の活動に従って便益と必要に依拠し、法律はその範囲を限定して区域外に出ることを防止するのに止まる。
行政と司法の両権は、このように性質が異なる。
故に、行政官があって司法の職を分けることがなければ、各人の権利は社会の便益のために随時変更されることを免れなくなり、そしてその弊害は人民の権利を侵犯するに至ることになる。

 

ただ、そうであるが故に裁判は必ず法律によらなければならない。
法律は裁判の唯一の判断基準である。
そしてまた、必ず裁判所で裁判を行う。
ただし、君主は正しい道理の源泉であり、司法権もまた、主権から発せられる光線の一つにほかならない。
故に、裁判は必ず天皇の名において宣告し、それによって至尊たる天皇大権を代表する。

 

裁判所の構成は必ず法律で定め、行政の組織と別のものにする。
そうして、司法官は法律の土台に立ち、他に束縛されない独立の地位を有する者である。

 

我が国における古代の制度である刑部省の設置は、他の省とともに太政官に隷属し、そして刑部卿は「罪人を取り調べ、刑罰を定め、疑いのある判決を調べ直して再判決するとともに、良民と賎民の戸籍や囚人の投獄、負債)」のことを司る。
判事は、刑部卿に属し「罪人の尋問調書を審査し、刑罰を決定するとともに、諸々の争訟に判決を下す」ことを司る。
これは民事と刑事の二つを合わせて一省に管轄させていたのである。
武門が盛んになり政権が移ると、刑事の裁判権は検非違使が管轄し、民事は武断をもって政治を行い、封建時代は、概ねその旧習を因襲し、再審請求は厳禁とされるに至った。
維新の初めに刑法官を設置し、司法権は再び天皇の総攬に帰した。
明治四年に初めて東京裁判所を設置。
裁判のために専門の官庁を設けたのは、これが始まりである。
この年、大蔵省の訴訟受理の事務を改めて、司法省に移管された。
明治五年、東京築地の外国人居留地に東京闇市場裁判所を設置した。
続いて司法裁判、府県裁判、区裁判という各等級の裁判所を設置し、初めて控訴と反復審理を認めた。
明治八年に大審院を設置し、憲法の統一を守る機関とし、司法卿の職制を定めて検察事務を統括し、裁判には干渉しないこととした。
これより後、次第に改革が進み、裁判の独立を期する方針をとった。
これを司法事務沿革の概略とする。

 

ヨーロッパで前世紀末に普及した三権分立の説は、既に学理上及び実際上で排斥された。
そして司法権は、行政権の一支派として等しく君主の総攬するところに属し、立法権に対していうときは、行政権は司法権を概括した意味をもち、司法は行政の一部であるに過ぎず、更に行政権の中に職務の分割を論じる場合は、司法と行政はそれぞれの一部を占めるものということになる。
これは、最近の国法学者が一般的に是認するところであり、ここで詳細に論じるまでもない。
ただし、君主は裁判官を任命し、裁判所は君主の名において裁判を宣告するが、君主自ら裁判を行うのではなく、独立した裁判所が専ら法律に依拠して、行政権の範囲外で裁判を行う。
これを司法権の独立といる。
これは、三権分立の説によるのではなく、天皇大権という不易の原則によるものであることは間違いない。

 
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