大日本帝国憲法義解

 

 

口語訳

恭(つつしみ)て按ずるに、我が国君民の分義は既に肇造の時に定まる。
中世屡々(しばしば)変乱を経、政綱其の統一を弛(ゆる)べしに、大命維新皇運隆興し、聖詔を渙発(かんぱつ、公布)して立憲の洪献(こういう)を宣べたまい、上元首の大権を統べ、下股肱(ここう)の力を展べ、大臣の輔弼と議会の翼賛とにより、機関各々その所を得て、而して臣民の権利及義務を明にし、益々その幸福を進むることを期せむとす。
これ皆祖宗の遺業に依り、その源を疏(そ、解き明かす)してその流を通ずる者なり。

 

 

現代語訳

恭んで考えるには、わが国の君主と民の区別はすでに建国の時に定まっている
中世ではしばしば、変乱を経て、政治上の綱紀の統一を緩めてしまったが、大命が下り維新において、皇運が盛んになり、五箇条の御誓文などの詔を公布し、立憲政治の大いなる計画を宣言された。
上は元首の大権を統一し、下は臣民の力を伸ばされ、それは国務大臣の補佐と帝国議会の協賛によって各機関にそれぞれの役割を果たさせる。そして臣民の権利及び義務を明らかにして、益々その幸福を増進させることを確信する。これは皆、歴代天皇の偉業によるものであり、その源を解き明かして、その流れに通じるものである。

 

 

ポイント

君主と民の区別は建国の時から定まっています。
憲法によって君主の大権、臣民の権利義務、立憲君主として国務大臣の補佐や議会の開設の役割を果たすことが出来ます。
すべては歴代天皇の偉業に通じています。

 
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昭和12年学会
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