憲法義解〜第二十七条

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憲法義解〜第二十七条〜

第二十七条 日本臣民は其の所有権を侵さるることなし
 公益の為必要なる処分は法律の定むる所に依る

(日本臣民は、所有権を侵されない
 公益のために必要な処分は、法律で定めるところによる)

 

 

 

 

口語訳

本条は所有権の安全を保明す。
所有権は国家公権の下に存立する者なり。
故に所有権は国権に服属し法律の制限を受けざるべからず。
所有権は固(もと)より不可侵の権にして而して無限の権に非ざるなり。
故に城塁の周囲線一定の距離においてある建築を禁ずるは賠償を要せず。
鉱物は鉱法の管理に属し、山林は山林経済の標準により規定したる条則に由らしめ、鉄道線より一定の距離において樹を植(う)ることを禁じ、墓域より一定の距離において井を鑿(ほ)ることを禁ずるが如きの類、これ皆所有権に制限あるの証徴にして、而して各個人の所有は各個の身体と同く国権に対し服属の義務を負う者なることを認知するに足る者なり。
けだし所有権は私法上の権利にして全国統治の最高権の専ら公法に属する者と牴触するところあるに非ざるなり(欧州において和蘭の『グロティウス』氏その万国公法において君主はその国土に最高所有権を有するの説を唱えたり。近時の国法学者はその意を取り、而して国土主権の義をもって最高所有権の名に換えたり)。

 

上古臣民私地を献じ、罪ありて領地を没官せられ、私地を売り価を索(もと)むるの事史籍に見ゆ。
孝徳天皇大化二年処々の屯倉(みやけ)及田荘(たところ)を廃し、もって兼併の害を除き、而して隋唐の制に倣(なら)い班田の制を行いたりしも、その後所領荘園の幣仍(しきりに)盛に行はれ、従て封建の勢を成し、徳川氏の時に至て農民は概ね領主の佃戸(でんこ)たるに過ぎざりし。
維新の初元年十二月大令を発して村々の地面は総て百姓の持地たるべきことを定めたり。
四年に各藩版籍を奉還して私領の遺物始めて跡を絶ちたり。
五年二月地所永代売買の禁を解き、又地券を発行し、六年三月地所名称の達を発し、公有地私有地の称を設け、七年に私有地を改めて民有地とし、八年に地券に所有の名称を記載したり(地券離形に日本帝国の土地を所有する者は必この券状を有すべし)。
これ皆欧州に在てあるいは兵革を用いて領主の専権を廃棄し、あるいは巨大の金額を用いてもって佃戸の為に権利を償却したる者にして、而して我が国においては各藩の推譲(すいじょう、推薦し地位などを譲ること)によって容易に一般の統治に帰し、もってこれを小民に恵賜することを得たり。
これ実に史籍ありて以来各国にその例を見ざる所にして、中興新政の紀念たる者なり。

 

公共利益の為に必要なるときは各個人民の意向に反してその私産を收用しもって需要に応ぜしむ。
これ即ち全国統治の最高主権に根拠する者にして、而してその條則はこれを法律に属したり。
けだし公益收用処分の要件はその私産に対し相当の補償を付するに在り。
而して必ず法律をもって制定するを要し、命令の範囲の外に在るは、又憲法の証明するところなり。

 

 

現代語訳

本条は、所有権の安全を明らかにして保障する。
所有権は国家公権の下に存立するものである。
ゆえに、所有権は国家権力に服属し、法律の制限を受けなければならない。
所有権はもともと不可侵の権利であるが、無制限の権利ではない。
ゆえに、城塁の周囲から一定の距離において建築を禁止するのは、賠償を必要としない。
鉱物は鉱業法の管理に属し、山林は山林経済の標準により規定した規則に従い、鉄道線より一定の距離において、樹木を植えることを禁止し、墓域より一定の距離において、井戸を掘ることを禁止する、といったことなどは、すべて所有権に制限があることの証明であり、そして、各個人の所有は、各個人の身体と同じく国家権力に対して、服属する義務を負うものであることが十分に認知できる。
思うに、所有権は私法上の権利であり、全国統治の最高権のもっぱら公法と抵触するものではない(欧州においてオランダのグロティウス氏は、『万国公法』において、「君主は国土に最高所有権を有する」説を称えている。近頃の国法学者は、その意味を採用し、国土主権の意味をもって最高所有権と呼んでいる)。

 

古代において臣民は私有地を献上し、罪により領地を官に没収され、私有地の売り銭を求めたことは史書に見られる。
孝徳天皇の大化二年に、各地の屯倉(天皇の直轄地)及び田荘(豪族の私有地)を廃止して、他人の土地を自分の土地にするような弊害を取り除き、そして隋や唐の制度にならって、班田の制度を行ったが、その後、所領や荘園がさかんに行われて、封建社会が形成され、徳川氏の時代に至って、農民は概ね領主の小作人に過ぎなくなった。
維新の初め、明治元年十二月に大令を発して、村々の土地はすべて百姓の所有地であることを定めた。
明治四年に各藩籍を奉還して、私領の遺物が初めて跡を絶った。
明治五年二月に地所の永代売買の禁止を解き、また地券を発行し、明治六年三月地所の名称の通達を発して、公有地と私有地の名称を設け、明治七年には私有地を改めて民有地として、明治八年には地券に所有者の名称を記載することとした(「地券のひな形に、日本帝国の土地を所有する者は、必ずこの券状を持たなければならない」)。
これはすべてヨーロッパでは、兵制改革を用いて領主の専権を廃棄し、あるいは莫大な金額を用いて小作農のために権利を償却したもので、一方で、我が国においては、各藩の譲渡によって容易に国家一般の統治に帰し、そこから土地を臣民に恵み与えることができた。
これは実に他国には例を見ない史実であり、中興新政の記念となるものである。

 

公共利益のために必要なときは、各人の意向に反して、私有財産を収用し、需要に応じさせる。
これはすなわち、全国統治の最高主権を根拠にするものであり、そうして、その規則の制定は法律となる。
思うに、公益収用処分の要件は、私有財産に対して相当の補償をすることにある。
そうして、必ず法律を制定することを必要とし、行政命令の範囲外であるのは、憲法が証明するところである。

 
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