10年に一度の大物次官と言われた勝栄次郎氏はどういう人物なのか

 

財務省

民主党の菅政権と野田政権時代の財務事務次官の役職に就いていた勝栄次郎氏。

 

ここでは、勝栄次郎氏とはどういう人物なのかをご紹介します。

 

 

 

 

勝栄次郎氏とは

経歴

勝栄次郎氏は、「かつ えいじろう」という名前です。

 

昭和50(1975)年に、東大経済学部を卒業し、旧大蔵省に入省しました。

 

国際金融局為替資金課長

平成7(1995)年から平成8(1996)年にかけては、国際金融局為替資金課長を務めています。

 

この時期は、橋本政権の行政改革が行われていました。
大蔵省は、接待スキャンダル事件などの不祥事があったことで、監督責任を問う声が高まりました。
その結果として、財政と金融の2つの部門を切り離すことになります。

 

そうして出来たのが、金融庁です。
また律令制時代までに遡る「大蔵省」という名称から「財務省」に変わりました。

 

この財金分離が叫ばれている時代に、大蔵省の抵抗部隊の裏司令塔が勝栄次郎氏だったといいます。
そして当時、官邸で行政改革を担当していた人から、「あの人は手ごわかった」という話もあります。

 

財務省大臣官房文書課長

平成12(2000)年から平成14(2002)年にかけては、財務省大臣官房文書課長を務めています。

 

文書課長は別名「スパイ課長」と呼ばれ、財務省内外のすべての情報を集約するポストです。

 

また国会も担当し、予算委員会では必ず部屋の隅にいて、大臣に対してこういうメモを入れろとか、こう答弁させろとか、そういう指示を出したりします。

 

 

民主党政権時代

財務省主計局長

平成21(2009)年に主計局長に就任します。
その他、財務大臣は、元大蔵官僚の藤井裕久氏、財務事務次官は、丹呉泰健氏が就任しています。

 

また藤井大臣は、丹呉事務次官に副大臣に誰を起用するかを相談し、真っ先に挙がった名前が野田佳彦氏でした。

 

その後の展開を見るに、勝栄次郎氏は強硬に政策を推し進めるタイプです。
また消費税8%の政局の際にも強硬に推し進めた木下康司氏もこの時は、主計局筆頭次長に就任しています。

 

大臣官房長には、真砂靖氏が就任しており、事務次官とも表向きは政権と調整をしていく体制が取られていました。

 

民主党政権は、脱官僚政治を打ち出し、事業仕分けを始めとして予算編成を自ら行おうとするなど、官僚を完全にコントロールしようとしました。

 

しかし、期待していた特別会計にあると思われていた「埋蔵金」は見つからず政権公約にしていた政策の実現も難しくなってきました。

 

鳩山政権は、その後迷走し、またマニフェストで公約した政策の実現が実行不可能であることがわかるようになり、次第に求心力を失うことになりました。

 

そして鳩山氏に代わって菅直人氏が政権に就きます。

 

財務事務次官就任

平成22(2010)年から平成24(2012)年にかけて、「10年に一度の大物次官」と言われた勝栄次郎氏が財務事務次官に就任します。

 

菅首相は、野党時代から「官僚はバカだ」と官僚を毛嫌いしていましたが、鳩山政権で藤井大臣に代わって財務大臣に就任して以降、徐々に財務省の意向に従うようになりました。

 

菅直人氏が、主計局長勝栄次郎氏に頼るエピソードがあります。

 

 菅は九月二五日、人目につかない衆院第二議員会館地下の会議室に、財務省主計局長の勝栄二郎らを呼び出した。勝は「このような感じで進めてはいかがでしょうか」と予算の年内編成を明記した一枚紙を差し出した。そこには「現行の概算要求基準は廃止する」「政権公約を踏まえた要求の提出は一〇月一五日まで」「各大臣はゼロベースで厳しく既存予算の優先順位を見直し、できる限り要求段階から積極的な減額を行う」と書き連ねてあっ た。
 菅「こ、これだけ決めれば、しばらくはそれで予算編成の作業を進められるのか」
 勝「一〇月初旬までにこの内容を閣議決定していただければ、年内編成は可能です」
 淡々と請け合う勝に「この程度で大丈夫なのか」と一息ついた菅。鳩山内閣は二九日に一枚紙を「一〇年度予算編成の方針」として閣議決定した。国家戦略室の最初のアウトプットがこれだ。この一件は戦略室と財務省のその後の力関係を暗示するかのようだった。

 

出典:清水真人『財務省と政治 「最強官庁」の虚像と実像』(中公新書、二〇一五)

 

民主党としては、「現行の概算要求基準は廃止する」という主張は通っています。
財務省の狙いとしては、「積極的な減額を行う」という部分で、財政引き締め策が明記されています。

 

その後、鳩山政権の副総理兼財務大臣だったときの平成22(2010)年2月にカナダで開かれた財務相・中央銀行総裁会議(G7)で日本の財政状況が当時のギリシア危機以上の状況に危機感を感じたことで、考え方が増税シフトに変わってしまいます。

 

東日本大震災直後の消費税増税計画

平成22(2010年)6月2日の鳩山首相の退陣表明によって、菅直人氏が首相に就任します。

 

平成23(2011)年3月11日の東日本大震災が起きました。
民主党は、震災復興や福島第一原発事故の対応に負われるなか、消費税増税計画を作り上げようとしていました。

 

理由は、震災になったため、大幅に財源が足りなくなることからです。

 

その内容は、
第1段階として、2012年から消費税を「5%から8%に引き上げ」
第2段階として、2015年から消費税を「8%から10%に引き上げ」
するものです。

 

これは後の野田政権で議論になる「税と社会保障の一体改革」と同じ二段階増税論でした。

 

しかし、これは採用されず経済産業省が作った「約30兆円スキーム」を元にして、法人税と住民税を引き上げて「復興特別税」を作ることになりました。

 

財務事務次官2年目

平成23(2011)年6月9日の菅首相の退陣表明によって、野田佳彦氏が首相に就任します。

 

野田政権において勝栄次郎事務次官は、「社会保障・税一体改革関連法案」の成立に邁進します。
そしてその法案を成立させるために、民主党、自民党、公明党の三党が国会の会期延長に合意をします。

 

自民党の総裁は谷垣禎一氏で、党内をまとめ、消費税増税の流れを作っていきます。
公明党は軽減税率を条件に三党合意に乗ってきました。

 

民主党の小沢一郎元代表を中心に、造反が起こりますが、自民、公明の賛成もあって賛成大多数で衆議院を通過します。

 

また一方で安住淳財務大臣によって、特例公債法案の成立が難しいとメディアなどにアナウンスされます。

 

衆参ねじれ状態になると、特例公債法案を政局の道具にされ国会運営が困難になります。

 

つまり予算案については、衆議院の優越があるため、参議院で否決されたとしても30日後には衆議院の議決が国会の議決になります。
しかし特例公債法案などの予算関連法案は、通常の法律案となりますので、参議院が60日以内に審議せず、さらに会期の延長が出来なくなれば衆議院の再可決をすることが出来なくなります。
つまり廃案です。

 

ちなみに、イギリスでは、予算と予算関連法案は、同義と捉えて参議院が反対しない習律があります。

 

特例公債法案の成立が難しい中、「社会保障・税一体改革関連法案」が8月に入って参議院で審議が始まります。
衆議院では内閣不信任決議案も提出されます。

 

その翌日に再度、民主、自民、公明の3党首の会談によって三党合意が確認され、8月10日に「社会保障・税一体改革関連法案」は参議院で可決されます。

 

この時期に韓国の李明博大統領の竹島上陸や中国人活動家による尖閣諸島上陸という事態が起こり、その対応に負われる中、勝栄次郎氏は事務次官を辞任します。

 

結局、衆議院では特例公債法案が会期末に採決されましたが、参議院において審議未了ということで廃案になりました。

 

 

やりすぎた勝栄次郎財務事務次官

性格

一言でいえば、人心掌握がうまいと言われます。

 

そのエピソードとして、勝栄次郎氏が、省内の若手を何人か集めて自由闊達な議論をさせていて、それを聞いています。
そしてしばらくすると、その時の議論が省の政策として打ち出されたりします。

 

若手にとっては、先輩である勝栄次郎氏が聞いていた議論から政策をを作られることが嬉しいはずです。

 

また、マスコミに対しても居丈高になる官僚もいますが、しゃべり方が丁寧で政治家やマスコミ受けがいいといいます。

 

財務省内からも反対が起こる

勝栄次郎氏が財務事務次官の時に、古谷一之氏は主税局長を務めていました。

 

平成24(2012)年4月4日の参議院予算委員会の西田昌司参議院議員の質問に対して古谷主税局長が答弁しています。

 

第180回国会常会参議院予算委員会18号29頁
平成24(2012)年4月4日 西田 昌司 参議院議員
〜(中略)〜
 だから、今私たちが言ってるのは、まずその前にデフレの状況を止めなきゃならないということなんです。デフレの下で消費税を上げるなんてことはあり得ないんですよね。ところが、そのことをあなたは血道を上げてやっているんですよね。デフレになるとどういうことになるかといいますと、要するに所得が減るんです。デフレというのは物価が減るだけじゃないですよ。物価と同時に名目の所得も全部減ってくるんですよ。だから駄目だと言っているんです。
 そこで、事務方に、これ単純にもう要らない話なしで、税と一体改革とかそんなこと関係なしに、要は一般論として、国民の所得が減ったら税収は増えるのか、減るのか。このことを端的に答えてください。

 

第180回国会常会参議院予算委員会18号30頁
平成24(2012)4月4日 古谷 一之 財務省主税局長
 お答えいたします。
 国民の所得が何らかの原因により減少した場合、課税ベースが所得と連動する税の税収につきましては、税率等、制度が変わらなければ税収が減少するということになると考えております。

 

要は、デフレ経済の元で国民所得が減っている状態の税収は増えるのか減るのかという質問に、古谷主税局長は「減る」と回答しています。

 

また報道においても、財務省OBから次のような発言もありました。

 

 「若い頃の勝は、あんな馬鹿ではなかったがなァ。増税と経済政策は車の両輪だというのは財務官僚の鉄則なのに、増税だけ先走ってうまくいくはずがない。たぶん法案は潰れるが、そうなれば国際社会で日本の信用はガタ落ちになる。今の財務省には国際感覚も足りない」(主計局畑の元審議官)

 

 「拙速すぎる。増税というのは、叩き台があって、議論があって、調整があってできるものだ。まるで1日で潰れた細川政権の『国民福祉税』のようだ。勝君は功に走っているなら、今からでも勇気ある撤退を決断すべきだ。今はその時期でないことを表明し、2年後くらいに議論を再開する余地を残して身を引くべきだ」

 

「大蔵元老院」の登場

勝栄次郎財務事務次官が突然辞任しました。
その背景には、大蔵省事務次官OBの「大蔵元老院」のドンの登場が要因と言われています。

 

その「ドン」とは長岡實氏です。
勝栄次郎氏に対し、「君は本当によくやってくれた。これで退いてもらう」と言ったといいます。

 

官僚の矩(のり)を越えたことが理由です。
本来官僚とは、選挙を経て国民の代表となった政治家と異なり、あくまで「政治家を黒衣として支える」意識を持っており、持たなければならないと考えています。

 

明らかに勝栄次郎氏は、その「官僚の矩」を越えて、野田内閣が「直勝内閣」と呼ばれるぐらい強い影響力を行使していました。

 

そのため、辞任に追い込まれることになります。

 

 

勝栄次郎氏 経歴

役職
昭和50(1989)年 東京大学法学部卒業

大蔵省(現財務省)入省

平成5(1993)年 内閣官房長官秘書官(細川内閣、羽田内閣、村山内閣)
平成7(1995)年 大蔵省国際金融局為替資金課長
平成9(1997)年 財務省主計局主計官
平成12(2000)年 財務省大臣官房文書課長
平成14(2002)年 財務省主計局次長
平成18(2006)年 財務省大臣官房総括審議官
平成19(2007)年 財務省理財局長
平成20(2008)年 財務大臣官房長
平成21(2009)年 財務省主計局長
平成22(2010)年 財務省財務事務次官
平成24(2012)年 退官

 

 

まとめ

いかがだったでしょうか。

 

勝栄次郎氏は経済状況に関係なく増税をするいわば増税原理主義者といえます。

 

しかもその影響力は、官僚嫌いの菅直人氏を引き込み、野田政権をして「直勝内閣」と呼ばれるぐらいとなりました。

 

「官僚の矩」とは何かを考えつつ、この出来事を考えていただければと思います。


 
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昭和12年学会
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