皇室典範義解〜第三十一条

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皇室典範義解〜第三十一条

第三十一条 皇子より皇玄孫に至るまては男を親王女を内親王とし五世以下は男を王女を女王とす
(皇子より皇玄孫に至るまでは、男を親王、女を内親王とし、五世以下は男を王、女を女王とする)

 

 

口語訳

恭て按ずるに、子の子を孫とし、孫の子を曾孫とし、曾孫の子を玄孫とする〈和名抄に依る)。
子を一世とし、孫を二世とし、曾孫を三世とし。玄孫を四世とし、玄孫の子を五世とする。
大宝令に「自親王五世」と謂える是なり。
之を上古に考えるに皇子は「ミコ」と称え、皇女は「ヒメミコ」と称う。
親王、内親王の称は持統天皇紀「六年正月朔、賜親王内親王王女王内命婦(ないびょうぶ)等位」と見えたるを始とする。
大宝令に「凡皇兄弟皇子皆為親王」と此の時未だ宣下の式あらず。
宣下の式は蓋し、淳仁天皇紀に「兄弟姉妹悉称親王」と見えたるを始とする。
皇孫にして親王、内親王の宣下ありしは三条天皇の皇孫敦貞親王・敦元親王・?(けん)子内親王・嘉子内親王を始とする。
紹運録に見えたる亀山天皇の皇子恒明親王、其の子全仁親王、其の子満仁親王、其の子直仁親王、其の子全明親王、其の子恒直親王、相嗣て常葉井宮と称えたるは是れ世襲親王家の始なり。
蓋し、令には親王の称は皇兄弟皇子に限りしを其の後宣下式に依り、歴世の皇孫、亦親王の称を賜いしなり。
本条に皇玄孫以上は親王、内親王とすることを定めるは現行の慣例を勘酌し、且つ、宣下を待たずして皇親の王男王女たることを示すなり。

 

大宝令五世以下は皇親の限りに在らず。
而して、正親司の司る所は四世以上に限る。
然るに継体天皇の皇位を継承したまえるは、実に応神天皇五世の孫を以てする。
此れ乃中古の制は必ずしも先王の遺範に非ざりしなり。
本条に五世以下、王、女王たることを定めるは宗室の子孫は五世の後に至るも、亦、皇族たることを失わざらしめ以て親々の義を広めるなり(文武天皇慶雲三年の詔に曰、「准令、五世之王、離得王名、不在皇親之限、今五世之王、離有王名、已絶皇親之籍、遂入諸臣之列、顧念親々之恩、不勝絶籍之痛、自今以後、五世之王、在皇親之限、其承嫡者、相承為王、自徐如令」と。又、聖武天皇天平元年の詔に曰、「五世王嫡子以上、娶孫王、生男女者、入皇親之限、自餘入慶雲三年格」と。其の後桓武天皇延暦十年に至り、勅して令制に複したり)。

 
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