今井尚哉氏のニュース記事まとめ

 

官邸

 

 

新型コロナウィルスに関するニュース記事

日付 要旨
令和2(2020)年

04月02日

布マスクで「不安パッと消えます」 官僚案に乗って炎上

新型コロナウイルスの感染拡大防止をめざし、安倍晋三首相が表明した全世帯に布マスク2枚を配布する施策に疑問の声が上がっている。

 

実はこの構想は1カ月以上前から首相官邸内で浮上していた。

 

「全国民に布マスクを配れば、不安はパッと消えますから」。

 

首相にそう発案したのは、経済官庁出身の官邸官僚だった。

 

だが、SNSなどでは厳しい反応が相次ぐ。

 

ある与党幹部は「マスク2枚で国民が喜ぶと思ったら大きな勘違いだ」と突き放した。

 

公明党の若手議員のもとには「マスクを配る前に全員に10万円を配って、マスクを買わせればいいじゃないか」「社会主義じゃないんだから、マスクぐらい自分で買う」などと支援者からの批判が寄せられているという。

 

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03月21日 新型コロナ対応で浮かんだ亀裂 菅氏「失権」 重み増す今井補佐官

新型コロナウイルスへの対応をめぐり、首相官邸の政策決定のあり方に永田町や霞が関官僚から「異変」を指摘する声が上がっている。

 

経緯をたどると浮かび上がるのは、「ポスト安倍」をにらんで生じている官邸内の亀裂の深刻さだ。

 

特措法は、政府提出の形が採られた。

 

協力を呼びかけるのであれば、内閣の大番頭とされる菅義偉官房長官が同席してもおかしくない。

 

ただ目の前に居並んだのは与党幹部らで、枝野氏の目には「不自然」と映った。

 

こうした違和感を枝野氏が抱いたのは、霞が関を含む人脈から「菅長官と今井尚哉首相補佐官の対立が深刻」とする情報が寄せられたことも影響している。

 

文部科学省との調整が付かないまま、2月27日に首相は電撃的に全国小中学校などに対する休校措置を要請したが、政府関係者によると今井氏は菅氏不在の内部会議でこの対応を発案。

 

国民行動を左右する重要政策の判断にも関わらず、「危機管理の要」には事後承諾で済まされたという。

 

「官邸主導」と呼ばれる安倍政権の運営には特徴がある。

 

首相は思い入れの深い外交分野に深く関与する一方、内政分野全般は菅長官や首相側近の今井氏による総合調整に任せることが多かった。

 

菅氏もかつて「この内閣で本当のことを知っているのは、総理以外は俺と今井だけだ」と語っていた。

 

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02月28日 臨時休校要請、首相「独断」に腹心の影 菅氏ら置き去り

27日午後1時半、首相官邸。

 

安倍晋三首相は腹心の今井尚哉首相補佐官らを傍らに、萩生田光一文部科学相、同省の藤原誠事務次官らと向き合っていた。

 

首相が新型コロナウイルス感染症対策本部で、全国の小中高校と特別支援学校への休校要請を打ち出す約5時間前のことだ。

 

「休業補償はどうするんですか」。

 

萩生田氏は、休校に伴い保護者が仕事を休まなければならない世帯への補償が課題だと訴えた。

 

「大丈夫」と今井氏らは応じたが、多くの国民の日常生活に影響するだけに、萩生田氏は「補償の問題をクリア出来ないと春休みの前倒しは出来ない」と食い下がった。

 

首相は最終的にこう語り、その場を引き取った。「こちらが責任を持つ」

 

複数の関係者によると、首相の決断を後押ししたのは、今井氏による一斉休校の進言だったという。

 

この決断に政権の危機管理を担ってきた菅義偉官房長官が直接、関わることはなかった。

 

菅義偉官房長官は対策本部前の27日午前の記者会見で、「学校については、患者クラスター(集団)の状況を踏まえ、それぞれの地域単位で判断してもらう」と説明。

 

周辺には「全国一斉の休校はやりすぎじゃないか」との見方を示していた。

 

官僚トップの杉田和博官房副長官も一斉休校には慎重で、事前に相談を受けることはなかった。

 

政官の双方で危機管理を担う菅、杉田両氏を置き去りにし、首相は全国一斉の休校要請に突き進んだ。

 

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内閣総理大臣補佐官に関するニュース記事

日付 要旨
令和2(2020)年

02月04日

“もうひとりの陰の総理”今井総理秘書官に官房長官起用論も

今井氏は役人ながら官邸内で菅氏と権力を二分する実力者として知られるが、これまでは互いに牽制しながら、菅氏は危機管理と内政全般を担当し、今井氏は外交と経済政策を首相にアドバイスするなど役割を分担してきた。

 

そんな今井氏にとって“目の上のたんこぶ”である菅氏が辞任すれば、自分が表舞台に立つチャンスが巡ってくる。官邸内でも、今井氏の後継官房長官就任説が急浮上している。

 

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令和元(2019)年

11月21日

総理のためだけに動く「官邸官僚」。今井補佐官の正体<森功氏>

国家・国民ではなく安倍首相のために働く官邸官僚たち
──第二次安倍政権では、首相秘書官兼首相補佐官の今井尚哉氏を中心とする「官邸官僚」が突出した力を持ち、霞が関を牛耳っています。
森さんは『官邸官僚』(文藝春秋)で、この官邸官僚の弊害を指摘しています。
森功氏(以下、森):今井さんをはじめとする官邸官僚は、決して古巣の省庁のトップを走ってきたわけではありません。

 

安倍さんの絶大な信頼を獲得し、思いのままに権勢を振るっているのです。

 

その権勢は安倍さんの威光なしには成り立ちません。

 

本来ならば、国の政策を決める際に、各省庁の幹部が総理に対して直言しなければならないはずです。

 

ところが、官邸官僚に抑え込まれて、各省庁がまともに政策を提示できなくなっています。

 

「内閣人事局」によって省庁の幹部人事を握られている恐怖もあり、官邸の意向には逆らえなくなっているのです。

 

各省庁はそれぞれの専門分野に精通しています。

 

問題点を総理にきちんと説明し、それを整理した上で政策を練るべきです。

 

ところが、そのプロセスがなくなってしまっているのです。

 

霞が関システムの崩壊と言ってもいいでしょう。

 

首相が掲げる政策を、官邸官僚が経産省に丸投げし、経産省が政策を作っています。

 

その政策に他の省庁が従わざるを得ない状況です。安倍政権が「経産内閣」と呼ばれる所以です。

 

──今井氏はなぜ安倍総理の信頼を得られるようになったのでしょうか。
森:今井さんが特別優秀なのかどうか私にはわかりませんが、安倍さんは「今井ちゃんはなんて頭がいいんだ。

 

本人の頭の中を見てみたい」と語るほど、高く評価しているようです。

 

もともと今井さんは経済産業省で主に産業政策・エネルギー畑を歩んできましたが、第一次安倍政権が発足すると内閣官房に出向し、総理秘書官に就任しました。

 

今井さんは経団連会長を務めた今井敬さんの甥に当たりますが、敬さんの兄が通産事務次官を務めた今井善衛さんです。

 

安倍さんのお祖父さんの岸信介が商工大臣だったときに、その秘書官を務めていたのが善衛さんです。

 

安倍さんはそのことを知り、それから二人は急接近していったようです。

 

2007年9月に第一次政権は幕を閉じました。

 

安倍さんは潰瘍性大腸炎に悩まされ、誰もが政界での再起を危ぶんでいました。

 

そんな中で、同じ経産官僚の長谷川榮一さんとともに安倍さんを励まし続けたのが、今井さんでした。

 

長谷川さんの発案で、今井さんは安倍さんを高尾山登山に誘い、三人で山道に挑戦したといいます。

 

こうして、今井さんは安倍さんと特別な関係を築くことになったのでしょう。

 

──今井氏は経済政策だけではなく、外交政策にも介入しています。
森:官邸が外交を主導すること自体は批判すべきことではありません。

 

しかし、外交においては、外務省の情報や経験の蓄積をうまく活用しなければいけません。

 

問題は、今井さんが外務省に無断で動いていることです。

 

もともと経産省にはジェトロがあるので、国際的なパイプがあるのは事実です。

 

今井さんはそれを利用して、外務省と異なるルートで外交を動かそうとしました。

 

最も象徴的なケースが、日露外交です。

 

北方領土の解決は難しいことは今井さんにもわかっているはずです。

 

しかし、あたかも二島が返還されるかのように演出し、支持率アップにつなげようとしたのでしょう。

 

2015年11月に、プーチンの盟友とされ、ロシアのエネルギー産業に絶大な影響力を持つ石油大手「ロスネフチ」社長のイーゴリ・セーチンが来日した際、今井さんは彼を官邸に招待しています。

 

こうした人脈を使って、安倍政権は日露による北方領土の共同経済活動を華々しく打ち上げました。

 

日本側からカードを切って、ロシア側にお願いする格好です。

 

これでは、ロシアに足元を見られただけです。

 

今井さんは、通常の外交でやってはいけないことをやってしまったのです。

 

プーチンには、日本から援助を引き出す狙いはあっても、二島の先行返還など認めるつもりはありません。

 

結局、日露関係は動きませんでした。

 

──2017年5月には、安倍首相が、訪中する二階俊博幹事長に託した習近平主席宛ての親書を、今井氏が書き換えたとも報じられています。
森:そもそも、首相の外交親書は外務省が草案を書き、外務省出身の官邸の事務秘書官を通じて首相に確認を求めます。

 

そして、最終的に外相の決裁を経て、首相が了承することになっています。

 

ところが、今井さんは外務省や国家安全保障会議(NSC)とのすり合わせもなく、日中関係改善に前向きな内容を付け加えたのです。

 

今井さんにインタビューした際にも、「一帯一路についても可能であれば協力関係を築いていきたい」との文言を付け加えたことを認めました。

 

しかし、これは外務省やNSCの顔をつぶすことになり、なにより従来の政策、方針の変更ですからもっと慎重であるべきです。

 

国家安全保障局(NSS)局長(当時)の谷内正太郎さんが激怒し、「なぜ書き換えたんだ」と今井さんに詰め寄ったそうです。

 

このとき今井さんは、例によって「総理の意向です」と言い返したそうです。

 

今井さんの親書書き換えは、アメリカの不興を買っただけだったと思います。

 

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平成30(2018)年

06月23日

幅を利かす「官邸官僚」たち 霞が関を変質させた剛腕秘書官と内閣人事局

『文藝春秋』のインタビューの中で今井は、「外務省は北方領土問題を前に進めるアイデアを持っていません」とも批判していた。

 

北方領土返還は首相にとって、外務相だった父・晋太郎から受け継いだ悲願でもある。

 

安倍自身、父親の外相秘書官として旧ソ連との折衝を目の当たりにしてきたという。

 

首脳会談を重ねて、プーチンをウラジーミルと呼び、北方領土の旧島民の墓参や当地での共同経済活動を提案した。

 

したがって首相の分身である今井が、ロシア外交に前のめりになるのもうなずける。

 

安倍政権を支える官邸官僚たちは、出身の省庁で事務次官候補レースのトップを走ってきたスーパーエリートではない。

 

いわば2番手、3番手が官邸に抜擢され、忠誠を誓って権勢を振るってきた。

 

中でも政務秘書官の今井は、そんな「官邸官僚」の筆頭格だ。

 

「僕は自分自身が二つの矛盾した役割を担っていると考えています。一つは、政治家の横暴から役人を守ること、もう一つは役人の怠慢から政治家を守ること」――。

 

インタビューの最後、今井尚哉は、そう締めくくった。

 

出典は週刊東洋経済2018年6月23日号

平成28(2016)年

11月08日

影の総理・今井尚哉総理秘書官が打った「サミットの大芝居」

安倍政権の大番頭として「影の総理」とも称される菅義偉・官房長官が、危機管理を一手に担っていることはよく知られている。

 

しかし、官邸にはもう一人、表には姿を現わさない「総理の懐刀」がいる。

 

経産官僚出身の今井尚哉・総理首席秘書官だ。

 

首席秘書官は首相が政治任用するポストで、各省から派遣された5人の秘書官(事務秘書官)を束ねる。

 

ジャーナリストの森功氏が語る。

 

「首席秘書官の役割は総理が何を任せるかによって異なる。過去、議員事務所のベテラン秘書から起用された“官邸の金庫番”もいれば、情報収集やマスコミ工作に長けた“お庭番”もいた。今井氏はホワイトハウスの大統領補佐官に近く、総理の政策アドバイザーとして経済財政政策から外交、解散・総選挙のタイミングまでシナリオを書いている。安倍晋三総理の側にいて実際に舵を握っている『本当の影の総理』は、いまや菅官房長官ではなく、今井秘書官といってもいい」

 

麻生太郎・副総理兼財務相や菅官房長官、二階俊博・幹事長ら党幹部でさえも、今井氏の存在を無視できない。

 

そのことを示したのが、5月の伊勢志摩サミットの首脳会議に提出された「今井ペーパー」事件だ。

 

安倍首相は7月の参院選を前に消費増税の再延期を考えていたが、前回の増税延期の際、「リーマンショックのような事態が発生しない限り増税を実施する」と断言した手前、口実を見出せなかった。

 

麻生財務相や自民党執行部も再延期に強硬に反対していた。

 

そこで今井氏は国際舞台で“大芝居”を打つ。

 

サミットで「世界経済の指標がリーマンショック前に似ている」と分析した資料を配布し、各国首脳から疑問の声があがる中、安倍首相はそれを理由に党内の反対を押し切って消費増税の再延期を決定したのである。

 

資料は今井氏ら経産省側がまとめたことから「今井ペーパー」と呼ばれ、直前に見せられた麻生財務相は異論があったものの、覆すことはできなかった。

 

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今井 尚哉(いまい たかや)氏 経歴

第1次安倍政権時に首相秘書官として仕え、政権が倒れて失意のどん底にあった前首相との山登りにも付き合うという逸話があります。第2次安倍政権では、首席相秘書官として首相の分身として行動します。この源流は、橋本内閣時代の行政改革が官邸官僚の原点となります。
役職
昭和57(1982)年 東京大学法学部卒業

通商産業省入省(資源エネルギー庁公益事業部計画課)

昭和63(1988)年 米国留学(ライス大学)
平成7(1995)年 通商産業省大臣官房総務課長補佐
平成14(2002)年 経済産業省政策局企業行動課長
平成18(2006)年 資源エネルギー庁資源・燃料部政策課長

内閣官房内閣総理大臣秘書官

平成20(2008)年 経済産業省大臣官房総務課長
平成22(2010)年 経済産業省大臣官房審議官(貿易経済協力局・海外戦略担当)
平成23(2011)年 資源エネルギー庁次長
平成24(2012)年 内閣官房内閣総理大臣秘書官
令和元(2019)年 内閣総理大臣補佐官(政策企画の総括担当)

 
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