女系天皇とよく聞くが、そもそも何なのか、そして何が問題なのか

元正女帝

女系天皇について、よくニュースで耳にすると思います。

 

女系天皇とは、何かそして何が問題なのかをご紹介します。

 

 

 

 

女系天皇とは

女系天皇の定義

女系天皇とは、母方を辿れば天皇ですが、父方を辿れば民間人になります。
これをもって、父方の民間人の王朝が誕生します。

 

例えば、天皇の娘に藤原氏の男性と婚姻し、その子供が天皇になる場合、その時点で藤原氏の王朝になるということです。

 

この場合の子供は、男性であれば女系男子、女性であれば女系女子となります。

 

女系天皇は、日本の歴史のどの段階を見てもその先例はありません

 

世界の王朝

ヨーロッパをはじめとして世界の王朝は、女系を認めています。

 

イギリスを例に挙げれば、エリザベス二世はウィンザー朝という王朝です。
その前の王朝であれば、ヴィクトリア女王がいた王朝であり、その王朝はハノーファー朝でした。

 

ハノーファー朝の前はスチュアート朝で、イギリスでは度々王朝が変わっています。

 

イギリスでは、女王の子供が王位を継ぐことを認めているため王朝が変わります。

 

 

女系天皇の先例はあるのか

女系天皇と呼べなくもない先例

日本の歴史上、女系天皇の先例はないと言いましたが、前提条件を変えれば、女系天皇と呼べなくもない先例があります。

 

それは、奈良時代の元正女帝です。

 

当時は、すでに大宝律令というものが存在していました。
その皇統に関する条文として「継嗣令」というものがあります。

 

 天皇の兄弟、皇子は、みな親王とすること(女帝の子もまた同じ)

 

この条文にある「(女帝の子もまた同じ)」というのは、女性天皇の子を親王にすることになりますので、つまり女系天皇です。
事実関係として律令の規定において女系天皇を認めようとしていたことになります。

 

これを元正女帝に当てはめてみると、草壁皇子と元明天皇の子が元正女帝になります。
つまり、この条文でいうところの「女帝の子」です。

 

だから「女帝の子」である元正女帝は女系天皇と呼べなくもありません。

 

女系天皇の前提条件

上の女系天皇と呼べなくもない先例には前提条件があります。

 

元正女帝の父は、草壁皇子ですがその父は天武天皇で、どちらも辿れば天皇ということです。

 

つまり皇族同士の婚姻が前提条件となります。

 

しかしのちには、皇族同士の婚姻ではなくなります。

 

聖武天皇の皇后として藤原不比等の長女である藤原光明子(光明皇后)が皇族以外の皇后になった初見です。

 

仮に「継嗣令」のとおりに「(女帝の子もまた同じ)」が認められていたとしたら、女系天皇が出現していたかもしれません。
しかし、そのような形跡はありません。

 

大宝律令の「継嗣令」は、その後作られた養老律令にも「継嗣令」として残されています。
これは、皇族間の婚姻を前提とした時代に作られたものですので、皇族以外の皇后が出現したときに条文としてはそのまま残していますが先例としては用いられなかったといえます。

 

 

皇統を近づけるための女系という方法

傍系継承の場合

日本の歴史上、女系は認められず男系を維持してきましたが、女系という方法は別の形で使われています。
それは、傍系継承の場合です。

 

先例としては、継体天皇、光仁天皇、光格天皇が挙げられます。

 

まず継体天皇は、応神天皇の五世の孫としてその前の武烈天皇から見れば、離れ過ぎてしまいます。
仁徳天皇の系統が武烈天皇で途絶えてしまったことから、継体天皇になりますが、武烈天皇の妹の手白香皇女(たしらかのひめみこ)が皇后となります。
そのため男系としては五世の孫になりますが、女系としては武烈天皇の妹であり、仁賢天皇の娘でもある人を皇女に迎えているため、仁徳天皇の皇統に女系として近づけるという方法を行っています。

 

光仁天皇については、男系としては天智天皇の孫となりますが、その前は、壬申の乱後天武天皇の系統が天皇になっていました。
しかし、称徳天皇が崩御した際に天武天皇の系統の男系男子がいなくなってしまいました。

 

そこで光仁天皇が践祚即位することになりましたが、聖武天皇の子の井上内親王が皇后となりました。
男系としては天智天皇の孫ですが、女系としては天武天皇の系統に近づけるという方法を行いました。

 

最後の光格天皇についても同様で、新井白石が東山天皇の子を世襲親王家として閑院宮家を置きます。

 

そして中御門天皇以降の系統が絶えると、世襲親王家として置いた閑院宮家から選ばれることになりました。
それが光格天皇です。

 

男系としては閑院宮家の系統ですが、女系としては後桃園天皇の子の欣子内親王を皇后として、系統を近づける方法を行いました。

 

このように、皇室の皇統は万世一系といわれるように男系を一番の優先事項にしていますが、女系としてそれまでの皇統に近づけるという方法も行っています。

 

世襲親王家を皇統に近づける知恵

傍系継承の場合と同様ですが、明治天皇の時代に、世襲親王家である伏見宮家の子孫達を女系として明治天皇の皇統に近づける方法を行っています。

 

伏見宮家は、男系を辿ると北朝第3代の崇光天皇になります。
そして女系として明治天皇の皇女を嫁がせました。

 

 

まとめ

いかがだったでしょうか。

 

天皇の皇統は男系を一番の優先としています。
そのため、万世一系といわれるようになり、女系を認めた先例はありません。

 

しかし傍系継承において、女系によってその前までの皇統に近づけるという方法は歴史上何度かの先例があります。

 

女系について考える材料にして頂ければと思います。

 

 

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旧皇族が語る天皇の日本史(PHP新書)(竹田 恒泰)


 
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