ロシアによるウクライナ侵略!大国復活の思惑と領土奪還に向けた行動の対立

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ロシアによるウクライナ侵略!大国復活の思惑と領土奪還に向けた行動の対立

 

ロシアによるウクライナへの侵略

2022年2月24日にロシアがウクライナへの侵略を開始しました。

 

 

ロシアによるウクライナへの侵略は戦争ではなく事変

国際社会とは

現在の国際社会は、第二次世界大戦の戦勝国、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の五大国によって作られた国際秩序によって成り立っています。そして、国際連合という「場」を通じて、国際社会で起きている問題を話し合います。しかし、第二次世界大戦後アメリカとソ連による冷戦構造によって、国際連合は機能不全に陥ります。

 

そこで、1975年にアメリカ、イギリス、フランスに加えて西ドイツと日本を加えたG5、その後イタリアとカナダが加わって、G7が開催されるようになります。自由と民主主義の価値観を共有した主要国による会議で、国際連合の安全保障理事会ではなくサミットの「場」で国際問題が話し合われます。

 

戦争

戦争は、「宣戦布告」によって始まり、「講和条約」によって終結するものをいいます。現在の国際社会では、戦争を違法としているため、しばしば「戦争」の形式を取らず、「紛争」として行われています。かつて日本では「事変」と呼んでいました。戦争と紛争の違いは、戦争になれば、敵と味方、中立の区別を明確にする必要があり、戦闘員と非戦闘員によって分けられることになります。ちなみに、日本はウクライナに対して武器供与しているため、戦時であればウクライナ側についている状態です。

 

国際法

国際社会では、国際法がありますが、国内の憲法を頂点とする法体系とは異なっています。例えば、国内法であれば、犯罪をすれば警察に捕まり罰せられ、隣の家とのトラブルであれば裁判所で調停や民事裁判を行うこともあります。しかし、国際社会は、主権国家同士の信義によって成り立ちます。もし条約違反をすれば、誰かが取り締まるわけではなく、主権国家による自力救済によって解決します。それができなければ相手国の要求を呑んで泣き寝入りするしか方法はありません。つまり、国際法と国内法では法の意味するところが異なるといえます。

 

ウクライナとロシアの関係

ウクライナの地政学的リスク

ウクライナは、現在のEU(欧州連合)やNATO(北大西洋条約機構)から見ればロシアの緩衝地帯に位置しており、旧ソ連の勢力圏でした。地図の紫色と青色がEU加盟国27ヶ国、紫色とオレンジ色がNATO加盟国30ヶ国です。

 

EU加盟国+NATO加盟国

 

ウクライナから見れば、西側諸国に入って安全を確保したいと思う部分と、ロシアから見れば、西側の勢力圏が隣国まで拡大するのを避けたいと考えます。また西側諸国から見ると、ウクライナが緩衝地帯になっているため、そのままの状態を維持したいという考えもあるでしょう。そのような地政学的リスクを負いながら、ウクライナがソ連から独立して以後、親ロシア派と独立を維持したい勢力によって翻弄されることになります。

 

プーチン大統領は力の信奉者

プーチン大統領は、旧ソ連の情報機関であるソ連国家保安委員会(KGB)出身者で、2000年5月7日に第2代ロシア大統領に就任し、「強いロシア」の再建を掲げました。大統領就任後、ソ連のような強いロシアを目指すために、チェチェン共和国の分離独立をめぐる紛争を武力で抑え込みます。多大な犠牲が出たものの、ロシア国民から支持を得るようになりました。経済においては、ロシア国営企業ガスプロムに代表される天然ガスなどのエネルギー産業や中国などの国々と経済連携によって復興させていきます。

 

プーチン大統領は、しばしば力の信奉者と言われます。力の信奉者とは、力が強いものには対等な国として認め、力が弱いものにはまともな相手をしないということです。つまり、相手に付け入るスキがあれば踏み込まれる可能性があります。ちなみに、プーチン大統領の日本に対する態度は、北方領土問題から垣間見ることができます。長期政権を築いた安倍政権下で北方領土交渉を行おうとするものの相手にされず、2020年7月4日のロシア憲法改正に伴って、「ロシア領土の割譲を禁止」する内容が明記されるなど、相手にされていません。

 

今次のウクライナ事変と似ているのが、2008年に起きた南オセチア紛争で、2008年8月7日から16日にかけてジョージアとロシアとの間で軍事衝突がおきました。結果は、南オセチアとアブハジアの両地域が実行支配され、自治国としてロシアが承認することになりました。つまり、ロシアはジョージアから独立した一主権国家として認め、国際社会においては、一主権国家としては認められないものの、南オセチアとアブハジアの実質的自治権を認める形となっています。

 

形式的主権は認めず実質的自治権を認める方法

南オセチア紛争に起きたこと、そして今次ウクライナ事変が起きる前の状態は、自治国となった国の形式的主権は認めないものの実質的自治権を認める方法です。これには先例があります。

 

1877年から1878年にかけてロシア帝国とオスマン帝国の戦争がありました。戦争はロシア帝国の勝利となり、オスマン帝国との間にサン・ステファノ条約が締結されます。その条約において、ブルガリアの形式的主権はオスマン帝国に帰属するものの自治権が認められるようになりました。

 

この先例は、1931年に起きた満洲事変の事実関係を調査するために国際連盟より派遣されたリットン調査団の報告書にもあります。つまり、主権は中華民国に認めさせて、満洲国の自治権を認めるというものです。

 

リットン調査団

 

ウクライナ独立後小史

1991年8月24日 ソ連崩壊に伴ってウクライナが独立。
2004年11月22日


2005年1月23日

オレンジ革命。親ロシアで与党代表の首相ヴィクトル・ヤヌコーヴィチとヨーロッパへの帰属を唱える野党代表で前首相のヴィクトル・ユシチェンコの一騎討ちの末、ユシチェンコの勝利。
2005年1月23日 ヴィクトル・ユシチェンコが第3代大統領に就任。
2005年4月

   〜
2006年3月

ロシア・ウクライナガス紛争。ロシアの国営企業ガスプロム社がウクライナに天然ガスの料金を優遇価格から倍以上の価格に引き上げる要求によって対立。天然ガスのパイプラインが、ロシアからウクライナを経由してドイツなどの欧州に向けたものとなっているため、騒動は欧州各国を巻き込む事態に発展。
2010年2月25日 新ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチが第4代大統領に就任。
2013年11月21日

   〜
2014年2月22日

マイダン革命(尊厳の革命)、ウクライナとEUとの連合協定の署名を中止し、ロシアやユーラシア経済連合との結びつきを強化するウクライナ政府の決定によって抗議運動が勃発。

首都キーウで起きた抗議運動によって、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が失脚し、隣国ロシアへ亡命。

2014年2月23日 オレクサンドル・トゥルチノフが大統領代行に就任。
2014年3月1日 クリミア自治共和国首相セルゲイ・アクショーノフは、ロシアのプーチン大統領にクリミアへの平和維持を要請。プーチン大統領は、クリミア半島へのウクライナの極右民族主義勢力からクリミア半島内のロシア系住民などを保護する名目として軍事介入を開始。
2014年3月1日

   〜
2014年3月6日

ロシアが主導したとされる親ロシア派武装勢力はドネツィク州庁舎を占拠。その後ウクライナ保安庁によって排除される。
2014年3月11日 クリミア自治共和国最高会議とセヴァストポリ特別市会議は、クリミア及びセヴァストポリの独立宣言を表決し、可決される。
2014年3月16日 クリミア自治共和国とセヴァストポリ特別市でクリミア半島地域のロシアへの編入を問う住民投票が実施され、ロシア編入への賛成が9割以上を超えた。
2014年3月17日 クリミア自治共和国最高会議は、セヴァストポリを特別市として包括するクリミア共和国として主権を宣言し、ロシアへの編入を求める決議を行った。
2014年3月18日 プーチン大統領は、クリミア共和国の編入要請を受け入れ表明する。
2014年4月6日 ウクライナ・ドネツィク州の集会において、武装活動家がクリミアで実施されたものと同様の住民投票を要求する。活動家たちは州庁舎を占拠し、そこで会議を開いてウクライナからの独立を支持する表決を行う。

ウクライナ・ルハーンシク州の暴動が始まる。

2014年4月7日 ドネツク人民共和国の独立宣言。
2014年4月27日 ルガンスク人民共和国の独立宣言。
2014年6月7日 ペトロ・ポロシェンコが第5代大統領に就任。
2014年9月5日 ミンスク議定書を欧州安全保障協力機構(OSCE)の援助の下、ウクライナ、ロシア、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国によってベラルーシのミンスクにて調印。その後戦闘が継続。
2015年2月12日 ミンスク2(ミンスク合意)を欧州安全保障協力機構(OSCE)の監督の下、フランスとドイツが仲介して、ウクライナとロシアによってベラルーシのミンスクで調印される。内容はミンスク議定書の復活と、新ロシア派武装勢力が占領するウクライナ東部地域に自治権を認める内容も含まれる。
2019年5月20日 ウォロディミル・ゼレンスキーが第6代大統領に就任。
2022年2月21日 ロシアがドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国を独立承認。
2022年2月24日 ロシアによるウクライナへの侵略

 

ウクライナ事変

ウクライナでは、クリミア半島の併合、そしてミンスク2に基づくドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の自治権が認められたことで、ウクライナ国民の不満が高まります。2019年5月20日にウォロディミル・ゼレンスキーが大統領に就任すると、ミンスク2の履行に積極的だったものの、親ロシア派の分離独立を認めない民族派の反発によって意趣返ししました。民族派による反発はあるもののミンスク2の履行は、分離独立状態に法的根拠を与えて固定化することになるためです。ただし、親ロシア派やロシア側も、ミンスク2の外国の武装組織の撤退や違法なグループの武装解除を守っていません。

 

2021年3月になると、「クリミア・プラットフォーム」と名付けた、クリミアの占領状態の解除とウクライナへの再統合に向けた国家戦略を提唱します。またアメリカのバイデン大統領も、ロシアの侵略的な行動に対してウクライナとともに戦うことを約束したことで、ウクライナ側がロシアに対抗すると認識され、ミンスク2を仲介したフランスやドイツがロシアと交渉したり、ウクライナと交渉したりしました。

 

プーチン大統領は、2022年2月4日に北京オリンピックの開会式に出席したときに、中国の習近平国家主席と会談を行っています。そしてプーチン大統領の思惑として、北京オリンピックが閉会した2022年2月20日から北京パラリンピックが開会する2022年3月4日までの間に、2008年の南オセチア紛争の時のように、早期に勝敗をつけるためウクライナへ侵略を開始したものとみられます。奇しくも南オセチア紛争が始まったのは、2008年の北京オリンピックの期間中でした。その時は、8日間で勝敗が決しています。

 

しかし、プーチン大統領の思惑ははずれ、ゼレンスキー大統領が指揮するウクライナ軍の善戦、アメリカやNATO側の尽力によって、戦線を維持している状態となっています。


 

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