『6年前に生前退位の意向 元参与がやり取り明かす』平成28(2016)10月17日 NHKニュース要点9年にわたって宮内庁参与を務めた東京大学名誉教授の三谷太一郎氏がNHKのインタビューに応じた。三谷氏によると、平成22(2010)年7月に天皇と皇后の御所において、当時の宮内庁長官(羽毛田信吾氏)や侍従長(川島裕氏)、三谷氏ら3人の参与などが集まって開かれた参与会議で、天皇が「生前退位」の意向について明らかにされた。また三谷氏は「天皇陛下は『譲位』という言葉を使われた。中世とか近世の『上皇』を持ち出して、『天皇制の長い歴史において、異例のこととは思われない』とも述べられた。そうした意向を初めて直接伺って、大変驚がくしたというのが率直な印象でした」と振り返った。さらに三谷氏は「天皇の位のまま、皇太子にお務めを委ねてはどうかという出席者の意見に対して、『象徴であることと象徴の務めを果たすことは不可分だ』として天皇は譲らなかった」と語った。その後、「参与会議」が頻繁に開かれるようになり、天皇の「譲位」が主な議題になったものの、天皇が考えを変えることはなかった。日考塾の意見すでに6年前の時点で、天皇の譲位の決意が固かったことが伺えます。おそらく宮内庁長官や事務次官級職員、宮内庁参与などは、明確に譲位する時期は分からずともいずれは譲位するだろうと思われていたのかもしれません。平成28(2016)年8月8日に当時の天皇が「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」の表明後の政府の対応から見るに、本当に一部の人にしか共有されていなかったと見えました。出典はこちら令和4(2022)年12月4日公開