天皇は、皇帝と同等の意味、または違う意味として表現されることがあります。これと同じように、皇帝とエンペラー、王とキングにおいても同等の場合もあれば、異なる意味に捉えられることもあります。
つまり「天皇」「皇帝」「エンペラー」「王」「キング」は、言葉の定義によって変わってしまいます。
本記事では、天皇と皇帝、エンペラーの違いや、王とキングとどう異なるのか、その意味を解説します。
ガイウス・ユリウス・カエサル立像
ニコラ・クストゥ作、ルーヴル美術館所蔵
ヨーロッパの皇帝は、エンペラーといいます。エンペラーの語源は、ラテン語のインペラトールを由来としており、軍事指揮権者の意味として使われています。インペラトールは、古代ローマの上級の役職者がもつ権限でした。ちなみにその権限をインペリウムといいます。
古代ローマ共和政において、1年任期の最高官職である執政官や、緊急時に置かれる半年任期の独裁官などは、軍事指揮権であるインペリウムをもっていました。そしてインペリウムを行使するものをインペラトールと呼びます。インペラトールは、遠征などの長い闘いの末勝利したものに対して、栄誉の意味を込めて呼ばれます。
共和政末期になると、ガイウス・ユリウス・カエサルが登場します。現在のフランスであるガリアを平定し、ローマの内戦を勝ち抜いたことで、元老院よりインペラトールの称号が贈られるようになります。その後カエサルは、王になるのではないかと疑念をもった人たちによって暗殺されてしまいます。
カエサル暗殺後、ローマは再び内戦に陥り、その平定をもってローマは帝政へと変わっていきます。その帝政の基盤を作ったことから、後にガイウス・ユリウス・カエサルの「カエサル」という名前が、皇帝を意味するドイツ語のカイザーやロシア語のツァーリの語源となりました。
カエサルの後継者として現れたのが、カエサルの養子でもあるガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスです。オクタウィアヌスが、元老院において戦時に保有していた特権を返上し共和政に復帰する宣言を行った日が奇しくも帝政の始まりとなり、ローマ全軍の指揮権保有者として、インペラトールの称号が贈られました。
インペラトールが行使できるインペリウムには、範囲があります。例えば、共和政の執政官がもっていたインペリウムは、原則ローマ国内あるいは、遠征の際の限定的なものです。しかし、オクタウィアヌスがもつインペリウムは、皇帝が管轄する属州があり、それらすべてを含むローマ帝国内の軍事指揮権になります。
つまりエンペラーは、インペリウムが及ぶ範囲を表しています。
古代ローマは多民族国家でもあるため、エンペラーは、その多民族からなる範囲を統治することが前提となります。また皇帝になるものは、血統を重視していません。オクタウィアヌスは血統にこだわったものの、その後の五賢帝時代では血統にはよらず、さらに神聖ローマ帝国の皇帝やフランス皇帝などは、血統に対するこだわりがあるわけではありません。
つまり、ヨーロッパの考えとしては、血統によらない多民族の長をエンペラーと呼んでいます。
キングは、日本語では王と訳されます。しかし、これも皇帝とエンペラーのように意味するところが異なります。キングは、もともと単一民族の長を表す言葉から来ており、血のつながりを前提としています。キングは、「King」という表記で、これは血縁というKinを語源とする言葉です。
そのことから血統による単一民族の長をキングと呼んでいます。
ヨーロッパでは、キングよりもエンペラーの方が格が高いです。エンペラーは単一民族の集まりが形成されてできた範囲を束ねることになるため、キングよりもエンペラーの方が格が高くなります。
中華皇帝は、春秋戦国時代の秦国の王が支那(中国)を統一して、それまでの王を超えた中国全土の支配者の尊称になります。中国神話である「三皇五帝」にあやかり、また春秋戦国時代の征服した各地の王よりも上であるという意味を込めて、皇帝と称するようになりました。
中華秩序とは、皇帝が世界の中心であり、離れれば離れるほど化外の地といって、秩序のない非文明的な世界になっていくことです。中華の「華」は、文明という意味になります。化外の地には、異民族が居住しており、四夷(しい)といって異民族への別称として東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、北狄(ほくてき)、南蛮(なんばん)と呼んでいました。
王は、中華秩序において皇帝の下の位となります。中華の地方を王が治めたり、周辺国の有力者を中華の皇帝が王として冊封したりする際に用いられます。冊封とは、中華皇帝に対して臣下として、地域産物などを献上する行為のことをいいます。高句麗の王や朝鮮国王は、中華皇帝の冊封によって与えられた地位であり、日本では倭の五王時代が該当します。
王の意味は、中華皇帝の冊封によって与えられた地位の他に、別の意味があります。それは儒家思想における王者のことで、徳をもって治める者といいます。
天皇は、ヨーロッパにおけるエンペラーとキングのどちらかといわれたらキングといえるでしょう。日本の歴史上大和民族の長として始まり、現在では日本国民の同一民族の長となるからです。そして中華においては、儒家思想における徳をもって民を治めるという意味の王になります。
では、王が正しいのではないかと思われます。しかし王と名乗ることに弊害がありました。
中華皇帝に対しては、推古天皇が小野妹子を大使として隋に派遣したときに、隋の皇帝に対する挨拶として「東天皇、敬みて西皇帝に白す」として、対等であることを示しました。つまり中華秩序から独立するには、中華皇帝と対等の位置づけになる必要があります。
近代に入っても同様で、ヨーロッパのエンペラーは、ハプスブルク家に代表されるような王族などが各国のエンペラーとして君臨することがありました。日本がキングであれば、血統としては浅い人たちよりも格下扱いされてしまうため、天皇をエンペラーと訳すようになります。
中華とヨーロッパの両方に共通して、天皇は王でありキングといえます。しかし中華皇帝やエンペラーと対等にするために、対外的には皇帝と称するようになりました。
養老律令の儀制令に、次の条文があります。
・天子:祭祀に称する所
・天皇:詔書に称する所
・皇帝:華夷に称する所
祭祀を行う際は、天子です。
詔書など国内に関することは、天皇と称します。
そして外国に対しては、皇帝と称します。。
明治に入ってからは、日清戦争や日露戦争の際に出された宣戦の詔勅も、「皇帝」と称していました。儀制令に則っているものの、明治の改変によって祭祀を行う際の「天子」は呼ばれなくなりました。
また昭和に入ると国内において、対外的に「皇帝」と称していたところを「天皇」と称するようになりました。第二次世界大戦におけるアメリカとイギリスへの宣戦布告の際の詔書です。原因は、国体明徴運動になります。
しかし日本は、律令時代から天皇と皇帝、天子の使い分けがされていました。
つまり天皇は、対外的には皇帝、対内的には天皇、祭祀では天子として、使い分けしつつ、儒家思想の徳をもった王となるため、ヨーロッパや中国とは異なります。
天皇は、皇帝またはエンペラーなのかといわれれば、その答えは皇帝でありエンペラーでしょう。しかし本質は、儒家思想における王であり、同一民族国家のキングです。
そもそも日本の天皇をヨーロッパや中国の意味に押し留めることに無理があります。日本の天皇は、中国の理想的な王からスタートしたものの、意味するところは、中国の王に留まらず独自の君主像が長い歴史の中で形作られるようになりました。
理想をいえば、天皇の英語表記は「Emperor」ではなく「Tenno」といっても良いでしょう。しかし国際社会に合わせるとすれば、対外的にはエンペラーや皇帝の称号が適切です。